磯部浅一
八月十一日
天皇陛下は十五名の無雙むそうの忠義者を殺されたのであらふか、
そして陛下の周囲には國民が最もきらってゐる國奸等を近づけて、
彼等の云ひなり放題に御まかせになつてゐるのだらふか、
陛下、
吾々同志程、
國を思ひ 陛下の事をおもふ者は日本國中どこをそがしても決しておりません、
その忠義者をなぜいぢめるのでありますか、
朕は事情を全く知らぬと仰せられてはなりません、
仮にも十五名の将校を銃殺するのです、
殺すのであります、
陛下の赤子を殺すのでありますぞ、
殺すと云ふことはかんたんな問題ではない筈であります、
陛下の御耳に達しない筈はありません、
御耳に達したならば、
なぜ充分に事情を御究め遊ばしませんので御座いますか、
何と云ふ御失政でありませう
こんなことをたびたびなさりますと、日本國民は、陛下を御うらみ申す様になりますぞ、
菱海はウソやオベンチャラは申しません、
陛下の事、日本の事を思ひつめたあげくに、
以上のことだけは申上げねば臣としての忠道が立ちませんから、
少しもカザらないで陛下に申上げるのであります
陛下
日本は天皇の独裁國であつてはなりません、
重臣元老貴族の独裁國であるも斷じて許せません、
明治以後の日本は、
天皇を政治的中心とした一君と萬民との一体的立憲國であります、
もつと ワカリ易く申上げると、
天皇を政治的中心とせる近代的民主國であります、
左様であらねばならない國體でありますから、何人の独裁をも許しません、
然るに、今の日本は何と云ふざまでありませうか、
天皇を政治的中心とせる元老、重臣、貴族、軍閥、政党、財閥の独裁國ではありませぬか、
いやいや、よくよく観察すると、
この特權階級の独裁政治は、天皇をさへないがしろにしてゐるのでありますぞ、
天皇をローマ法王にしておりますぞ、
ロボツトにし奉つて彼等が自恣専断じしせんだんを思ふままに続けておりますぞ
日本國の山々津々の民どもは、
この独裁政治の下にあえいでゐるのでありますぞ
陛下
なぜもつと民を御らんになりませんか、
日本國民の九割は貧苦にしなびて、おこる元気もないのでありますぞ
陛下がどうしても菱海の申し条を御ききとどけ下さらねばいたし方御座いません、
菱海は再び、陛下側近の賊を討つまでであります、
今度こそは
宮中にしのび込んででも、
陛下の大御前ででも、
きつと側近の奸を討ちとります
恐らく 陛下は
陛下の御前を血に染める程の事をせねば、
御気付き遊ばさぬでありませう、
悲しい事でありますが、
陛下の為、
皇祖皇宗の為、
仕方ありません、
菱海は必ずやりますぞ
悪臣どもの上奏した事をそのまま うけ入れ遊ばして、
忠義の赤子を銃殺なされました所の 陛下は、不明であられると云ふことはまぬかれません、
此の如き不明を御重ね遊ばすと、神々の御いかりにふれますぞ、
如何に 陛下でも、神の道を御ふみちがへ遊ばすと、御皇運の涯てる事も御座ります
統帥權を干犯した程の大それた國賊どもを御近づけ遊ばすものでありますから、
二月事件が起こったのでありますぞ、
佐郷屋、相澤が決死挺身して國體を守り、統帥權を守ったのでありますのに、
かんじんかなめの 陛下がよくよくその事情を御きわめ遊ばさないで、
何時迄も國賊の云ひなりなつて御座られますから、
日本がよく治まらないで常にガタガタして、
そこここで特權階級をつけねらつてゐるのでありますぞ、
陛下
菱海は死にのぞみ 陛下の御聖明に訴へるのであります、
どうぞ菱海の切ない忠義心を御明察下さります様 伏して祈ります、
獄中不斷に思ふ事は、 陛下の事で御座ります、
陛下さへシツカリと遊ばせば、日本は大丈夫で御座居ます、
同志を早く御側へ御よび下さい
八月十二日
今日は十五同志の命日
先月十二日は日本歴史の悲劇であつた
同志は起床すると一同君が代を唱へ、
又 例の澁川の讀經に和して冥の祈りを捧げた様子で
余と村とは離れたる監房から、わづかにその声をきくのであつた
朝食を了りてしばらくすると、
萬才萬才の声がしきりに起る、
悲痛なる最後の声だ、
うらみの声だ、
血と共にしぼり出す声だ、
笑ひ声もきこえる、
その声たるや誠にイン惨である、
悪鬼がゲラゲラと笑ふ声にも比較出来ぬ声だ、
澄み切つた非常なる怒りとうらみと憤激とから來る涙のはての笑ひ声だ、
カラカラした、ちつともウルヲイのない澄み切つた笑声だ、
うれしくてたらなぬ時の涙より、もつともつとひどい、形容の出來ぬ悲しみの極みの笑だ
余は、泣けるならこんな時は泣いた方が樂だと思ったが、
泣ける所か涙一滴出ぬ、
カラカラした気持ちでボヲーとして、何だか気がとほくなつて、
気狂ひの様に意味もなく ゲラゲラと笑ってみたくなつた
御前八時半頃からパンパンパンと急速な銃声をきく、
その度に胸を打たれる様な苦痛をおぼえた
余りに気が立つてヂットして居れぬので、詩を吟じてみようと思ってやつてみたが、
声がうまく出ないのでやめて 部屋をグルグルまわつて何かしらブツブツ云ってみた、
御経をとなへる程の心のヨユウも起らぬのであつた
午前中に大体終了した様子だ
午后から夜にかけて、看守諸君がしきりにやつて來て話しもしないで声を立てて泣いた、
アンマリ軍部のやり方がヒドイと云って泣いた、
皆さんはえらい、たしかに青年将校は日本中のだれよりもえらいと云って泣いた、
必ず世の中がかわります、キット仇は討ちますと云って泣いた、
コノマヽですむものですか、この次は軍部の上の人が総ナメにやられますと云って泣いた、
中には私の手をにぎつて、
磯部さん、私たちも日本國民です。
貴方達の志を無にはしませんと云って、誓言をする者さへあつた
この状態が単に一時の興奮だとは考へられぬ、
私は國民の声を看守諸君からきいたのだ、
全日本人の被圧迫階級は、コトゴトク吾々の味方だと云ふことを知って、力鞏い心持になつた、
その夜から二日二夜は死人の様になつてコンコンと眠った、
死刑判決以後一週間、
連日の祈とう と興フンに身心綿の如くにつかれたのだ
二月二十六日以来の永い戰闘が一先づ終ったので、つかれの出るのもむりからぬ事だ
宛も本日----
弟が面會に来て、寺内が九州の青年にねらはれたとかの事を通じてくれた、
不思議な因縁だ、
たしかに今に何か起ることを予感する、
余は死にたくない、
も一度出てやり直したい、
三宅坂の台上を三十分自由にさしてくれたら、軍幕僚を皆殺しにしてみせる、
死にたくない、
仇がうちたい、
全幕僚を虐殺して復讐したい
次頁 獄中日記 (四) 八月十五日「 俺は一人、惡の神になつて仇を討つのだ 」 に 続く
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