バレエ「屋根の上の牡牛」は、ジャン・コクトーのシナリオによって1920年に3日間の興行で上演された。
作曲は、コクトーが率いる「六人組」の一人であるダリウス・ミヨー。
彼は外交官、また詩人でもあるポール・クローデルの秘書としてブラジルへ同行した際、
南米のサンバ、民謡、タンゴの明るい雰囲気が気に入り、チャップリンの映画に使用するために
この曲を作曲したが、コクトーがこの曲から着想を得て上演となった。
曲は、舞台を見ている雰囲気を彷彿とさせる楽しさにあふれ、また開放的な南米の明るさと
中間の郷愁的メロディに、出演した軽業師やパントマイムの動きがどんな様子なのか想像をかきたてる。
レコードはフランス・ディスコフィル社から発行されたが、ジャケットはコクトーのデッサンが表と裏の両面いっぱいに描かれ、
贅沢で洒落たレコードジャケットといえる。
舞台は居酒屋でバーテンがシェーカーを振り、店に来た客がそのカクテルを飲んでダンスを始め、
女性はサロメのダンスを踊る場面もあるという。
しかし「若者と死」のようにここでもコクトーの潜在的な終結がある。
ナイトクラブ「屋根の上の牡牛」は1922年、ルイ・モゼールがボワシー・ダングラ街に開業したが、
ミヨーが「僕らの集まれるバーをどこかに探す必要があるね。」とコクトーに言ったことがきっかであった。
この店はたちまち有名になりコクトーはその中心的存在であり、満席の店内にはジャズが流れ、カクテルに酔い
毎日がまさに祝祭のにぎわいであった。
後の「恐るべき子供たち」のモデルとなったブールゴワン姉弟と知り合うきっかけもこの店である。
参考資料◆『評伝ジャン・コクトー』 秋山和夫 訳 筑摩書房
『THEATRE DE POCHE 』 JEAN COCTEAU