慈善試合として行われる予定だったニュージーランドとの対戦は、同国サッカー協会が代表の派遣を拒否したため中止に。試合会場が安全な地域だとしても海外諸国から見れば宮城も大阪も福岡も同じこと。混乱状態にある国へ大事な選手達を送り出すことができるのかどうかは、逆の立場になって考えれば自ずと分かるというものです。これを受けて協会は急遽Jリーグ選抜とのチャリティーマッチに変更して行うと発表。スポンサーからのプレッシャーなのか、はたまた単なる会長の手柄ほしさなのか、なにがなんでも今月中に開催するというその姿勢には正直なところ頼もしさよりも疑問を感じてしまいます。
今回のタイトルは17日の中日新聞夕刊に作家の高村薫さんが寄せた「社会時評」の見出しを拝借させていただきました。紙面では表題こそ「東日本大震災」となっていましたが、とりあげていたのは現在この国が抱えている政治や行政、経済等の問題で、その状況は今回の地震が発生する以前はもちろん、以後も全く変わっていないこと。そして被災者ではない国民が被災者に代わって注視しなければいけないことを指摘しておられます。
話を震災に限ればどうなのか。日用品等の買占めに走る馬鹿、被災現場等に無意味な激励電話やメールを入れる阿呆ども、義援金と称して詐欺を働く極悪非道の輩、そして発生からまだ1ヶ月もたっていないこの時期、まともな日常生活さえ送ることができない方が多数おられる中、「勇気を与える」などというきれいごとを建前に厚顔無恥な老人の一声で開幕が決まってしまうプロ野球セ・リーグ・・・と、まさに“被災しなかった人の理性が問われる”ことばかり。
被災者の皆さんを直接手助けする時間も術も持たない者が今できる最低限のこと。それは彼らの存在を気に留めつつ、これまでどおり日常生活を続けること。そしてボランティアや募金活動をする機会にめぐり合えた際にはくれぐれも自己満足で終わらないようにすることでしょう。引き続き一人でも多くの皆さんの命が助かることを祈り、一日でも早く復旧の見通しが立つことを願っております・・・。