松浦理英子さん、『葬儀の日』

 表題作は、78年に新人賞を取った作品である。当時松浦さんは20歳で、この処女作を書いたのは19歳の時になるらしい。 
『葬儀の日』、松浦理英子を読みました。

 “肥満した体のどこがどう嫌なのかは唯子自身にも充分に説明できない。(略)立ち上がるとゼリーのように床に崩れてしまいそうなところとか、いくらでも嫌な点は挙げられる。自分の体をつくり上げて行こうとする意志が少しもなく、ただ放恣に自らを外へと拡げている無神経さが耐えられない、と理屈をつけることもできる。が、それだけでは言い尽くせない。” 176頁

 収められているのは、「葬儀の日」「乾く夏」「肥満体恐怖症」の3篇。
 表題作は、とても悩ましい作品でした。これは凄いぞ凄いぞ…とぐいぐい引き込まれていくのだけれど、そこに描かれている寓意を推し量ろうとすると、指の隙間からすり抜けてしまいそうな感じです。冒頭ですぐに、主人公が葬式で泣くのが仕事の「泣き屋」であることがわかります。で、泣き屋の風習って実際にあるところもあったし…と思い、あまり引っかからずに先へと読み進んでいくと、「泣き屋」という存在とは別に、葬式における皮肉な演出を担う「笑い屋」という仕事があることもわかってきます(この設定が面白い!)。そして彼らの世界には、最高の組み合わせとなる相手がいるらしいことも。

 まるでお互いの鏡像のような、「泣き屋」の私と「笑い屋」の彼女の関係。本来ならば一人であるはずのところの人格が、二人に分裂してしまっているから、くるおしくも離れがたく結びつき合ってしまうのか。それとも、誰もが生まれつき抱えている空隙を埋め合える、唯一の存在である魂の片割れ同士が、幸か不幸か出会ってしまったから、どこにも行き場がなくなってしまったのか…。
 どんな隙間も残さず完璧に寄り添い合える相手。何も与えず何も受け取らない、名づける必要すらない圧倒的な関係。もし、本当にそんな存在を知ってしまったら、人はその場所から動くことが出来るのでしょうか…? そして、彼女たちは?

 「乾く夏」は、全く設定は違うけれどもやはり「葬儀の日」で扱っているような、“強烈に惹かれ合い離れ難い二人”が出てくる、ヒリヒリとした作品でした。この、ある意味完璧だけれども破滅へとしか向かって行かないような人間関係って、松浦さんの作品では欠かせないモチーフとなるようです。

 で、「肥満体恐怖症」ですが、これはかなり好きでした。タイトルだけでも喰いつきますね。
 大学寮の通称タコ部屋で3人の先輩と共に暮らす主人公唯子が実は肥満体恐怖症で、なのに何の因果か同居人たちは3人が揃いも揃ってかなりの所謂デブである。と言う設定で、唯子の中に渦巻く拭いがたい3人への嫌悪感は、センシティブであると言ってもいい程ですし、またそれを煽るような3人の描かれ方が凄いです。文章に迫力があると言うか、主人公が3人から受けている圧迫感が、行間からこぼれ出しそうに迫ってきます。肉感とか体温とか。
 すっかり圧倒されながら読んでいくと、そもそも何故唯子は肥満体恐怖症になってしまったのか?という核心へと、近付いていくことになります。一気に読ませる力を持つ、読み応えのある作品でしたよ。
 (2007.9.20)

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