大正、昭和ひと桁の時代から現在の私たちに尾崎翠は感覚の矢を放ってくる。
読んでいると、尾崎翠という水槽の中で自分が藻のようにゆらゆらさせられ、
水槽にさまざまな色のプリズムを彼女が当てているかのように思えてくる。
「こおろぎ嬢」のうぃりあむ・しゃあぷと、ふぃおな・まくろぉど嬢の
ドッペルゲンゲルを和歌で結ぶしゃれっ気。
「初恋」の意表をつくラストや、耳鳴りが主役の「新嫉妬価値」の意外性。
「アップルパイの午後」はまるでフランス映画のワンシーンのようでもある。
そして話題になった「第七官界彷徨」では、二助が研究する蘚(こけ)の恋愛を軸に
兄弟、従兄弟それぞれのほのかな恋愛を描いている。
しかし、どの作品にもそこには尾崎翠がひそんでいる。
「地下室アントンの一夜」で、一人の詩人の心によって築かれた部屋であると地下室を表現した彼女は
自分の中に見る他の自分、あるいは物が人になったりする発想を心の部屋で綴っていたのだ。
目にするあらゆるものが自分と同化するような感覚で。
形あるもの無いもの、男性女性のどちらでもないもの。見えるもの見えないもの。
それらを超えて書かれた作品から、今も尾崎翠は澄んだ多面体に彼女自身をいくつも反射させている。