コーヒー界の先駆けとして歴史を創ったといわれる銀座8丁目にある「カフヱーパウリスタ」。
明治44年(1911)に水野 龍氏によって創業。
ブラジルからコーヒーの販売権を与えられ最初は銀座6丁目に開店した。
現在の場所に変わって開店したのは1970年。
開業当時の建物は白亜の3階建てで、給仕たちは海軍士官の正装を模した服装の少年たちが
異国から入ってきた珈琲を運んでいたのだという。
映画のワンシーンのような情景である。
異国から入ってきた珈琲を運んでいたのだという。
映画のワンシーンのような情景である。
大正時代にはこのカフェに多くの文化人たちが訪れていた。
徳田秋声、菊池寛、正宗白鳥、芥川龍之介、佐藤春夫、獅子文六、
画家の藤田嗣治、村上槐多など、有名人の名前が並ぶ。
また、長谷川利行は珈琲代としてここを描いた絵を置いていったそうだ。
すごいメンバーだが、ここは新時代の文化が花開いた場であったことが想像できる。
そして慶應の生徒たちも新橋を超えて次々とここを訪れ珈琲の香りを楽しんだという。
1978年にはジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫妻も訪れている。
落ち着いた雰囲気の1階席
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/5e/b3ad36752854ecfb8b3ff1a4e699dee3.jpg)
クラブハウスサンドを注文。丁寧な作りで味はとても美味しかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/26/ae7dcf6ef96d2bf05af1daa80a179107.jpg)
お店のマークは星の中に女神の横顔。珈琲の葉と赤い実が星を囲んでいる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/a4/12eb18508475ae394132eb1d21cd0b21.jpg)
レジでもらえる「銀ブラ証明書」
(一番上の写真「鬼の如く黒く~」の裏側がこの証明書になっている)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/e0/c5e42ed35accee082be0f222a6c1431e.jpg)
徳田秋声、菊池寛、正宗白鳥、芥川龍之介、佐藤春夫、獅子文六、
画家の藤田嗣治、村上槐多など、有名人の名前が並ぶ。
また、長谷川利行は珈琲代としてここを描いた絵を置いていったそうだ。
すごいメンバーだが、ここは新時代の文化が花開いた場であったことが想像できる。
そして慶應の生徒たちも新橋を超えて次々とここを訪れ珈琲の香りを楽しんだという。
1978年にはジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫妻も訪れている。
落ち着いた雰囲気の1階席
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/5e/b3ad36752854ecfb8b3ff1a4e699dee3.jpg)
クラブハウスサンドを注文。丁寧な作りで味はとても美味しかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/26/ae7dcf6ef96d2bf05af1daa80a179107.jpg)
お店のマークは星の中に女神の横顔。珈琲の葉と赤い実が星を囲んでいる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/a4/12eb18508475ae394132eb1d21cd0b21.jpg)
レジでもらえる「銀ブラ証明書」
(一番上の写真「鬼の如く黒く~」の裏側がこの証明書になっている)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/e0/c5e42ed35accee082be0f222a6c1431e.jpg)
銀ブラという言葉はここで生まれ、その由来は
銀座でブラジルコーヒーを飲むことから慶應の生徒たちが銀ブラと名づけた。
時代は流れ、風景も喫茶店も様相が変わるけれど
女性ひとりでもゆっくりできるここは、あの頃と同じ珈琲の香りに包まれているようだった。
銀座でブラジルコーヒーを飲むことから慶應の生徒たちが銀ブラと名づけた。
時代は流れ、風景も喫茶店も様相が変わるけれど
女性ひとりでもゆっくりできるここは、あの頃と同じ珈琲の香りに包まれているようだった。