計算気象予報士の「知のテーパ」

旧名の「こんなの解けるかーっ!?」から改名しました。

ベンチャー企業が国際研究チームに勝利できたのは何故か

2009年11月25日 | オピニオン・コメント
 理科系の大学・研究室は、例え地方や田舎に在っても、常に国際的な評価や競争にさらされています。また、国内外の企業や研究機関との共同研究によって、外部からの評価を受ける一方、産学連携という形での社会貢献にも寄与しています。

 これは教官(教授・准教授・講師・助教)やその他の研究者はもちろんの事ですが、大学院生、さらに研究室によっては学部4年生までもが、このような大プロジェクトの要員として参加し、鍛えられ、経験を積んでいます。さらにその前段階の学部時代でも、彼らは実験や実習・演習に追われ、基礎学力を涵養すべく日夜、努力し続けているのです。

 そうして大学や大学院を卒業・修了して社会に飛び立ち、様々な方面、様々な現場に科学技術の専門家として巣立っていくのです。この社会の中で言わば縁の下の力持ちとして、科学技術立国の基盤と生命線を支えています。

 私はかつて半導体業界に居りましたが「メガ・コンペティション」「ドッグ・イヤー」という言葉が日常的でした。今改めて考えると、国際的な科学技術の開発競争は今や「戦火なき戦争」の様相を呈している、とさえ感じています。

 私は、あるエピソードを思い出しました。

 2000年4月6日、米国の民間企業セレラ・ジェノミクス社が、ヒトのDNAの全塩基配列の読み取りを完了した事を米国下院公聴会において発表しました。この衝撃的な発表によって、セレラ社は、各国のゲノムセンターや大学などによる国際ヒトゲノム配列コンソーシアムによって組織された公的なヒトゲノム計画との競争の正式な「勝者」となったのです。これは公共プロジェクトのスケジュールはもちろん、セレラ社自身の予定をも数ヵ月先んじる結末でした。

 そもそも公的なプロジェクト1990年に米国のエネルギー省と厚生省によって30億ドルの予算が組まれて発足し、当初は15年間での完了が計画されていました。セレラ社がヒトゲノムの塩基配列解析に着手したのは、この9年後の1999年9月のことで、それ以来メディアのみならず政府からも重大な関心をもって注視されてきました。

 セレラ社は、ショットガン・シークエンシング法という新しい方式でシークエンシングを行い、新たに発見された遺伝子を特許化しようとしました。この方法は、長いDNAの塩基配列の決定に対して適用される配列決定手法で、民間としては最大のスーパーコンピューターと称するものが数ヶ月にも渡ってフル稼働したとされています。

 後発の一ベンチャー企業が、先発の国際研究チームに勝利した─その事実は、当時田舎の大学に籍を置いていた私にとっても衝撃でした。そして、その勝因の鍵となったのがスーパーコンピュータでした。もちろん、ただ巨大なハードがあれば良い、と言うものではありません。このハードを使いこなすソフト、それ以前にそれらを産み出す優秀な頭脳が揃っていた、という事実に驚きです。

 世界中の様々な科学技術分野で、このような「戦火なき戦争」が繰り広げられていると言っても過言ではありません。

 日本が科学技術立国の看板を下ろし、それに替わり得る国際的なアドバンテージやレーゾンデートル、ポジショニングを国家戦略として示す事ができるのであれば一刻も早く御提示頂きたい。科学技術については中国を始めとする、アジアNIES(=新興工業経済地域)の発展も目覚しく、このままでは本当に日本の国際的な存在感や発言力が低下し、「ジャパン・パッシング」が現実のものになりかねない、との危機感を覚えています。
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