私が“永遠の悪童”ロマーリオの名前を初めて知ったのは1988年のソウル五輪で得点王を獲得した時だったが、本当にその才能を知ったのはやはりバルセロナ(スペイン)、そして1994年のW杯アメリカ大会での活躍だった。W杯予選でブラジルは苦戦をするもロマーリオは代表に召集されず、最終戦となった対ウルグアイ戦に出場、試合前に予告したとおり2ゴールをゲットしてアメリカ行きを決めた。本大会前にも様々ないざこざを起こすがいざ大会が始まると突然優等生に豹変、ベベトとの2トップでゴールを量産してブラジルの4度目の優勝に貢献した。予選リーグの対ロシア戦で、左からのコーナーキックを相手選手の背後から右足で合わせて決めた得点は私のフェイバリット・ゴール。当時所属したバルセロナではストイチコフとの悪童コンビでリーグ4連覇に貢献、入団当初の公約どおり1シーズンで30ゴールを叩き出す。その後は当時の監督クライフとの確執等お決まりのゴタゴタでブラジルに戻り(一時期同じスペインのバレンシアにも所属)フラメンゴ、古巣であるバスコ・ダ・ガマやフルミネンセ、さらにはカタールのアル・サイードにも期限付移籍、昨年は引退騒動もあったが、現在はバスコに舞戻り相変わらず言いたいことを言い、やりたいことをやっている。代表では1998年のW杯フランス大会直前に落選。当時代表のテクニカル・コーディネーターで既に犬猿の仲だったジーコ(ちなみにロマーリオはW杯優勝経験のないジーコを“敗者”と呼ぶ)との溝を更に深めた。また大会前年に行われたフランス・プレ大会でのロナウドとの「RO―ROコンビ」は迫力満点だった。2002年日韓大会では南米予選には召集されたが、怪我のため本大会出場はならなかった。彼以外にも優秀な選手はいくらでもいるしそれは否定しない。私がロマーリオに惹かれるのは彼の才能は勿論だが、やはり真面目な日本人には理解しがたい刹那的、アウトロー的な生き方だろう。最近ではクラブ側も選手を獲得する際には性格や私生活等にも配慮するようになって、いわゆる問題児タイプの選手があまり見当たらないのも事実。ロナウジーニョ、アドリアーノ・・・カカにいたっては超のつく優等生だ。残念ながら現在のサッカー界では、もうロマーリオのようなタイプの選手は今後二度と見られないのかもしれない。
本名:ロマーリオ・ダ・ソウザ・ファリア 1966年1月29日、リオ・デ・ジャネイロ州で塗装工の長男として誕生。その名前は当時のTV番組「ドン・ロマーリオ生き字引」から名づけられた。身長169センチ、体重70キロ、愛称はバイシーニョ(ちびっこの意)。9歳の時地元のクラブ、エストレーニャに入団。その後2部のオラーリアでプレー、‘85年バスコ・ダ・ガマで念願のプロデビューを果たす。‘87年の対イングランド戦でセレソンデビューを飾り、‘88年のソウル五輪では得点王となる。翌年オランダのPSVに移籍、5年間の在籍中に3回の得点王に輝いた。‘93年に年俸1億円でバルセロナに移籍、30ゴールを記録してリーグ4連覇に貢献した。また、‘90年のW杯イタリア大会では召集されたものの冷遇されたが、‘94年のW杯アメリカ大会ではMVPを獲得。以後は上記のとおり。
最後に、現在は手に入れられるか分かりませんが、ロマーリオのプレーを楽しめる主なビデオを参考までに紹介しておきます。
1:コパ・アメリカ‘89決勝リーグ最終戦 南米4強激突!優勝への挑戦 ブラジルvsウルグアイ(TDKコア株式会社 VHS101分)廃盤?
2:9thトヨタカップ1988 ナシオナル・モンテビデオvsPSVアイントホーフェン(TDKコア株式会社 VHS164分) DVD版(PIBW-7138)が発売
3:オランダリーグ92-93 ベルカンプvsロマーリオ熾烈な得点王争い!!(株式会社日本スポーツビジョン VHS90分)廃盤?
4:93-94スペインリーグ 強運バルセロナ・奇跡の逆転V4 (学研 VHS55分)廃盤?
5:ロマーリオ&ストイチコフ 怒涛のベストゴール集of 93-94スペインリーグ(学研 VHS55分)廃盤?
6:ワールドカップUSA94 ブラジル優勝への全軌跡(ビクターエンタテイメント株式会社 VHS60分)廃盤? DVD版あり?