計算気象予報士の「知のテーパ」

旧名の「こんなの解けるかーっ!?」から改名しました。

本番まで一週間を切りました・・・

2009年11月28日 | 気象情報の現場から
 最近は、事業仕分け関連でなかなかスリリングかつエキサイティングな日々を過ごしています。何だかんだ言っても、ここまで政治の動きに興味や関心を持つようになった事は大きいと思います。文部科学省への意見メール送信も終わった所で、気象学の講義の準備も大詰めの段階です。

 そう、いよいよ12月上旬に「計算局地気象学・特論」の特別講義と称して、遂に大学院(機械工学系)の教壇に立ちます(たった2コマですが)。今回は、工科系大学院の学生さん向けと言う事もあり、うっかり理系用語を出してしまったり、複雑な数式の話になってもノー・プロブレム(むしろウェルカム)なのがありがたい事です。担当の先生からは「内容は自由(一切をお任せ)、とにかくわかりやすく解説する事」と言う御要望なので、換言すると「私のやりたい放題」と言う事になります。

 それならば!と、かつて気象予報士試験の勉強していた当時の私が「こんな解説を受けたかったんだよ!」と思えるような内容を目指しつつも、限られた尺(時間)の中で効率よく進めなければならず・・・と言った感じで、日夜解説の仕方の研究も進めています。これまで、自分の専門分野についてこのような形で講義をする機会が無かったので、今は何をどのように解説するのが良いのか?と、試行錯誤の連続です。いくら塾講師の経験があるとは言えども、塾の場合は良く出来たテキストがしっかり用意されており、カリキュラムも明確に(厳格に)定められています。一方、今回の講義は公式テキストもなければ、ガイドラインとなるカリキュラムさえありません。全てが手探りの手作りです。

 巷では、気象予報士試験については数学や物理が苦手であっても合格は十分可能と言われています。これは、紛れも無い事実です。天気図等の各種資料を読みこなし、大気の壮大な動きや挙動を把握・認識し、これを堪能するのであればそれでも良いでしょう。しかし、様々なデータを科学的に解析し、物理学の法則に立脚した解析モデルや理論の構築を図るのであれば、これは全く別の話です。この能力は一朝一夕に涵養できるものではなく、十分な数式操作のトレーニングや物理現象に対する理解や考え方を身に着ける必要があります

 大学院の学生さんがこれまで大いに学び、存分に鍛え上げてきた数学や物理の諸理論や専門知識(特に熱や流れ、乱流に関する諸工学)が、どのように身近な物理現象である気象にリンクしていくのか、そしてどのようなプロセスで新たな理論構築(解析モデルの構築)を図っていくのか、と言う部分を解説したいと考えています。だからこそ、私は講義内容のレベルについては、一切下げるつもりはありません。それは逆に言えば、講師の側にとっては物凄く高いハードルを自らに課すようなものです。ハイレベルな理論や概念を、限られた時間の中で、わかりやすく解説しなければならないからです。これはある意味・・・「賭け」です。

 もし、講師の側(=私)が楽をしようと思えば、それこそ中学校の理科2分野で学ぶようなお天気の内容を中心に解説すれば事足りるのです。しかし、そのような内容であるならば、私が講義をする意味はありませんし、何より相手に対して失礼な行為であると考えます。むしろ、自分がこれまでに試行錯誤を経て至りついたある種の「悟り」を説く事が、今回の講義では求められているのだと思っています。

 かつて私は悩んでいました。地衡風の式、温度風の式、大気大循環、ジェット気流・・・これらの概念がどうやって一つの全体像の結びつくのか。これらの概念が一つの流れやイメージとして結びつく姿が掴めなかったのです。2種類の通信講座を受講した際に、色々と質問して、参考になる回答は頂いたのですが、自分の満足のいくものではありませんでした。確かに、物理的なイメージというものは掴むのも去ることながら、これを直感的なイメージに表現する事が難しいのは事実です。

 あれから幾年月が流れ、今度は私がこの問いに対する答えを講義する立場になりました。今ではパワーポイントという便利なツールもあるので、色々なイメージを簡単に書く事が出来ます。私の講義では数式も出しますが、数式の誘導よりもむしろ数式に込められた物理的な意味を直感的なイメージでわかりやすく解き明かしたいと考えています。これは勿論、受講生となる学生さんへ向けたものであると同時に、かつて独りで悩んでいたあの頃の自分に対する「回答」でもあるのです。実は、今回の講義の準備を通じて「なるほど、これはそう言うことだったのか!」と漸く疑問が氷解した局面が何度もありました。この感動をどこまで伝えられるかはわかりませんが、出来る限り、しっかりと伝えたいですね。

 配布資料も既に大学側にメール送信しており、先方で印刷及び事前配布してくれていると助かるのですが・・・。

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ベンチャー企業が国際研究チームに勝利できたのは何故か

2009年11月25日 | オピニオン・コメント
 理科系の大学・研究室は、例え地方や田舎に在っても、常に国際的な評価や競争にさらされています。また、国内外の企業や研究機関との共同研究によって、外部からの評価を受ける一方、産学連携という形での社会貢献にも寄与しています。

 これは教官(教授・准教授・講師・助教)やその他の研究者はもちろんの事ですが、大学院生、さらに研究室によっては学部4年生までもが、このような大プロジェクトの要員として参加し、鍛えられ、経験を積んでいます。さらにその前段階の学部時代でも、彼らは実験や実習・演習に追われ、基礎学力を涵養すべく日夜、努力し続けているのです。

 そうして大学や大学院を卒業・修了して社会に飛び立ち、様々な方面、様々な現場に科学技術の専門家として巣立っていくのです。この社会の中で言わば縁の下の力持ちとして、科学技術立国の基盤と生命線を支えています。

 私はかつて半導体業界に居りましたが「メガ・コンペティション」「ドッグ・イヤー」という言葉が日常的でした。今改めて考えると、国際的な科学技術の開発競争は今や「戦火なき戦争」の様相を呈している、とさえ感じています。

 私は、あるエピソードを思い出しました。

 2000年4月6日、米国の民間企業セレラ・ジェノミクス社が、ヒトのDNAの全塩基配列の読み取りを完了した事を米国下院公聴会において発表しました。この衝撃的な発表によって、セレラ社は、各国のゲノムセンターや大学などによる国際ヒトゲノム配列コンソーシアムによって組織された公的なヒトゲノム計画との競争の正式な「勝者」となったのです。これは公共プロジェクトのスケジュールはもちろん、セレラ社自身の予定をも数ヵ月先んじる結末でした。

 そもそも公的なプロジェクト1990年に米国のエネルギー省と厚生省によって30億ドルの予算が組まれて発足し、当初は15年間での完了が計画されていました。セレラ社がヒトゲノムの塩基配列解析に着手したのは、この9年後の1999年9月のことで、それ以来メディアのみならず政府からも重大な関心をもって注視されてきました。

 セレラ社は、ショットガン・シークエンシング法という新しい方式でシークエンシングを行い、新たに発見された遺伝子を特許化しようとしました。この方法は、長いDNAの塩基配列の決定に対して適用される配列決定手法で、民間としては最大のスーパーコンピューターと称するものが数ヶ月にも渡ってフル稼働したとされています。

 後発の一ベンチャー企業が、先発の国際研究チームに勝利した─その事実は、当時田舎の大学に籍を置いていた私にとっても衝撃でした。そして、その勝因の鍵となったのがスーパーコンピュータでした。もちろん、ただ巨大なハードがあれば良い、と言うものではありません。このハードを使いこなすソフト、それ以前にそれらを産み出す優秀な頭脳が揃っていた、という事実に驚きです。

 世界中の様々な科学技術分野で、このような「戦火なき戦争」が繰り広げられていると言っても過言ではありません。

 日本が科学技術立国の看板を下ろし、それに替わり得る国際的なアドバンテージやレーゾンデートル、ポジショニングを国家戦略として示す事ができるのであれば一刻も早く御提示頂きたい。科学技術については中国を始めとする、アジアNIES(=新興工業経済地域)の発展も目覚しく、このままでは本当に日本の国際的な存在感や発言力が低下し、「ジャパン・パッシング」が現実のものになりかねない、との危機感を覚えています。
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地方の若者のため息?

2009年11月22日 | オピニオン・コメント

<特集ワイド>地方女子のため息 30歳は分岐点?結婚・出産は自立への免罪符?


 何故、若者が故郷を離れて都会へ出たがるのか・・・このような所にも理由が隠れているのかもしれません。地方自治体では少子化対策として「婚活」支援事業を行っている所もあるようですが、事の本質はもっと「別の所にも」あるような気がしてなりません。そして、この記事で述べられている「漠然とした息苦しさ」は、何も女性だけに限ったものではないと思います。ただ、女性の方がより悩みが深いのかもしれませんね。

 現在は「人間関係が希薄」と良く言われます。確かに「以前に比べれば」人間関係が希薄になっているのは事実でしょう。しかし、この「基準」となっている「以前」の状態が、記事に述べられているように「人間関係が濃密で世間の目に縛られがち」であったがゆえに、「世間体」の名の下に個々の人格と自由が過度に縛られすぎてはいなかっただろうか、と見る事もできるのです。

 「現在は人間関係が希薄になった」という言い方と「以前に比べれば、現在は人間関係が希薄になった」では、指摘している事実は同じでも、受ける印象は違います。前者はわりと否定的なニュアンスが強いですが、後者はより客観的なニュアンスを受けます。

 また、同じ「人間関係が濃密」な状態であっても、その内容が「人情味のある温かい交流」であるのと「衆人監視の管理社会」であるのとでは、大きな違いがあります。現在の状態も、過去の状態も、一概に良い・悪いで割り切れるものではなく、時代の流れに伴う様々な価値観のスタンダードの変化に対応していく事が求められていくのかも知れません。

 すなわち、一人一人の人生と人格が互いに独立して存在し、その各々の人生が自主・自律と二重の自立(精神と経済の自律)に基づくものと考えています。自分の信念・理念をしっかりと持った者同士が互いに交流する、そのような時代に変化しているのかもしれません。自分の人生を、自分の手で、自分の力で切り開く事に挑戦したい、そう言った前向きな意志を持って、故郷を飛び出し、新しいステージへ飛び出そうとする事は、決して否定されるべきではないと思います。成功や失敗を繰り返す事で、人は学び、成長する事が出来ます。

 閑話休題。記事の中にある「地方が豊かだった時代はいいが、豊かさが失われた今、地方に残るのは、古い意識だけです」と言う指摘が、特に衝撃的でした・・・。

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科学技術の陽はまた昇る・・・と信じたい。

2009年11月20日 | オピニオン・コメント
川端文科相、次世代スパコン予算確保目指す意向(読売新聞) - goo ニュース

 次世代型スパコンやロケット開発に「ノー」という科学技術への「事業仕分け」は確かに衝撃ですが、政権に対する評価については少なくとも4年間のスパンで見なければならないだろうと思います。とは言え、この仕分けの結果は、私の中でもどのように理解すべきか悩ましい現実でした。

 確かに「事業仕分け」によって、訳の分からない団体や基金と言った意義不明な事業や、得体の知れない独立行政法人をあぶり出し、国民に明らかにした上で公開の場で精査した事の意義は大いにあると考えます。これはどんどんやって然るべきと思います。それだけに、この事業仕分けそれ自体を否定するつもりはありません。国家の予算が限られている以上、優先順位をつけるのは当然です。

 敢えて理想論を言えば、国家の事業戦略やビジョン、政治哲学が始めにあり、それを受けてその後の行政運営や仕分けに反映されるのが筋ではないかと考えます。そのためにも、国家戦略局の手腕に期待したい所ではありますが、今回はその順序がごちゃ混ぜになっていた感が否めません。

 今回の一連の出来事は、科学技術の研究開発に関する国家戦略・国家ビジョンが明確にされないまま、そして科学技術の存在意義が理解されないまま、我が国の未来の発展の芽が摘まれた感は否めません。

 いやしくも、この日本が「独立主権国家」として諸外国と渡り合って来れたのは、やはり「科学技術立国ニッポン」としての実績があったからであり、この事実を忘れてはいけないと認識しています。この国には資源も無く、食料自給率も低く、安全保障にも他国の力を借りなければならず・・・そんな状況下で国際社会の荒波を渡り合っていくためには、この国のアドバンテージをギャランティーしなければならないのです。

 それが「科学技術」だったのです。

 これからも「科学技術立国ニッポン」の御旗を掲げ続けていくためには、理科系の人材育成がより一層重要性を増してくるでしょうし、一刻も早い国家戦略・国家ビジョンの明確化が求められる所です。

 これからは、科学技術に関わる専門家一人一人が現場から声を上げて行く事がより一層必要になってくるでしょう。さらに、科学技術の対する理解が広まるためには、各分野の専門家が研究室を飛び出して、広く一般市民に対して、知識や知見の普及に努める事が大切なのではないかと思います。

 スパコンに限らず、研究開発には莫大な資金を必要とする分野は少なくありません。しかし「予算が無いから研究開発が出来ない」ではなく、「この条件でも絶対に成功させるんだ!」と言う情熱と気概、そして信念を大切にして欲しい、と願わずにおれません。理系の強さは何も専門知識や技術だけではありません。例え日陰にあっても、華やかでなくとも、自分の成すべき研究や仕事に対し、情熱と気概と信念をもって只管、地道に挑み続け、いつの日にか自分の花を開かせる強さを持っているのです。

 これまでの歴史の中で、多くの科学者・技術者の努力と情熱が、多くの不可能を可能にしてきました。このような逆境を受けて、私も理系同志の一人として、科学技術者の皆さんにエールを送らずにはいられません。私も、自分の分野でしっかりと努力し続けるつもりです。


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これからの新しい気象予報士の姿とは?

2009年11月13日 | オピニオン・コメント
 気象学に関する講義・講演の準備も進んできています。もう1ヶ月を切りました。気象学の基礎理論や技術的な内容はもちろん講義を展開しますが、私が講演する以上、やはり「これからの気象予報士の方向性」は、やはり外す事が出来ない重要なテーマです。これは、これまでの気象予報士としての歩みの中で、常に悩み、迷い、格闘してきた重大な問題です。もし、気象学の理論だけであれば、何も私でなくとも、それ相応の大学の先生や気象台の職員の方にお願いをしても良いのです。しかし、「敢えて」この私にお声を掛けて頂いたということは、これまでの私の壮絶な?波乱万丈の?人生経験を基にした「私なりの(オリジナルの)」見解を求められているのだ、と解釈しております。だからこそ、これまで自分が悩み、迷い、試行錯誤を続けてきた、そしてその結果至りついた現時点での自分なりの見解とやらをお話したい、と入念に準備をしている所です。

 これからの新しい気象予報士の姿とは「局地気象という身近であり、かつ多大な影響を及ぼす物理現象を、独自のノウハウや解析技術を用いて、地域特有の気象特性やポテンシャルを専門的な立場から診断し、その知見をユーザー対してわかりやすく伝える存在」ではないかと考えています。

 世間一般では、現在も尚、局地気象の特に数値シミュレーションの実用分野は「予報」に限定されているかのような印象を受けます。実際には多くの気象予報士の方においても然りではないでしょうか。しかし、実際にこの十余年に渡って局地気象の数値シミュレーションの諸問題に関わり続けて感じたのは、シミュレーション(仮想実験)には大きく2つの形(実用の方向性)があるという事です。一つはもちろん「予報(forecast)」であり、もう一つは「想定(assumption)」です。

 予報とは「これから(ある程度特定された未来において)~~となるでしょう」という情報ですが、想定とは「もし──の条件が成立した場合は~~となるでしょう」という情報です。どちらもその性質上「現象の予想」ではあると考えられますが、後者は気象業務法の制約を受ける「予報」の類ではないと考えます。後者の場合の気象予報士は独自の「予報」を行う事はありません。しかし、それは気象に関する「予想」行為を一切排除するものでは決して無い、と言う事です。

 話は逸れますが、「弁護士」を英語では「lawer (ロイヤー)」と書きます。これは「law (法律)+er(~する人)」で「法律をする人」になります。予報士(予報官)は「forecaster」と書きます。これは、先ほどと同様の考え方で書くと「forecast(予報)+er(~する人)」で「予報をする人」になります。しかし、気象予報士の実際はただ単に「予報をする人」の枠に留まらず、広く「気象をする人」としての地位を確立しつつあります。その意味では、気象予報士は単なる「forecaster」の枠を逸脱して「meteorologist 」と理解されるべき存在になりつつあると考えられます。

 周知の通り、弁護士の仕事としては訴訟行為がまず挙げられますが、この他にも代理交渉、法律事務等の業務もあります。あくまで「訴訟」は最後の手段、いわば「伝家の宝刀」であり、まずはそれ以外の手段でもって様々なトラブルの解決を図ろうとします。気象予報士にとっての「伝家の宝刀」は勿論、独自に予報を行う事と考えられます。但し、独自予報には多くの制限が伴う他、気象庁その他の予報業務許可事業者の予報との差別化が難しいと言う難点もあります。それは「予報」の根拠となる資料の多くが気象庁に依存しなければならない事、そして「予報」のアウトプットが、今後に起こり得ると考えられる「ただ一つ」のシナリオである事に起因します。

 しかしながら、未来に起こり得るシナリオは必ずしも一通りには定まらない事はカオス理論として広く知られています。この知見を踏襲するならば、最も可能性のあるシナリオを特定する行為が「予報」であり、その予報が外れた場合に起こり得るシナリオを予想する行為が「想定」の範疇に当たります。リスクマネジメントの見地に立てば、出来る範囲で可能性のあるシナリオの全てに対する策を講じる事が望ましいのは言うまでもありません。かつて、多くの気象予報士は「予報」行為にのみ自らの活躍のフィールドを見出そうとしていた(私も然り)かのように感じておりましたが、むしろ上記のような、より広いフィールドが広がっているように思える今日この頃です。

 折りしも、今年も相次ぐ台風や地震等で、多くの皆様が被害に遭われました。改めて心よりお見舞いを申し上げます。このような自然災害を前にして、果たして気象データの解析を通じて何が出来るのか、と思案しております。確かに、気象現象、特に突発的な集中豪雨を予測できるようにする、と言う事が真っ先に挙げられる事でしょう。そのためには気象予測の根幹を成す数値予報モデルの精度向上もさることながら、これまでの事例を基に、どのような時に、どのようなメカニズムで、どのような場所に発生し得るのか、を分析する事も必要と思われます。その上で、自分の居る場所ではどのような危険ポテンシャルがあるのかをある程度シミュレートすると言う方法が考えられます。

 これまでの気象変化の傾向から、大規模場(入力条件)とそれに伴って生じる局地気象(出力結果)の関係はある程度見当をつける事ができます。つまりターゲットとする局地気象に関して何らかの解析モデルを構築する事ができます

 近年、この大規模場のレベルでの異常性が目立つようになってきているように感じます。従って、入力条件に従来とは異なる場合を想定してみて、この解析モデルを走らせる事で、異常な気象条件下における影響を一つ一つ検証する事が出来るかもしれません。勿論、実際にこの想定した「異常な気象条件」が起こるかどうかはわかりません。しかし、このような「なかなかありえないであろう気象条件」を付加して局地レベルでの気象面への影響を推定する、と言うのも計算シミュレーションの重要な役割と思います。その際の解析モデルの構築は、やはり物理学の理論はもとより緻密な気象データ解析を積み上げる事によって可能になるのです。

 本題からは脱線して来ましたが、「今後の気候変動を視野に入れて、近未来に想定しうる、例えば気温上昇等の諸条件が局地気象に及ぼしうる影響の診断」と言う考え方は、気象コンサルティングの方向性としては有意義ではないかと考えていますその具体化についても最近、試案を巡らしています。皆さんがこの文章にお付き合い下さっている、今この瞬間も、私は気象データの解析や解析手法の研究・開発を進めているのです。この数値データを基にして、更に特定の産業分野についての独自の計算モデル式を適用し、技術計画に役立てるための工学シミュレーションを実現する事を目指しています。気象データを基に様々な産業分野・プロブレムに応じてカスタマイズされた独自の工学シミュレーションまでを視野に入れています。

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エネルギーミニマムの法則

2009年11月04日 | オピニオン・コメント
 かつて私が大学4年から3年間在籍していた研究室の恩師は、(外界からの働きかけが無い限り)自然現象はよりエネルギーの高い状態からよりエネルギーの低い状態=エネルギーが最小値または極小値となる状態に向かって推移する事を「エネルギーミニマムの法則」と呼んでいました。ちなみに私の当時の研究室は機械工学の中でも異質のバイオメカニクス(生命・生体力学)研究室です。

 私の研究テーマは細胞膜の変形挙動を理論的に解明するものでした。この際に細胞膜の系の歪エネルギー(曲げ+せん断)の関数が極小値となるようなパラメータの組合せを計算する手法を用いていました。この理論的背景を講義される際に多用された言葉です。

 ちなみに、気象学の傾圧不安定理論によれば、場の有効位置エネルギーが擾乱の渦有効運動エネルギーに変換されます。これは南北間の温度差(熱的アンバランス)が傾圧不安定状態をもたらし、この不安定性を解消するべく擾乱を生じて、このアンバランスを解消せしめると言うものです。アンバランスによって生じる不安定性が位置エネルギーという形で蓄積され、この一部が有効運動エネルギーという形に変換(開放)した結果、より位置エネルギーの低い状態に収束するというプロセスを考えれば、なるほどエネルギーミニマムの法則は気象学にも適用できるものだ、と改めて感心しています。

 そして今や、この法則は自然科学のみならず社会現象にも通じるものではないか、とさえ感じています。かつて絶対的と思われていたある種の伝統的・封建的な価値観・社会規範やそれらに対する信頼(外界からの働きかけ=外部から与えられるエネルギーに相当)が音を立てて崩壊した結果、社会全体がエネルギーミニマムの法則に従って動き出し、その結果が「草食系男子」「肉食系女子」「少子高齢化」「ジェンダーフリー」等の社会現象として発現したのかもしれない、と見る事が出来るでしょう。これはまた社会が、従来はより画一的な社会規範や伝統によって一人一人の「個性」や「自由」を縛り付ける傾向が(少なからず)あったのに対し、現代では「多様な価値観」に対してより寛容になったと見る事もできるでしょう。

 しかし、何事も行き過ぎると新たな不安定状態(エネルギーの高い状態)を生み出すのでそれを解消するための擾乱を生じ、再び安定状態に推移しようとします。すなわち「男子の草食化」「女子の肉食化」「少子高齢化」「ジェンダーフリー」等も、「マクロな視点で見れば」、ある程度の所でバランスを取る形に収束(落ち着く)するのではないかと私は考えています。

 価値観の多様化についても、個々人各々は「自分は個性的だ」と認識しつつも、「マクロな視点からみれば」、その「個性」群の膨大な数にも関わらず、結局は大同小異の範疇に収まるだろうと思われます。その意味では、ある程度の均質性は維持されるので、今後暫くは多様性と均質性の絶妙な、かつ時代に合った新しいバランスを探る過渡期になるのでしょう。

 折りしも、この夏の衆議院議員選挙では政権交代が実現しました。同じ政党による政権があまりにも長く続き(一時的には交代はあったが)、ある種の不安定性(位置エネルギー)が蓄積され続けた結果、その過剰エネルギーを開放すべく「政権交代」という劇的な擾乱を生じるに至った、と見る事はできるのではないでしょうか。

 これは簡単に言えば、自然の流れに任せていればやがて落ち着くべき所に落ち着くという事です。但し、そのタイミングや詳細な状況を予測する術を持っているわけではないので、あくまで、エネルギーミニマムの法則で考えればこうなるだろう程度の話である事をお断りしておきます。勿論、境界条件に相当するグローバルスタンダードの変化とその影響が変動する以上、常に外部からの働きかけ(エネルギー)が与えられ続けると考えられるでしょう。この事を考えると、常に「収束しようとしている方向」が再び「新たな不安定化の方向」に変わり得るので、精密に予測する事は難しいのです。

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これまでの道程を振り返る・・・

2009年11月03日 | 気象情報の現場から
 現在、日々の気象データ解析の傍ら、気象学の講義の準備も進めております。私の場合は「純粋な気象学」ではなく「工学解析の局地気象への応用」と言う観点から講義を展開する予定です(私も元来は工学部機械系なので)。工学解析とは、すなわち「数値シミュレーション」が中心となります。

 私が思うに、気象に関する数値シミュレーション技術の応用分野には「予報」と「○○」の2つの方向性が考えられます。予報を構成するためには基本となる3要素、さらに情報の価値を高めるために追加する2要素があります。そして、もう一つの応用分野である「○○」を構成するためには4要素があります。この4要素は「予報」の5要素(=基本3要素+追加2要素)から、ある1つの要素をカットしたものです。また、物理現象のモデリングの3つの手順があり、さらにそのモデリングには2つの方向性があります。

 肝心の「○○」とそれぞれの要素は何か?・・・という点については、講義の中で解き明かして行くので、この場でのコメントは差し控えます(ごめんなさい)。しかし、この「予報」とは異なる「○○」の視点・立場から、新しい気象情報産業を開拓できれば・・・と考えています。

 このような独自のノウハウや視点は、これまでの実務経験や研究・解析の経験から培われた知恵が基盤となっているので、講義の準備を通じ、自分のこれまでの経験に基づくノウハウを理論的に体系付けつつ整理しています。この作業は手探りなので、なかなかスムーズに進むものではありませんがこれまでの道程(人生)を振り返る意味では、なかなか楽しいものでもあります。

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