計算気象予報士の「知のテーパ」

旧名の「こんなの解けるかーっ!?」から改名しました。

2015年も間もなく終わります。

2015年12月30日 | 何気ない?日常
 この時期になると、ブログ上でこの1年を振り返る記事を書くのが恒例になってきました。過去5年がどんな1年であったかを振り返りますと・・・

・2010年・・・「ギリギリセーフでようやく立ち上がり始めた」一年
・2011年・・・「本格始動の時を迎えた」一年
・2012年・・・「学び」「出会い」「再会」そして「達成」と「実現」の一年
・2013年・・・「学び」と「挑戦」の一年
・2014年・・・ ただ一言「成長」の一年

 しかし、現実には「このまま歩み続けていれば、いつかは成功出来るかも知れない」・・・そんな想いも抱きながらも、なかなか様々な状況が遅々として進展しない現実を前に、焦燥感が募る一方でした。このままではいけない、との思いは膨らむばかりで、昨年末には「『会社のスタッフ』としての歩みに加えて『一人の専門家』としての歩みについても、真剣に考えて行かなければならない」と書きました。それまでのような学会発表や論文投稿とは異なるアプローチも必要と思い、新たなチャレンジを企てました。

 年初には、首都圏の通信制私立大学の(市民)公開講座講師の公募を見つけて、「モノは試し!」と応募資料を送りましたが、なしのつぶてでした。

 気を取り直して、次は県内のあるカルチャースクールの講師募集に応募して、何と店長面談に進み、講座企画案を説明し、そのまま即決で採用されて、実際に折り込み広告まで出して受講者募集までは行きましたが・・・開講日を目前にして、受講申し込みが規定に達せず「中止」となりました。

 さらに2月5日には、それまで使っていたノートPCが突然壊れたし・・・

 ここまでを見ると、今年のスタートは「最悪」と言っても良いでしょう。

 しかし、私の2015年を振り返ってみると、「遂に『重い扉』が開かれた」一年だったように思います。自らの(自虐的な)代名詞として長きに渡って掲げてきた「メディアに縁遠い気象予報士」の看板を下ろしたことは、正直、インパクトが大きかった。私にとっての「今年の最大の出来事」はこれ以外に考えられない。17年目にして、満を持してのONAIRデビュー、感無量です。

 実際に、放送局のスタジオに入るわけでもなく、ただ電話出演のみではありましたが、生放送自分の声で、自分の言葉で、自分の予報を伝える、という経験は大きなインパクトとプレッシャーを感じました。しかし、それだけやりがいと面白さもあります。世間一般の「気象予報士」のイメージにグッと近づくことができたのではないか、と思います。

 夏には地域の大学にお招き頂き、特別講義を行いました。上述の通り、首都圏の通信制私立大学や県内のカルチャースクールの講師応募は失敗しましたが、思わぬ所からお声をかけて頂きました。それまで、講師応募の際に準備してきたアイデアも、この特別講義の準備には大いに役立ったのは言うまでもありません。「矢を放つ」という言葉を使っていますが、独りでただひたすらに矢を放っていたら、思わぬ所から矢が返ってきたような展開です。このような展開は、さすがに予報は出来ません。

 技術開発の面でも、半ば諦めていたニューラルネットワークについて、遂に局地気象解析を行うに至り、気象学会誌にも調査ノートとしての掲載されるにまで至りました。現在はさらにハイレベルな応用に向けて挑戦しています。ちなみに、今年の学会発表は春季大会のポスター発表1件と、学会誌1件の計2件を達成しました。

 また、「数学解析技術コンサルタント」として、とあるメーカーに出向いて、経営幹部や技術担当者の皆様を対象に電子デバイスの基本原理の理論を解説する大役を果たしました。正弦波や複素関数、フーリエ変換等の高等数学をわかりやすくするのには苦労しましたが、複雑な理論をわかりやすく解説するのは、私の性分にあっていることを実感しました

 ライフワークとなっている山形県の冬の気象についても、2月には(一社)日本気象予報士会・研究成果発表会の場で、熱流体数値シミュレーションによる研究成果を発表しました。また、11月には(一社)日本気象予報士会・東北支部の例会において、熱流体数値シミュレーションに加えて、ニューラルネットワークによる解析結果を基に、山形県内の降雪域分布の基本形となる「I字型」と「C字型」の概念を提示するに至りました。

 これまで、長きにわたって目の前に暗闇の如く立ちはだかっていた「重い重い鋼鉄の扉」が少しずつ開かれ、その隙間から光が射しこんできた一年となりました。この扉を大きく開くため、来る年はさらに行動・成長・発展に向けて邁進して行きたいと思います。「止まない雨は無い」と言う言葉がありますが、その雨を力づくでも止めてやる!というのが、今の正直な心境です。さて、次の一手としてはどんな策略を巡らしてやろうか・・・ここは思案の為所だなあ。
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失敗は成長への投資

2015年12月06日 | オピニオン・コメント
 この冬もまた、5年前の12月に「予報業務許可事業者」の仲間入りを果たした会社で局地予報に係わっています。

 この会社について、2012年の年末の記事で、5年前は「ギリギリセーフでようやく立ち上がり始めた」年、4年前は「やっと本格始動の時を迎えた」年、そして3年前は「少しずつ、ゆっくりと歩みを進めた」年、そして2年(一昨年)は「ゆっくりと歩みを進めた」一年だったと称しました。このまま歩み続けていれば、いつかは成功出来るかも知れない・・・そんな想いも抱きながらも、なかなか様々な状況が進展しない(実感を得られない)現実を前に、焦りが募る一方でありました。昨年は、その一年を振り返り、ただ一言 「成長」の一年と称しました。

 そして、今年一年を一言で言うならば・・・「流れが変わり始めた」年だったように感じます。そして、それを色々な形で実感できました。最も大きかったのは、ローカルCATVの朝の情報番組に関わらせて頂くようになったことです。

 今年の4月からは、ローカルのCATVで朝の情報番組でアナウンサーさんが読み上げるための天気予報の原稿作成が始まり、5月からはさらに、その情報番組で「電話出演」と言う形で「天気予報解説」のデビューを果たしました。気象予報士となって17年3ヶ月目にして、ついにONAIRのデビューを迎える運びとなりました。それまで17年もの間、「メディアに縁遠い気象予報士」と言う看板を背負ってきたわけですが、遂にその看板を下ろすことになりました。

 今、いわゆる「気象キャスター」ではないものの、実際にONAIRで(電話の音声だけですが)出演する身になって感じるのは・・・「ONAIRには魔物が住んでいる」ということです。学会発表やプレゼンテーションをそれなりに経験してきた私も、メディア・デビュー当初は、慣れないこともありイロイロとやらかしました・・・。しかし、今ではもう、私にとっては立派な「武勇伝」になっております。これらの武勇伝は、どこかの講演や特別講義の類で、しっかり使わせて頂こうと思っている所です。

 まあ、ちょっと派手に失敗したところで、別に人間、死にはしないんですそれまで頑張ってきた事が消えてなくなるわけでもないのです(まあ、「大目玉」をくらうことはあるけれど・・・)。もっと言えば、受験や試験で失敗したからと言って、何も命まで取られることはないんです(私も高校受験に失敗しておりますが、学習塾の講師をやる上では、この体験は非常に強い話題になります)。所詮、人の噂も七十五日、喉元過ぎれば熱さ忘れるんですよね。何せ、あれほど騒がれたSTAP現象にしろ、ゴーストライター作曲家にしろ・・・今では過去の事として風化しているわけですし。

 要は、正々堂々、頑張って、ぶつかって、それでも駄目だったら、失敗したら、そこで学んだことを次に活かして行けば良いのです。そうやって、学びを深めて、一歩一歩、着実に「成長」して行けば良いのです。

 「挑戦」 無くして 「失敗」 無し。 No challenge, No failure.
 「失敗」 無くして 「成長」 無し。 No failure, No development.
 「成長」 無くして 「成功」 無し。 No development, No success.

 今年に入ってからは特に人工知能(ニューラルネットワーク)も本格的に研究・開発を進めているのですが、人工知能の学習プロセスを見ていると、本当にトライアル・アンド・エラーの連続なんです。真っ白な「人工知能」が入出力のパターンを獲得するというのは、それこそ膨大な回数の反復練習によって実現するんです。最初から上手くできるわけではないのです。

 人間の場合は、年齢が上がって、経験値も増えてくれば、ある程度は先の事を予測(想像)して、上手に立ち振る舞えるかもしれません。とは言え、全知全能の神ではありません。しかも、ここまで社会の変化の速度が速いと、こちらもドンドン変化について行かなくてはなりませんからね。

 幾つになってもチャレンジして、ぶつかって行って、もちろん失敗することはあるかも知れないし、くじけてしまうことはあるかも知れないけれど、それでも、前を向いて進んでいく、そして成長と行動を続けていける、そんな人間でありたいですね。失敗したその時は辛いし、落ち込むかも知れません。しかし、その苦い思い出を、いつの日にか笑ってネタや教訓に昇華出来るまでに成長すれば良いのだろう、と思います。私がこれまで出会って来た凄い人達は皆「チャレンジャー」です。だからこそ、そんな彼らの影響を受けている内に、私もこうなってしまったのです。

 以前に参加した創業塾で、講師の方が確か、次のような趣旨の事をおっしゃっていました。

「色々な事を経験している、自分の強みがある、と言うのはそれだけ失敗してきたのだ、と言うこと。自分の事について多くを書けるのは、それだけ失敗して、成長してきたからなんだ。」

 確かに、私もここまで至りつくまでに、数多くの試行錯誤や失敗を繰り返してきました。「失敗」を避ける唯一の方法は「何もしない」こと。しかし、何もしなければ、「学び」も「成長」もありません。「失敗」は「成長」への「投資」なのかもしれませんね。

 そして、その紆余曲折の中で見出したこと、学んできたことを、そろそろ、これからの時代を担う若い方々に伝えていきたい、と言う想いも湧き起こっています。私も歳をとった証拠かな・・・。
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