日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

劇団四季 ノートルダムの鐘 KAAT神奈川芸術劇場

2018-08-18 | アート・文化

「ノートルダムの鐘」の日本での舞台化は劇団四季が初めてという
この公演を以前から観たいと楽しみにしていた。




時は15世紀末。鳴り響くノートルダム大聖堂の鐘は
ここに幽閉された悲しい運命を背負った鐘つき男カジモドが打つ響きだ。
人生にわずかな光が見えたのもつかの間。
悲劇の犠牲へと引き込まれていく。

舞台は中央に薔薇窓。そして巨大な鐘と
木枠のシンメトリーの装置に灰色のマントを着た石像(ガーゴイル)。
石像は時にカジモドの友人となって話しかけたり、民衆やジプシーとなり
様々な役目を果たす演出になっている。

そして柵もバルコニーとなり壁になり
牢獄の柵と変化して舞台を展開させる。

ノートルダム大聖堂の聖職者フロローは弟とともに神に仕えていたが
弟は奔放で、ジプシー女を教会に入れたため追放されてしまう。
数年後、病に伏す弟はジプシーの女との間に生まれた赤子を引き取って欲しいと言い遺し
息を引き取った。

フロローは赤子の醜い姿からカジモド(出来そこない)と名づけ
誰の目にも触れないように聖堂の鐘楼に住まわせる。
孤独なカジモドの友達は石像だけだった。

年に1度の「道化の祭り」の日がやってきた。
自由を求めていたカジモドは街へ抜け出す。
祭りでは美しいジプシーの踊り子エスメラルダが踊っていた。
そして1番醜い仮装をした者が王になるというコンテストがあり
カジモドは担ぎ出されてしまう。
彼が仮装ではないと知った民衆はカジモドを縛りつけ、罵声を浴びせる。

それを助けたのがエスメラルダだった。
初めて人の暖かさを感じたカジモド。
しかし祭りで彼女を見たフロローもまたエスメラルダの虜になっていた。

痛めつけられて帰ったカジモドを追ってきたエスメラルダに
フロローは邪悪な心に動かされ、教会に住むよう勧めるが拒否されたため屈辱感に怒り
大聖堂の護衛長フィーバスに
ジプシーの追放とエスメラルダの捜索を命令するが
フィーバスもエスメラルダを愛していた。

フロローの命令に背きエスメラルダを助けたフィーバス。
それを知ったフロローの邪悪なこころは次第に巨大化し、
聖職者でありながら
あろうことか、フィバースをナイフで刺してしまう。

エスメラルダの気持ちはフィバースへ向かっているのを知ったカジモドは
一抹の寂しさを感じながらも
エスメラルダと傷ついたフィーバスをジプシーの隠れ家にかくまってあげる。
しかしふたりを捕らえるために罠をしかけたフロローが追ってきた。

エスメラルダに詰め寄り、自分を受け入れるなら
フィバースを助けて逃がすと言うフロローにエスメラルダは拒絶したため
彼女は捕らえられ火あぶりにされてしまう。
フロローは残酷な悪魔と化してしまった。

閉じ込められていたカジモドはエスメラルダを救出しようと
駆けつけ、ぐったりした彼女の縄をほどき
大聖堂へと運んだがエスメラルダを案ずるカジモドの腕の中で
彼女の息は絶えてしまった。

そこへ現れたフロロー。彼が犯した数々の悪事に怒ったカジモドは
大聖堂からフロローを突き落とした。

ノートルダムの大聖堂を背景に
人間の中に潜む明と暗。
醜い姿のカジモドに、怪物と言ったフロローこそ悪の怪物であり
カジモドこそ聖なるこころを持った純粋な若者だった。

出演者の誰もが台詞が明瞭で
安心して物語に入り込むことが出来た四季の舞台。

カジモド(飯田達郎さん)は、身を躍らせて鐘の綱を引っ張るのがダイナミック。
フロローに忠実に仕える悲しさは胸が詰まるし
死にゆくエスメラルダを案ずる後ろ姿に涙が止まらなかった。

誰をも虜にするジプシーの踊り子エスメラルダ(宮田愛さん)。
自由な心でいるからこそカジモドの外見にとらわれず
純粋なものを見分けられる女性。
しかし、残念ながらこのような人は少数派なのだと思う。
品の良いエスメラルダだった。

フロロー(芝清道さん)は、聖職者としての信仰心と邪悪な欲望に苦悶しながらも
権力と悪に身を落としていき
人間がかかえる闇が絶望的な悲劇を生んでしまう。
葛藤に苦しみ、歌う「地獄の炎」は圧巻だった。

フィバース(清水大星さん)は、任務に忠実な兵士だが
エスメラルダを愛してしまったために
彼もまたフロローの陰謀に巻き込まれてしまう。
のびやかさを感じる演技。
 
人間と怪物 「どこに違いがあるのだろう」
舞台が伝えるメッセージはこころに残る。




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