日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

輝き続けるモデル カルメン・デロルフィチェ

2016-08-03 | アート・文化

可憐な少女がパラソルをさしているこの写真。
モデルは誰なのかわからないまま素敵な写真なので保存しておいた。
又かなり昔なので、どの雑誌から切り抜いたのかも覚えていなかった。



だがこの少女が、一昨年にネットで話題になっていたモデルの
「Carmen Dell'Orefice/カルメン・デロルフィチェ」だと初めて知った。 

写真の左下に、「C BEATON/1946」と書かれている。
英国王室やファッションの写真家でもあったセシル・ビートンが1946年に撮影した写真だった。

カルメン・デロルフィチェは1931年、ニューヨーク生まれ。
15歳の時にスカウトされてモデルになった。
今年85歳のいまだに現役のモデルで、業界でもカリスマ的存在だという。
 
下の写真は82歳の時のカルメン。
80代!上の写真が15歳。あの時から多くの月日が経っているのに
奇跡ともいえる美しさだ。
トレードマークでもある白髪は「スノー・ホワイト」と呼ばれているのだとか。
 

80代であっても失われない美貌と洗練さから放たれるオーラは
多くの人々にインスピレーションを与えられるミューズともいうべき
女性だといえるかも知れない。

下の2枚の写真は他サイト様からお借りしました。
左 http://theredlist.com/wiki-2-24-525-528-721-view-1950s-4-profile-carmen-dell-orefice.html
右 http://fashiondollchronicles.blogspot.jp/2014/05/carmen-dellorefice-as-fashion-doll-by.html

蜷川幸雄さんの訃報

2016-05-12 | アート・文化

蜷川幸雄さんが逝ってしまった。
海外からも高い評価を得て「世界のNINAGAWA」といわれるほど希有な演出家であり
日本の誇りでもあった蜷川さん。

何度も舞台を観たわけではなく、
シェークスピアものや「近松心中物語」などしか観ていないが
どの作品にも意表をつく演出が多く、
舞台から壮大な人間の世界を見たあの感激、
そしてその余韻など
蜷川さんの舞台を観たあとは甘美な疲労感が残っていた。

「誰も見たことがないものを作りたい」
その言葉どうり、人々の胸に焼きつけた舞台は数知れない。


初期の頃の作品「王女メディア」の写真(メディア役の平幹二朗さん)


没後100年 宮川香山展は感嘆の連続 サントリー美術館 

2016-04-12 | アート・文化

今年の2月に日本橋三越で、初代宮川香山から4代まで続いた「真葛焼」の系譜として作品展があったが
今回はその初代である「宮川香山」(1842~1916)の作品がサントリー美術館に展示されていた。


植物や動物など自然界の様子を並外れたアイディアと技術で
高浮彫(たかうきぼり)や高度な釉薬の表現で創り出された作品群。
そこにはドラマが宿っているように見事としかいいようのない作品展だった。

会場には写真撮影可という親切なコーナーが設けられ、高浮彫の壺などが展示されていた。

高浮彫桜ニ群鳩大花瓶 明治前期
春の盛り、鳩が桜の枝に止まり金の霞が全体に広がる華やかな花瓶。
複雑な浮き彫りを割らずに仕上げる技術は高いものだという。



高浮彫蛙武者合戦花瓶 明治前期
花瓶のまわりを武者姿の蛙が戦っている様子を浮彫に施した花瓶。
旗や纏、扇子を持った蛙の表情もユーモラス。



高浮彫四窓遊蛙獅子紐蓋付壺 明治前期
漢字がいっぱいの作品名がむづかしくて読めない。。
「たかうきぼりしそうゆうけいししつまみふたつきつぼ」と読むそうな。
壺の胴体に四つの窓をくぼませ、太鼓などを手にした蛙が一匹ずつ。
蓮や河骨(こおほね)の花が描かれ、点描で埋めた優雅な壺。



ここから下の画像はカタログより高浮彫と釉薬による作品。

上絵金彩帆立貝ニ魚蟹図花瓶 明治後期
上下に帆立貝を並べて輪でつないだ斬新なデザイン。
上部と下部底辺を別につくり、中にある筒状の瓶が見えるように
帆立貝と輪状の粘土板でつないで作ったという高度な技術の器。



高浮彫枯蓮ニ蟹花瓶 明治前期
秋の水辺にすすきが描かれ、折れた枯蓮が大胆に配された花瓶。
香山は高浮彫に枯蓮を好んで用いている。
左の枯れた葉の陰にはひっそりと蟹が隠れていた。



釉裏紅赤雲龍文花瓶 明治中期
暗雲たちこめる中、赤い龍が空を飛ぶ幻想的な花瓶。
酸化銅により赤と黒に発色した釉薬でこのような表情が出来たという。



今回の作品展は、「田邊哲人コレクション」から展示されている。
田邊氏は20代の頃から宮川香山の作品を海外から集めたのだという。
日本の美を自在に表現した宮川香山の
驚くべき作品の数々を間近で見られたことにより
陶器のすばらしさ、超人的な技術を誇る明治の作品に触れることが出来た。


超絶技巧 真葛香山展 日本橋三越本店

2016-02-29 | アート・文化

明治時代、「真葛焼」と呼ばれた陶器が世界から絶賛を浴び、
国内外の博覧会で数々の名誉に輝いた超絶技巧のやきものがあった。
その陶磁器師こそ「真葛香山」(本名:宮川香山)(1842~1916)。

今年は初代真葛香山の没後100年にあたり日本橋三越でその作品展があったので見に行った。

京都で代々焼き物を作陶してきた宮川家に生まれた香山は
京都の真葛ヶ原に生まれ、幼い時より父、長造に陶器や磁器の製法を学んだ。
明治4年(1871)、香山により窯を横浜へ移し、世界を牽引する名窯として隆盛をきわめたが
三代目の宮川葛之輔が宮川香山を襲名したのち
1945年の横浜大空襲で工房とともに香山も被災死し、
四代目の智之助の復興もならず、70年間「マクズウェア」として世界に愛された真葛焼は終焉した。

真葛香山という名は、窯が真葛ヶ原にあったことから「真葛」を
そして華頂の宮から「香山」の号を賜ったことに由来するという。

今回の作品は吉兆庵美術館の収集品から鑑賞できるもので
明治の衝撃を今に伝えてくれる。




初代真葛香山
真葛窯変釉蟹彫刻壺花活
   
褐色の器にはりついたワタリガニが横から見るともう一匹隠れているという驚くべき技法。
今にも動き出しそうだが、その生き生きとした表情と技術は超人的といえる。


古清水意真葛窯水差

清水焼の技法を取り入れ、茎と葉の部分が透かしになっており
爛漫と咲く菊の繊細さがさらに全面が透かしのように思わせる水差し。


乾山黒釉意梅之画香炉

黒釉に雪が積もった梅の風景。潔く、しかも優しい冬の香炉。

紫釉盛絵芙蓉二波大花瓶

「一生中之傑作」と伊東陶山をいわしめた花瓶。
波は動き、くだけて流れるその波間たわむれる白い芙蓉の花。

元禄人形置物
  
着物など、ゆるやかな曲線を作るのが難しい技術とされているが
陶器とは思えないやわらかさ。
徳川綱吉の「生類憐れみの令」の時代を表現している作品。

二代目真葛香山
青磁釉睡連ニ翡翠灰器

睡蓮の葉に蕾が置かれ、それを見る鳥の鮮やかさ。

色絵金彩舟形鳳凰盛花器

天に飛翔するような見事な姿。絵巻物を見る思いがした。


三代目真葛香山
白磁極彩色鳳凰置物

すべての羽根のすじが彫られたようなこの立体感。
鳳凰はもちろん架空の鳥だが、この世のものではない優美な姿、格調の高さに息を呑む。

黄釉色染付鳩之画花瓶

器の丸みに遊ぶ鳩が薄黄色の色に淡く描かれている。
いつまでも見ていたかった美しい黄色。

人間の技はここまで出来るのかと畏敬の念を抱かずにいられない作品たち。
大切に保存されてきた貴重な作品から明治の美と技を見ることが出来た。

現在、サントリー美術館でも「没後100年 宮川香山」展を4月17日(日)まで開催している。


松竹梅展 根津美術館

2016-02-10 | アート・文化

~新年を寿ぐ吉祥のデザイン~と題した「松竹梅」展を見に行った。
吉祥はめでたい兆し。
古来より寿ぎの意匠として松を神の依代(よりしろ)とし、
威厳に満ちた姿に聖なるものを、
竹は凛として伸びていく驚異的な姿に不思議な霊性が宿っていると信じられてきた。
そして寒さの中で木を彩る梅にはいのちの再生として喜びの象徴とされてきた。

それぞれが古来より意匠として作られた工芸品の展示。
美と技の吉祥文様を見ることが出来た。


チラシは「小松引図」で、小松引きは正月初めの子(ね)の日に野に出かけ、
小松を引き抜いて長寿を願う平安時代の遊び。
空白の中に父親と幼子をシンプルに描いた冷泉為恭(れいぜいためたか)の絵。

「松鶴図屏風」6曲1双 桃山時代 
雪を被った松の下に端麗な鶴が立ち、祝意を込めた冬の風景。
遠くは霞のようにぼやけ控えめな色調が格調の高さを感じさせる。


染付色絵松竹梅文皿 江戸時代
円形の皿に松竹梅の円を重ねた鍋島の皿。
まわりを毘沙門亀甲で描き、さらにめでたさを加えた器。


展示室2では「華麗なる能装束」展を開催。
「白地青海波扇文縫箔」江戸時代
能は江戸時代に大名の公式行事となったため能装束が発達したという。
金箔で青海波を描いた白地に刺繍された扇面が散った雅な装束。
10点の展示だったが、どの装束もためいきが出るほど見事なものだった。


展示室5は「百椿図」を展示。
新春恒例の百椿図展で、2巻の巻物にとりどりに描かれた椿の数々。
江戸時代に椿の園芸ブームが起こり、その時誕生した百椿図。
その品種も多いが、椿を飾る当時のあしらいが興味深かった。
花器はもちろん、高台、籠、和紙や扇の上に、また文に添え、鼓にあしらい、といったふうに。



季節の移りとともに人が自然を共にし、そこから生まれた様々なデザイン。
畏敬の念で描かれたもの、
あるいは美しきものを愛でて描かれたものなど
その時代を語る作品に触れることが出来た展示会だった。


舞台 「嵐が丘」 日生劇場

2015-05-19 | アート・文化

イングランドのヨークシャー地方に建つ「嵐が丘」と呼ばれる館を舞台に、孤児ヒースクリフとキャサリンの愛、
そして復讐を軸にエミリー・ブロンテが書いた不朽の名作が日生劇場で上演されている。



舞台は久しぶりにロックウッドが「嵐が丘」を訪ね、その晩にキャサリンの亡霊を見たと
家政婦ネリーに問いただしたことから物語ははじまる。

アーンショー家に引き取られた孤児ヒースクリフ。
その家に住む明朗活発なキャサリンはヒースクリフに運命的なものを感じ、
そのうちお互いに愛し合うようになる。
しかし兄のヒンドリーはヒースクリフに辛い仕打ちを繰り返し
アーンショーが他界し当主になると下男同様に扱う。
そのいっぽうでキャサリンはリントン家の息子エドガーを知り、
その紳士的な洗練さに惹かれて親交を深めていった。

激しい嵐の夜、キャサリンがエドガーから求婚されたことを
家政婦ネリーに打ち明けているのを近くでヒースクリフが聞いていた。
彼女は、粗野なヒースクリフとの結婚はあり得ず、不名誉な事だとネリーに言う。
それを聞いたヒースクリフは外に飛び出し、そのまま行方をくらましてしまった。

しかしキャサリンの言葉はまだ続いていたのだ。
ヒースクリフとは離れられない魂で結ばれている。自分たちは2人でひとつの魂なのだと。
そしてキャサリンは確信しているかのように言った。
「私はヒースクリフなのよ」

半分ずつの魂を持ったヒースクリフとキャサリン。
しかしこの時を境にヒースクリフの心に渦巻いていた憎悪は復讐へと変わり
それは子の代にまで及んでいく。

3年の月日が流れたある日、エドガーと結婚したキャサリンの前に
見違えるほどスマートになったヒースクリフが現れた。喜ぶキャサリン。
しかしヒースクリフは復讐へと向かい始めていた。
ヒンドリーは、妻がヘアトンを出産後、病死したことから酒と賭博に身をやつし
「嵐が丘」を借金の抵当に入れていた。
それをヒースクリフが肩代わりをして館を手に入れてしまった。

次の復讐はリントン家の相続権を持つエドガーの妹イザベラとの結婚。
だが愛のない結婚に絶望したイザベラはひとりでヒースクリフとの子リントンを出産した。

そんなヒースクリフに不安を抱いていたエドガーはヒースクリフとついに対立。
精神が不安定になったキャサリンは病の床に伏してしまう。
病床のキャサリンに会いに行ったヒースクリフは、エドガーと結婚したことをなじり、
亡霊になってでも自分のそばにいろ、とさらにキャサリンへの憎しみと愛をぶつける。
そしてキャサリンは、悲しみのうちにエドガーとの子供キャシーを出産して世を去ってしまった。

年月は流れ―
ヘアトン、リントン、キャシーの三人は成長した。
ヒースクリフの復讐に呑み込まれていく三人のいとこ同士。

キャシーはリントンと出会い意気投合するがリントンは病弱であった。
ヒースクリフはキャシーとリントンを無理矢理結婚させようとする。
自分の子供とキャシーが結婚すればエドガーの屋敷も自分のものになるというもくろみだった。
そして病に伏せていたエドガーは世を去り、病弱だったリントンも世を去り、
ヒースクリフはとうとうエドガーの屋敷も自分のものにした。

憎むべき相手への復讐はすべて果たしたヒースクリフ。しかし彼の心は闇の中に沈んでいた。
ヒースクリフを襲う虚無感は拭うべくもない。
孤独なヒースクリフを亡霊となったキャサリンが彼を呼ぶ。
それはヒースクリフだけに見える幻覚だったのか。
キャサリンの魂無くして生きられない悲運の男ヒースクリフは
壮絶な人生を終えた。
そしてヒースクリフの遺言通り、彼の亡骸はキャサリンが眠る墓地の横に埋葬された。

そして遺されたヘアトンとキャシーは次第に気持ちを寄せ合い
ヒースの丘で遊ぶのだった。
平和で若かったあの頃のヒースクリフとキャサリンのように。


この舞台では堀北真希演じるキャサリンを主人公として
家政婦ネリーの語りによって物語が進行していく。

堀北真希のキャサリンは品格ありながらも勇猛果敢な性格を出しているが
決してヒステリックではなく、その裏にある悲しみを秘めているように演じている。
激しさの裏にひそむキャサリンならではの愛の複雑さを強く、
また繊細に演じていた。

ヒースクリフの山本耕史は復讐の暗さはあまり感じないが
執念のような凄まじさがヒースクリフらしい。
見違えるような男になって登場した2幕目の黒い衣装は
現代風でどことなく死神のような印象。
ヒースクリフにまとわりつく数奇な運命のようなものを全身からただよわせていた。

この物語の重要な役割を担う家政婦ネリーを演じる戸田恵子は
もちろん文句なしの歌を聞かせて登場。
「嵐が丘」に起こる出来事すべてを観客に伝える台詞は長く、
緩急をつけて舞台を進行させる演技に感嘆。

ヒンドリーの高橋和也
屈折してしまった性格から自暴自棄になっていくもろさ、
ヒースクリフによって運命が狂ってしまう悲壮感をダイナミックに演じる。

ノーブルなエドガーを演じる伊礼彼方。
ノーブルな役は難しいと思うがキャサリンへ愛を捧げながらも
どこかキャサリンに寂しさを感じる青年だった。

イザベラを演じたソニン。
透る声が耳に心地よい。その分キャサリンとの言い争いの場面では
キャサリンより強い女性に感じてしまった。

小林勝也演じるジョーゼフは長年「嵐が丘」に仕えている。
個性的な人物でイギリスの片田舎にいそうな男の雰囲気をアクセントをつけて好演。

成長したヘアトンを演じた矢崎広は実際のヘアトンがそこにいるような
錯覚を感じた。オーディションでこの役が決まったと聞くがベストキャストだったと思う。


ヨークシャーのヒースの丘に重い雲がたれこめ、風が吹きすさぶその音は
今でもヒースクリフを呼ぶキャサリンの声のようでもあり、
ふたりの魂が彷徨っているようでもあるという。
死してなお愛し合うヒースクリフとキャサリン。
原題「Wuthering Heights」のWuthering(ワゼリング)はこの風の音からつけられた。

「嵐が丘」、この言葉を思い浮かべただけで胸に何かが沁み込んでくるようなものを
いつも感じるこの作品が私にとって特別なものになってから長い月日が経つ。
今回の公演が楽しみで、いち早くチケットを入手し待ち焦がれていた舞台だった。

脚本・演出 G2


草間彌生 バスと野外彫刻

2015-03-29 | アート・文化

昨年7月に前衛芸術家の草間彌生デザインのバスが
新宿ー松本間で運行が開始した。(アルピコ交通社)
長野県松本市出身の彌生さんに市が依頼して実現したという。
このバスに乗りたくて、昨年の11月に松本に出かけた。

彌生さんといえば水玉。その水玉模様と花や動物が描かれたカラフルな「彌生号 幻の花
1日1往復の運行。


ナンバーも「841(やよい)」と細部にまで凝っている。


座席のヘッドシートは「BODY-FESTIVAL」からデザインされている。


各座席のポケットに入っていたバスの絵のカード(非売品)
ふたつに折って飾れるようになっている。


そして松本市内を走っている彌生ちゃんバス「草間彌生 水玉乱舞号
東西南北の4つのコースがあり、松本駅からあがたの森公園、松本美術館や
旧開智学校などをめぐる。
タウンスニーカーとして市民や観光客のための便利な足になっている。


松本市美術館前に設置されている巨大なオブジェ「幻の花
高さ10メートルの花も永遠の水玉。
色々な角度から見ると、花も葉もまるで生きているような生命力にあふれている。







美術館入り口にある自動販売機も水玉。


ベンチも壁のパネルも水玉。


水玉は古くからあるモチーフだが、彌生さんの水玉はあの可愛らしい声と
話し方からは想像出来ないほどのエネルギーに満ちている。
どこまでもどこまでも続く永遠の水玉。
無数の水玉は草間ワールドとして今も魅力を放っている。そしてこれからも永遠に。


金子國義さん・・・

2015-03-21 | アート・文化

言い尽くされた言葉ではあるが、妖艶でありデカダンな雰囲気の絵で
知られる金子國義画伯が17日未明に他界した。
金子さんの絵「花咲く乙女たち」を見て
胸に衝撃が走った記憶は今も鮮明に残っている。
78歳。もう少し元気でいて欲しかったと思わずにいられない。。

 撮影 操上和美

金子さんが手掛けたワインのラベル。
バレンタインデー、ホワイトデー、母の日、と記念日のラベルが貼られている。
それぞれ発売されるたびに購入していた。



下は金子さんの作品と室内の写真が掲載されている「L’Elegance」
部屋の写真は、今まで何度も雑誌などでも取り上げられ紹介されてきたが
インテリアにもデカダンな雰囲気がただよい、
細部にいたるまで金子さんの美学によって飾られた魅惑的な写真集。
何度も見ている金子さんの世界。


あれは何年前だったか、人影のない夜10時頃の代官山。
私の前で突然車が止まった。
降りてきたのは金子國義さんだった。
近寄りがたいおしゃれな姿。オーラを放って路地に消えていった。
そして昨年、神奈川近代文学館の「泉鏡花展」で
最終日の最終時間にいらしていた金子さん。

私たちがまだ知り得ぬ不思議の国へ逝ってしまったけれど
どうぞ安らかに。


彫刻界の鬼才 石川雲蝶 

2014-10-31 | アート・文化

幕末から明治にかけて越後(新潟県)で衝撃的ともいえる彫刻を残した石川雲蝶。
その彫刻を実際に目にすれば、胸をわしづかみにするような作品に息をのむ。

今年は石川雲蝶の生誕200年。コスモスの咲く新潟県魚沼市へ出かけた。
画像は永林寺と西福寺の作品から。
内部は撮影禁止なので複数のパンフレットより撮影。

永林寺 「天女」
欄間に施された優美で華麗な天女。天女は音楽をつかさどるとされる。
 

「孔雀」
永林寺の欄間を飾る小鳥とたわむれる雄と雌の二部作より。


「流水」
同じく永林寺の欄間にある三つの龍から。
古来より龍は水神として火災から守る守護神といわれた。



そして西福寺。
いつの頃からか雲蝶は「越後のミケランジェロ」と呼ばれるようになった。
彼は彫刻だけでなく、絵画やこて絵にも優れた才能を持ち合わせていた為だとされる。

「道元禅師猛虎調伏の図」
道元禅師が修行中に虎に襲われそうになったのを龍神が救う様子が天井いっぱいに彫られている。
何層にも重なっているような圧倒的な透かし彫り。
ただただ息をのんで見入ってしまった。
岩絵具を使用しているため今でも色褪せない鮮やかさ。


下は天井の中の一部分で、松の枝から竜虎の戦いを見ている鷲。


西福寺の「雲蝶の間」に残る襖絵。
「春夏秋冬の花鳥」より (秋)


そして富士のたもとから空へ飛ぶ鳥をほどこした書院障子。
「三保の松原」


西福寺の外で自分が撮影できた雲蝶の作品。
天女は微笑みながら音楽を奏でる。雲間に浮かんだ人間味あふれる天女。


木から優美な流れが生まれる不思議さ。


雲蝶は1814年 (文化11年)江戸に生まれた。
その才から若くして江戸彫石川流の名字を許され、30代の時に越後入りした。
「良い酒とノミを終生与える」と言われたのがきっかけだったという。

越後の寺や神社に多くの作品を手がけた雲蝶。
彼は山里で雪深い冬を迎え、雪解けの春も夏も終生ノミを手に
作品に打ち込んでいただろう。
その時の音まで聞こえてきそうな雲蝶の情熱は、魚沼市のガイドブックに書かれているように
まさに「問答無用の素晴らしさ」であった。


デザイナー芹沢銈介の世界展 日本橋高島屋

2014-09-30 | アート・文化

民芸と出会い、自己の道を見い出して生活用品を美に高めた芹沢介の創作作品を見てきた。
デザイナーであり人間国宝でもある芹沢銈介の生誕120年の今年、
多くの作品をとおして「手仕事の普段使い」にある造形の自由と美意識を見た思いがした。
現在は横浜高島屋で10/6(月)まで開催 

下のチラシに描かれているのは「いろは文六曲屏風
のびやかな字にその音から始まる絵がそのそばに。「に」は、にわとり、「ち」なら茶碗という具合に。
謎解きをするように字と絵を見比べる楽しさにあふれている。



民芸運動の柳宗悦(やなぎむねよし)の「工藝の道」に感銘、そして沖縄への旅で紅型に出会い、
自分の道が明確になった芹沢は以後、自分の紅型を追求していく。
その創作は多岐にわたり、あふれるようなイメージから作り上げた作品は芹沢工芸になっていった。

(上) 「縮緬地型絵染着物」より
(下) 「型絵染筆彩着物」(着物型のカード)



着物のデザインは紅型のほかに、いろは文字やひとつのモチーフを連続させたものが多く
その斬新なデザインは、着物の概念をはるかに超えた美術品ともいえる。
中でもフランスの画家・バルテュスを感動させた赤地に鯛文様の着物は、大胆な構図と力強さが意表を突く。

下は「風の字文のれん
白い丸型の中に「風」の文字を藍の濃淡で。
1976年、フランス国立グラン・パレ美術館で開かれた「芹沢介展」では
この図柄と同じ壁掛けを元にしたポスターがパリの300カ所に飾られた。



デザインの型を切り抜き、染めに至るまで芹沢自身がすべて手作業で行った作品は
日本の春夏秋冬を取り入れ、多彩な表現によって
生活を快適にする術を残したデザイナーであったことを多くの作品から感じることが出来た。

  図案という「空」なものではなく具体的な「もの」に自分を見出したい (芹沢銈介)


「涼風献上」展 根津美術館

2014-08-16 | アート・文化

1ryohu

涼風献上とは夏の盛りに使われる言葉で
四文字で相手に心を伝える季節のもてなしでもある。
展示会では美術に描かれた「涼」の演出で夏の暑さを忘れることができる。


チラシに描かれているのは

鍾離権図 海北友松筆 桃山時代 17世紀
中国の八仙の一人、鍾離権を描いた絵で
仙術によって浮遊している姿を描いている。
髭や衣が風になびいてのどかな情景。



2ryohu_2




観瀑図 芸阿弥筆 室町時代 文明12年(1480)
重要文化財



ダイナミックに落下する滝の下を僧侶と童が茶室に向かっている。
大きく張り出した松の向こうには湖とたなびく雲を水墨画で描いた作品。

芸阿弥は室町時代の絵師、表具師、鑑定家。
足利義政に同朋衆(どうぼうしゅう)として仕えた。


文明12年、建長寺の僧祥啓が芸阿弥のもとで3年間の絵画修業を終え
帰るる際に送られたもので
美術史上、きわめて価値の高いものだという。








3ryohu 














染付雪芝垣文団扇形皿 肥前
(そめつけゆきしばがきもんだんせんがたさら)
江戸時代 17世紀


4ryohu



団扇をかたどった陶器の作品。
冴える青に、芝垣に雪が積もった皿は暑さの中で
冬を連想させる涼やかな演出。








柳燕図 単庵智伝筆 室町時代 16世紀

5ryohu_2 



つばめが自由に飛び交い、柳の枝が風にゆれる。
空間に吹く風が伝わる作品。






青花蓮池水禽文水甕 中国 明時代
嘉靖年間(1522~1566)


6ryohu








景徳鎮の窯で焼かれた水を入れる甕。
まわりには蓮の根や水草、水鳥などが描かれている。
水をたたえて蓮を育てたりしたのだろうか。


作品を見終って美術館の庭園に出てみた。広大な庭いっぱいの緑と
せせらぐ水の音でも涼を感じることができた。


魅惑のコスチューム「バレエ・リュス展」 国立新美術館

2014-07-25 | アート・文化

今も伝説となって語り継がれるバレエ・リュス(ロシア・バレエ)は
ロシアの天才プロデューサーであるセルゲイ・ディアギレフによって1909年パリで立ち上げられた。
オーストラリア国立美術館所有の140点におよぶ今回の衣装展は
舞台衣装が各演目ごとに配置されているので、当時そのままの衣装を真近で見ることが出来る。

1russes

ディアギレフのバレエは、アラビア、スペイン、インドや
ロシアの民族性を取り入れ、エキゾティシズムあふれる演目であった。
そこに美術、音楽、衣装など各分野に優れたアーティストを起用し
その情熱的で生命力に満ちたバレエはパリの人々を熱狂の渦に巻き込んだ。



そして舞踊の神ワツラフ・ニジンスキーの驚異的な跳躍、
さらには次々と起用したアーティストの総合芸術として
バレエ・リュスは革新的な存在となっていった。




2russes 



「アルミードの館」1909年
衣装デザイン アレクサンドラ・ブノワ


衣装に飾られたメタリックな模様やブレードは
ダンサーの動きによって光を放ち、
衣装の光と影でダンサー自身が浮かんだり沈んだり見えるドラマチックな衣装。






3russes 


「シェエラザード」1910年
衣装デザイン レオン・バクスト


バレエ・リュスの衣装デザインを一番多く手がけたレオン・バクスト。
この舞台でバクストは赤やオレンジ色などの東洋的イメージで鮮やかな色彩を用いた。
ダンサーたちが激しく踊る場面では
衣装の効果で色彩のスペクタルがつくりだされた。









4russes 



「牧神の午後」1921年
衣装デザイン レオン・バクスト


ドビュッシー作曲のギリシャを題材にした舞台で
ニジンスキーの露出した衣装と
ニンフのやわらかなプリーツとプリントが幻想の世界を作り出した。






5russes 

レオン・バクストの衣装を過ぎると、ナタリヤ・ゴンチャローワに変わり
さらにアンリ・マティスやジョルジョ・デ・キリコの
現代的アバンギャルドな衣装に変わっていく。

第一次世界大戦、ロシア革命という時代の波が大きくうねるその時にも
人々を独創的舞台で魅了した。


左は「舞踏会」1929年の舞台
衣装デザイン ジョルジョ・デ・キリコ





バレエ・リュスは1909年から1929年までの20年間の活動期間だったが
ピカソ、マティス、デ・キリコ、ジョルジュ・ブラック、マリー・ローランサン、アンドレ・マッソン、
ジャン・コクトー、ココ・シャネル、そして音楽のモーリス・ラヴェル、ボロディン、チャイコフスキー、
ストラヴィンスキー・・・と20世紀を彩るアーティストたちが関わった燦然と輝いた20年間であった。


衣装の他にデッサン画や当時の公演プログラムも展示されており
ディアギレフの審美眼によって
熱狂をもたらしたバレエリュスを知る資料として貴重なものといえる。
バレエ・リュス。
それはもう2度と現れることのない栄光と喝采のバレエ団として語り継がれ、
なお伝説となっていくのだろう。


舞台 「9days Queen 九日間の女王」 赤坂ACTシアター

2014-03-17 | アート・文化

「9days Queen 九日間の女王」は、堀北真希の主演により、16世紀のイギリスで
たった9日間の女王として悲運の生涯を閉じた実在の物語。雨が降った3月1日に観劇した。

9days_oueen 
「イギリスと結婚した」といわれるエリザベス1世が即位した
そのたった5年前の1553年、「9days Queen 」と呼ばれた16歳の少女がいた。
その名はジェーン・グレイ。

厳格なプロテスタントの家庭に育ったジェーンは
ヘンリー8世の未亡人であるキャサリンの宮殿で教育を受けた。
その宮殿では、当時の王エドワード6世とも交流があり
また家庭教師でジェーンの良き理解者でもあるロジャー・アスカムと
運命的な出会いを果たした。
宮殿のパーティでは、ジェーンの運命を狂わせる権力者
ジョン・ダドリーも顔を見せていた。
ところがキャサリンは再婚し、出産後に世を去ってしまいジェーンは親元へ帰った。


体の弱かったエドワード6世の病状も
この国の雲行きを怪しくさせていた。
ダドリーは次の王位継承をジェーンにするようエドワード6世に遺言を書き替えていた。
自分の息子ギルフォードとジェーンを結婚させ
自分の地位とプロテスタントの権力をさらに強めるためであった。

エドワード6世が崩御するとダドリーの画策によってジェーンは女王に仕立て上げられてしまう。
激しく拒絶するも運命の歯車を止めることはできなかった。
気の進まない結婚と女王の座。しかし悲運はさらに続く。

ヘンリー8世の血を引くカトリック派のメアリーが王位継承者は自分であると主張。
ジェーンは反逆罪に問われる。
絶望にくずれ落ちるジェーンであった。
しかしメアリーは改宗するなら処罰しないと申し出る。
ジェーンを見守っていたロジャーの必死の説得にもかかわらず彼女は死を選んだ。
それは自分の尊厳と誇りを守るものであった。

半年の幽閉ののち処刑される日。
あまりの悲しみに失神する侍女に代わり、自らの手で目隠しをしたジェーンは
「断頭台はどこですか」と白い手であたりをさぐった。
たった9日間の女王の気高い最期であった。

9days_oueen2
堀北真希の発声は明瞭。しかも白いドレスが懸命に生きようとした
ジェーンを象徴するようでもあった。
家庭教師でありストーリーテラーでもある上川隆也は
影が語る眼差しのようでもあり
ドラマをより深くさせる存在として厚みを加える。
声質から強い役のほうが合っていたと感じた田畑智子。
そしてどの役者も人物の個性をうまく舞台に乗せていて短期間の公演が惜しい気がした。

ジェーン亡きあとイギリスはメアリー1世の時代になるが
プロテスタントへの迫害を強め「ブラッドメアリー(流血のメアリー)」と呼ばれたが
5年の在位で終結。エリザベス1世の時代になり宗教解決が行われた。

宗教と権力の争いが絡み、その渦に巻き込まれたジェーン・グレイ。
短い生涯ではあったが、自分を信じて生きた彼女の魂は
肉体を離れてもなお歴史の中に生き続けている。


星を賣る店 クラフト・エヴィング商會のおかしな展覧会 世田谷文学館

2014-02-07 | アート・文化

Tenrankai_2



世田谷文学館に「開店」した「星を賣る店」に行った。
展示されている白い箱に納められた数々の品。
それは記憶の彼方に眠っていたもの、
あるいはクラフト・エヴィング商會が創りだした魔法により
物語のメタファーとなってよみがえってきたかのようだ。

 それらは雲砂糖であり、ディナーツアーのチケットであり、
声の棺、夜光繪具のチラシとなって記憶と想像の映像が「物」になって箱に入っている。
実際にあるものと、架空のないものの混合作品は
商品番号が打たれ
私たちは棚卸しの「商品」を夢と現実の迷宮でさまようことができる。



Tiket_2



イナガキタルホの小説と同じ名のこの「星を賣る店」では
入場チケットの中央にある小さな星がくり抜かれ
集められた星々も商品となって箱に入っている。







そして次の展示場。
黄昏どきの町の角を曲がったら、ふと現れた書店。
看板を見たら「一角獣書店」とある。
今もどこかの町にあるのか。
それとも半過去の場所にまぎれ込んだのか・・・。
いや、ここは月舟町なのだ。
隣はオルゴールの音色のように文字を紡ぎだすクラフト・エヴィング商會の創造の作業室。

クラフト・エヴィング商會の吉田浩美・吉田篤弘夫妻が手がけた著作・装幀本のコーナーでは
異次元の夢を求める人のもとへ、本が羽根を借りて今にも翔び立たたんとするかのように並んでいた。

                 1月25日(土)~3月30日(日)まで


Madame Yevondeはすてき

2013-07-29 | アート・文化

Yevonde 
「Madame Yevonde」のタイトルがついたCD。
サウンドはアッという間に終わるが
Madame Yevondeが撮影した女性の写真が使われている。

Yevondeはイギリスの写真家で知る人ぞ知る存在で1893年生まれ。
作品は主に肖像写真が多く、特に神話からイメージした写真は
高いデザイン性で圧倒的でさえある。
CDの写真は「女神シリーズ」でブリジット嬢を撮影したもの。(1935年)
写真集を紹介したいが著作権が有効のようなのでこのCDで。

                    Be Originar or Die
                オリジナルであれ さもなくば 死を     (Yevonde)