己を律しストイックな精神で画業に生きた版画家・長谷川潔。
気になる画家であり、静謐な作品を1枚でも多く間近で見たいと横浜美術館にでかけた。
長谷川潔は27歳で渡仏し、89歳で亡くなるまでフランスに定住した画家。
写真の発達などにより、当時忘れられていたマニエール・ノワール(黒の技法。英語でメゾチント)をよみがえらせた。
しかしそれは単なる黒の明暗ではなく、日本でいわれる「墨の五彩」を用いて長谷川潔独自の漆黒を生み出した。
それは神秘的ともいえる静けさであり透明感をも感じさせる。
そして漆黒の絵にも時間が存在するのだ。
午前、夕暮れという具合に黒の時間に違いがある。
同じようでありながら違う黒を見る思いがした。
上は「草花とアカリョム」(1969年)
戦争が始まってもフランスにとどまった彼は、散歩の途中ある一樹をじっと見ていると
その樹木が人間の目鼻立ちと同じように「意味」を持っていることに気がついたという。
そして美は黄金比率にあり(レオナルド・ダ・ヴィンチの人体図で有名)
植物の美もバランスによって成り立っていることを深く感じる。
何の不思議もなく存在する植物と人間は友であり上でも下でもない、
すなわち万物は同じだと啓示にも似た体験をした。
右は「竹取物語」-仏訳(1933年)
7年の歳月をかけて描かれたという。彼の絵にフランス人は日出る国の美に想いを馳せたことだろう。
己を律した人らしく銅板に引かれた線は狂いのない緻密さで仕上げられていた。
それは線と呼吸との一致。
一木一草を厳しく描き彼は神を表そうとした。
描かれているそこには暗示的なものがいくつもある。
鳥は自然観察者としての自分、ペーパーウエイトは歴史、というふうに。
草花を描いた絵にはジャンボ・タンポポが多く見られる。
美術館ロビーに実物の綿毛が展示してあった。
直径10センチほどもある大きさだ。
静謐な絵は沈黙しているようであった。
しかし描かれた向こうから長谷川潔は己の精神が見た神を今も語っている。
上は「花瓶に挿したコクリコと種草」(1937年)
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