計算気象予報士の「知のテーパ」

旧名の「こんなの解けるかーっ!?」から改名しました。

平成19年新潟県中越沖地震

2007年07月16日 | 何気ない?日常
 先の梅雨前線や台風4号に伴う豪雨災害及び今回の地震災害にて被災された皆様に謹んでお見舞い申し上げます。

 私も今日はマンションの自室に居りましたが、午前中と午後の2回大きな揺れを感じました。大きな揺れは1分前後続きました。突然何かの揺れを感じたかと思ったらその揺れの振幅が徐々に増大するような感覚です。まずは身を屈めて周囲を見張りながら、揺れが治まるのを待ちます。揺れたのを確認して火の元等を確認し、何時でも出て行けるような準備をして、テレビやインターネットの地震情報を立て続けにチェックしていました。さすがに恐怖を感じました。ちなみに、午前中の地震発生直後にマンションのエレベーターは自動停止しました。気象はある程度予測される一方で、地震は予知ができません。それだけに怖いですね。

 取り急ぎ、ご報告まで。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一つの節目を迎えました。

2007年07月08日 | CAMJ参加記録
 久々に杜の都に行ってきました。やはりと言うべきか、熱い討論が繰り広げられました。終わった後にはもう力尽きました・・・。出せる力は出し切った、今はもうそんな感じです。毎回、例会での話題提供の討論では有意義な討論をさせて頂き、その後の研究の方向性にも大きな影響を受けておりましたが、今回もまたとても実のある勉強ができたと感じております。その夜、宿泊したホテルの部屋で「必殺仕事人2007」を見ながら、今後の研究の方向性もかなり具体的に定まってきました。

 前の職場では果たせなかった(と言うより、永遠に実現することは無かったであろう)「学会進出」の夢に、いよいよ手が届きそうです。勿論、学会発表だけに終わることなく、実用的な応用に結び付けていかなければなりません。その基礎的な技術がゆっくりとではありましたが少しずつ実を結び始めています。

 かつては解くことができなかった方程式を解く事ができるようになった一方、今度は境界条件に関する問題を抱え、さらにはDry→Wetへのモデルのバージョンアップまでを視野に入れた課題へと、一つの壁を越えると同時に次から次へと問題が沸いて出てきます。これらの課題は決して収束することはありません。発散する一方です。

 ・・・さて、マンションに戻ったら新しい「てんきすと」が届いていました(^^)。総会での表彰に際して会長と一緒に記念撮影した写真が掲載されているではありませんか!・・・ン?前髪が思いっきり・・・変!100メガショーーック!!/('O';)\まあ、写真が白黒印刷だったのがせめてもの救いです。あの前髪が変なのは偶然のなせる業です。ある意味「奇跡の1枚」です。

 肝心の研究内容については今回は掲載されておりませんが、一応投稿の手続きはしましたので忘れた頃に掲載されるかもしれません。まあ、掲載される事には次の新たな研究が進んでいる事でしょう。そういう意味では今回の出張をもって、私の山形の研究は一つの大きな節目を迎えました。

 さ~て、のんびりしたいな~~・・・って、そうは問屋が卸さないのは、毎度のお約束ですが(爆)。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七夕の前夜

2007年07月06日 | CAMJ参加記録
 笹の葉さ~らさら・・・♪ そんな歌声も聞く事もなくなりました。

 私の頭の中ではN○K大河ドラマの「独眼竜政宗」のテーマ音楽がひっきりなしに流れています。伊達政宗公と言えば・・・そう、仙台です。そして政宗公の生誕の地は我が故郷・米沢です。いよいよ明日はCAMJ東北支部例会です

 これで一先ずこの山形のシミュレーション研究は節目を迎える訳ですが、改善すべき点が次から次へと見えてきています。今後さらにこのシミュレーションはグレードアップを図る予定ですが、その際の研究の進め方の指針となっていくことでしょう。それはともかく、明日は久々の研究発表です

 前日にはちょっと弱気なお話をしたばかりですが、今はもうそんな事を言っている余裕はありません。私の話題提供は総力戦です。それまでの気象予報士としての研究の全てを懸けた真剣勝負です。どうしても、気合が入ってしまいます。どうせやるならお互いにとって実のあるものにしたいですからね。

 とにかく今は、明日の成功を祈るのみ。人事を尽くして天命を待つ。
 時間になったら、いざ出陣
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月の憂鬱

2007年07月05日 | 何気ない?日常
 もう、7月になりました。もうすぐ憂鬱な誕生日を迎えることになります。ジューンブライドが過ぎ去ったこの時期、否応なしに現実を直視しなければならないこの時期は憂鬱です。

 学生を終えてそれなりの大きな企業に入ってそのまま社内で順調に仕事をこなしてそこそこ出世し、ある程度の年齢に達すると・・・もし、どこかで違う人生を歩んでいたら、ひょっとしたら自分は例えば今頃、結婚していたのかも知れない・・・。本当にこれでよかったのか?そう思うことがたまにあります。確かに、自分を取り巻く状況は問題が山積しています。

 ふと、結婚について考えてみると、「結婚は人生の墓場だ」とシェイクスピアは名言を残しています。その一方でソクラテスは自分の弟子に「結婚は素晴らしいものだ。良妻をめとれば幸せになれるし、悪妻をめとれば哲学者になれる」と言いました。身近な既婚者を何組も見ていると、何かといろいろあるようで・・・確かに気苦労はありそうですが、それなりに楽しそうでもあります。何より、一人ではなく傍に寄り添ってくれる人がいるというのは心強いのかもしれません。中には「結婚だけが人生ではない」という人もいるかもしれませんね。

 ただ、現実問題として今はまだそのような(結婚とか言う)展開を受け止められるだけの状況にはありません。まあ、そんなことを言っていたらいつまでも・・・と言う人もいるでしょうね。もし「ブルーもしくはブルー」のようなファンタジーが起こるなら、自分のもう一つの人生とはいかなるものなのかを見てみたい気がします。でも、お互いの生活を交換しようとは思わないでしょうね。

 これまでの人生で自分で下してきた決断に対しての後悔は全く無いのですから。未来に対する不安はありますが・・・(爆)。

 何かを選ぶと言うことは、同時に何かを失うことでもあるとは、かつてこのブログで発言した台詞です。自分の理想を追い求めることで、「普通の幸せ」を放棄したのかもしれない・・・そう思うときもあります。だからこそ、世間の価値観に無闇に迎合しようとすると、やはり震え上がるような不安に駆られることもあります。

 しかし、もっと広く見てみると、この世間の価値観における「ごく普通の幸せ」さえもままならないこの御時世。格差社会が叫ばれて久しいです。その是非はさておきますが、これはまさに平成の戦国時代です。それであるならば私は今を生きる戦国武将と言った所でしょうか。ああ・・・またいつものカラ強気が戻ってきました。

 兎にも角にも、私にはやらなければならない事があります。今はそれを成すのみです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーケストラと企業経営

2007年07月01日 | オピニオン・コメント
 最近のミートホープやコムスンの状況を見て感じたのは従業員をぞんざいに扱う会社は決して長続きしない、と言うことです。

 特に最大株主を兼ねるオーナー経営者という立場はいわば、その会社では神の様に絶対的な存在です。極端な話、従業員がワーキングプアの状態になろうとも、精神的に追い詰められようともお構いなし、というケースもあるようです。また、従業員が一生懸命頑張って稼ぎ出した成果を独り占めしても誰も文句を言えないのです。

 当然、経営者はそれだけ大きなリスクを冒して勝負に出ているのだから、従業員よりも莫大な報酬を得るのは当然だという声が鳴り響きそうですね。私もそれに異論は全くありません。本当に経営者としての使命を果たしているのならばそれに対する尊敬と報酬はあって然るべきだと思います。

 私は会社のあり方について、ステークホルダー・サティスファイと言う言葉をよく使います。カスタマー・サティスファイではありません。「会社は誰のものか」という問題が叫ばれて久しいですが、「会社は株主のものである」というのが世間の見方のようですね。確かに、それに異論はありません。しかし・・・それだけでしょうか

 例えは変ですが、3次方程式(x-1)(x-2)(x-3)=0は3つの異なる解x=1,2,3を持つように、解は一つとは限らないのではないか、と私は思います。

 一つの事業を構成するにしても、出資者、顧客、経営者・・・そして従業員と4つのポジションがあります。これらのどれかが欠けても事業は成立しないのです。極端な話、実務を伴う従業員と対価を支払う顧客さえいれば仕事は成り立つかもしれない。しかし、大きな事業になれば4つの存在が必要になります。この4つが連携することで会社は動いていきます。そして、この4つの存在も会社も大きな社会の中で生かされています。つまり、4つのポジションはどれも会社にとって必要な存在であるし、逆に言えば会社と言う存在はこの4つのポジション全てのために存在するものだと言うこともできるのではないでしょうか。

 さて、実際に顧客と直に接して実務を行い、会社の具体的な担っているのは従業員、そして会社の全体的なプロデュースを行うのが経営者です。オーケストラで言えば従業員は楽器を奏で、経営者は指揮台に上ってタクトを振るようなものです。指揮者がタクトを振っただけでは音は出ません。勿論、いかなる名曲を奏でることもできません。オーケストラの楽団員の力が無ければどんな名曲を奏でることは出来ないのです。そして、その演奏を聴いてくれる人がいなければ、そこに感動は生まれない。また、オーケストラの運営(財政事情)は基本的に厳しいようです。この運営はさまざまな寄付や助成金などのサポートも受けているようです。これが出資者の役割でしょう。

 経営者が従業員をぞんざいに扱う様は、指揮者が楽団員をぞんざいに扱うようなもの。そのような環境で、共により良い音楽を作り上げていこう、と果たして思えるでしょうか。そんな状態で聴衆に本物の感動を与えることが出来るのでしょうか。そのようなオーケストラが発展していけるのでしょうか。遅かれ早かれ、何らかの形で破綻してしまうでしょう。

 話は変わりますが、私がかつて在籍していた会社でも大きな変革を迎えているようです。部署の移転統合に伴って半永久的な転勤・異動を余儀なくされ、これを機に転職や退職を余儀なくされる方も少なくないようです。お世話になった方々の今後を心配しております。

 私も今は従業員の立場ですが、いくら確かな技術を確立しお客様に喜ばれ、事業実績を挙げているとしても、それであなたはどれだけ報われているのですか?。そう問われると・・・実は私も答えに窮してしまいます(自爆)

 少なくともこれからの時代を生き抜く従業員は、経営者的な視点も持ちながら、様々な事態を想定しつつ準備しておいた方が良さそうです。何かが起こってから慌てるのではなく、自分達で決断し、時にはドラスティックに行動することも必要なのかもしれません。経営者には色々な面でハイレベルが要求されますが、従業員にもまた独立したスペシャリストやエキスパートとしてこれまたとんでもなくハイレベルを要求される時代なのかもしれません。常に自分を高めていこうとする姿勢が何より要求されるのです。


 より美しい音色を奏で、聴衆の心に響く素敵な音楽を作り上げてゆくために・・・そして共に感動を分かち合うために
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする