計算気象予報士の「知のテーパ」

旧名の「こんなの解けるかーっ!?」から改名しました。

2022年度の幕開け

2022年04月01日 | 気象情報の現場から
 新年度、あけましておめでとうございます
 2022年度が幕を開けました。

 昨年11月半ばから続いた約4か月半に及んだ降雪予報期間もようやく終わり、安堵した心境で新年度を迎えています。

 さて、現在は「データサイエンス」の分野が脚光を浴びています。昔のプログラミング言語の一つである「FORTRAN」が主流だった頃は、「科学技術計算」という言葉がありました。「データサイエンス」も本質的には「科学技術計算」の延長上にありますが、想定される対象分野がより広がっているものと認識しています。しかし「対象を『数理モデル』の形に表現し、将来の予測に役立てる」という基本は変わらないでしょう。

 また、「数理モデル」の構築に際しては「4種類の表現」を使い分ける必要があります。それは「言語」「イメージ」「数式」そして「プログラミング」です。対象を「言語」や「イメージ」を通して理解し、これを「数式」を用いて定量的に表現します。この「数式」を基にアルゴリズムを構築し、最終的に「プログラミング」の形に落とし込むのです。

 このような「数理モデル」の一つの現れとして「人工知能(AI)」が挙げられます。私も今では「機械学習」の一環である「ニューラルネットワーク」の応用に取り組んでいます。

 過去記事「最近の雑感(2017年09月22日)」の中で、「『予報』とは『決断』である」という言葉を紹介しました。これは、未来における可能性を「予測」し、何を・どのように伝える(報じる)べきかを「決断」すると言う趣旨です。AIが「予測」を担い、その結果を基に人間が「決断」するものです。さらに「決断」には「意思」と「責任」を伴います。

 将来は「AIが天気予報を担うだろう」と言われて久しい中、そのような時代における「気象予報士」の「レーゾンデートル」とは何なのか?この問題について、ふと思いを巡らすことがあります。AIが天気予報を行うようになれば、気象予報士は不要となるのだろうか?

 私は言わば「AI天気予報の実現に加担している」側になります。その立ち位置からの見解として「気象予報士のレーゾンデートルが失われる事は無く、むしろ求められる役割が変化する」と考えています。

 まずは「『誰が』『どうやって』予報するのか」が変わります。従来の概念では、「人間が」「天気図やデータを自分で解析して」予報を行うものでした。それが現在では、「人間が」「機械に」「予報をやらしめる」形に徐々にシフトしています。もちろん、人間も天気図やデータの解析は行います。ただし、それは機械が予測した結果を理解し、または必要に応じて修正を加えるためのものです。

 また「人間」の役割はこれで終わりません。さらに、「機械が行った」予報の結果を活用して「社会に役立てる」こと(社会実装)が求められます。機械は詳細な計算を行います。この計算結果を人間社会の中で役立てるためには、両者の「橋渡し」を担う存在が必要です。まさに「機械が行う専門的な予測計算」と「その応用分野」の双方に深い理解を持つ存在です。

 このことは「天気を予報して何を実現したいのか?」という根本的な問題に辿り着くのです。予報を通して実現したいことは何か?そのためにはどのような予報が必要なのか?その予報を行うためにはどのような数理モデルが必要なのか?そんな所にも新たな活躍のチャンスがあるのかも知れません。

 それでは、新年度も宜しくお願い申し上げます。
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