佐藤哲也さん、『ぬかるんでから』

 『ぬかるんでから』、佐藤哲也を読みました。

 “改めて指摘するまでもないだろうが、我々がこうして夜を日に継いで過ごしているこの世界は意外なまでに不可解で、いつもどこかに危険な謎を潜ませている。その不可解な部分に果たしてこの世界の本質が隠されているのか、それとも世界の本質によってその不可解な部分が隠されているのか、だとすれば世界の本質とはなんなのか。” 211頁

 おおお面白い。面白すぎる…。佐藤さんの本は二冊目です。連休中に少しずつ読んでいたので、一つ一つの物語の旨味をゆっくりとしゃぶり、じ~んわりと全身に浸透させながら楽しむことが出来ました。愉楽愉楽♪ やっぱり私はこっち側がいいな。整いすぎた世界よりも。

 収められているのは、「ぬかるんでから」「春の訪れ」「とかげまいり」「記念樹」「無聊の猿」「やもりのかば」「巨人」「墓地中の道きり」「りす」「おしとんぼ」「祖父帰る」「つぼ」「夏の軍隊」、の13篇。
 白いページから盛り上がってきそうなほど、文章が緻密で分厚くて、それでいてガツンと突きつけてくるリアリティは有無を言わさぬ直球です。兎に角文章に力があるので、どんどんひき込まれて前のめりになりそうですよ。
 たった一つの文章で、目の前の世界が一変する。足元がぐらついて膝を突き、次に目を上げたときにはもう目の前の景色は、いっそ“不条理”いうタイトルをつけて額に入れて飾ってあげたいぐらいに、ただただ不条理なのです。ううむ。

 始めの方の4作品が夫の視点から描かれているのですが、「男の人の立場から見ると、妻ってこんなに不条理な存在なの?」と思って、一瞬頭の中が真っ白になりました。いやいやいや、そんなことないでしょ…。でも多分夫婦なんて、時々相手が謎の塊になることもあるし、それはそれで楽しいことなのでは…などと、結婚5年目の若輩者は思うのでした。…ま、いっか。

 私が好きだったのは、「無聊の猿」とか「やもりのかば」。それから「巨人」も笑った笑った。「祖父帰る」にも多いに笑い、「つぼ」の長過ぎる前置きがまた堪りませんでした。うだうだと前置きばかりが続いて、話がなかなか始まらないのに、その前置きの中でふるまわれる薀蓄が、どこまで真面目なんだかわからないけれども妙に面白くて、語られんとしている物語への期待が高まってしまうのです。で、その期待がピークに達したところで突き落とされると言う…。
 またぱらぱらと読み返していると、どの作品も冒頭が素晴らしいです。いきなり核心近くまで引きずりこむような書き方もあれば、読み手を煙に巻いて戸惑わせるようなそれもあるし。そしてまた、ラストとの呼応がとても見事な作品もあります。
 (2007.9.24)

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