「日没なき帝国」といわれたハプスブルグ家に、16歳で皇帝フランツ・ヨーゼフのもとへ嫁いだ美貌の妃
シシィことエリザベートは孤独を埋めるため人生の大半を旅に費やした。
この時のヨーロッパは各地で革命、独立運動の不穏な空気のさなかにありフ ランツ・ヨーゼフは政務に追われていた。
ハプスブルグ家の伝統を重んじるしきたりは厳しく
宮廷になじめないエリザベートの苦悩は結婚と同時にはじまることになる。
二人に幸せが訪れたかにみえた子供の誕生も姑ゾフィが教育することになり、またゾフィとの確執、
そして勤勉なフランツが国事に精励する日々は
孤独なエリザベートを旅から旅への放浪の妃へと変えていった。
しかし皇帝は「愛するシシィ」と旅先のエリザベートに多くの手紙をしたためている。
1889年、息子である皇太子ルドルフがマイヤーリンクの狩の館でマリー・ベッツェラと
心中するという不幸な事件が起こった。
リベラルなルドルフとの政治的見解の差と、彼の個人行動で皇帝の逆鱗にふれた4日後であった。
シシィは息子を失った悲しみに、以後没するまで喪服を着ることとなり悲しみは深まるばかりであった。
そしてふたたび旅へ。
旅、それはエリザベート自身が生きるために呼吸ができるかけがえのない時間であった。
そして1898年 、彼女に最後の運命が待っていた。
旅先のレマン湖のほとりでイタリア人の無政府主義者ルイジ・ルケーニの凶器が彼女を襲う。
悲嘆にくれたフランツ・ヨ-ゼフはエリザベートへの祈りを日課としてゆく。
王位継承者のルドルフを失ったオーストリア・ハンガリー帝国は
次の継承者に決定していたフェルディナンド皇太子がサラエボでセルビアの秘密組織に暗殺され、
これに対してフランツ・ヨーゼフはセルビアへの宣戦布告文書に署名した。
これが原因で第一次世界大戦につながり
ヨーロッパ最大のハプスブルグ帝国の栄光は幕を閉じることとなった。
ジャン・コクトーの映画「双頭の鷲」は
この劇的な最期を遂げたエリザベートに着想を得て制作された。(映画1947年)