計算気象予報士の「知のテーパ」

旧名の「こんなの解けるかーっ!?」から改名しました。

「forecaster」から「meteorologist」へ、そして・・・

2009年04月18日 | オピニオン・コメント
 日本語の「気象予報士」は英語で何と表現するでしょうか?

 「forecaster」は「予報(技術)者」であり、「meteorologist」は「気象学者」もしくは「気象の専門家」を意味します。それでは「気象予報士」はどちらの存在なのか。確かに気象予報士の行う独占業務は「現象の予想だけ」ですから、そのまま英訳すれば「(Certified) weather forecaster」となります。しかし、実際には予報に留まらず調査・解析・研究・教育等幅広い活躍を見せています。勿論、マスメディアに登場してこれからの天気を解説するウェザーキャスターの存在も忘れてはなりません。また、実際の世間での認識は制度開始当初の所謂「予報者」に留まらず、広く「気象の専門家」との認識に広がっているようです。

 この問題は公的な資格の名称とその実態に乖離を生じている事に起因すると認識しています。日本気象予報士会の中でも、かつて、「気象予報士」を英語で何と表記するかがかつて議論されました。その結果、実態に鑑み「気象の専門家」を意味する「Meteorologist」を採用して「Certified and Accredited Meteorologists of Japan(CAMJ)」を、その英語名称にした経緯があります。

 独自の予報を行うためにも、その前段階としては調査・研究・解析は必要不可欠であるため、これらのテリトリーもまた、広義の予報業務(但し「現象の予想」を除く)と考える事ができます。本来、的確な予報を行うためにはそれ相応の調査・研究・解析が必要となる筈ですが、実際の気象予報士試験や、CAMJの活動等を見ていると、気象庁発表の各種天気図や量的予報支援図を読み解いて予報を組み立てるプロセス(まさに「forecast」)が殊更に重視されているように感じます。確かにそれはそれで重要ですし、否定するつもりは毛頭ありません。

 但し、実際にはこれだけでは十分とは言えないのです。ニーズや目的に合った調査・研究・解析が行われてはじめて、予報の土台が出来上がるのです。局地的な気象特性やそのメカニズムの解明、また特殊な現象がもたらす影響等を把握する事が出来てはじめて、ニーズや目的を達成に導く活路を切り開く事が出来るのではないかと思います。

 かつて私は、このブログ上で、気象予報士とは「様々な産業や生活面における気象に関する諸問題を解決する専門家」と言う趣旨を述べた事があります(いつの記事かは忘れましたが・・・今は探してる余裕がありません)。この解決のメソドロジーは、必ずしも「forecast」には限らないでしょう。むしろ「気象情報を如何に上手に使いこなすか」と言う視点での良きアドバイザーではないか、とさえ感じています。「forecast」それ自体については、現在もGPVも随分と発達しています(だからと言って、数値予報が絶対だ!と言うつもりはありません)。気象庁からも様々な気象データが配信されています。これらのデータを如何に使いこなして、如何にユーザに役立つ形に具体化できるか、如何に問題解決に役立てるか、それこそが予報「官」ではない、民間の気象予報士に出来る事ではないか、とさえ思うのです。

 私のイメージでは、「現象の予想」を専門に行うのであれば「forecaster」、それ以外の分野も積極的に行うのであれば「meteorologist」ではないかと感じています。気象予報士とは「(法律的には色々と縛りはあるが)必要に応じて自ら独自予報も行える気象コンサルタントである」と考えると、「forecaster」よりは「meteorologist」の方が、より実態に即していると言うのが私の意見です。「気象予報士」という名称の中には「予報」の2文字が既に入っていますが(確かにこの方がかっこいいし、わかりやすい)、必ずしも「予報(=現象の予想)」に拘ることなく(縛られる事なく)、様々な角度から「気象」と言う大きなテーマにアプローチしていく事で、新しい活躍の場が広がるのではないか・・・と考えています。
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学会投稿の結果

2009年04月14日 | 気象情報の現場から
 1月24日に学会誌「天気」の調査ノート欄に投稿してから3ヶ月弱。幾度の改稿と再投稿を経て、昨日4月13日に遂に「受理」の御連絡を頂きました。何月号に掲載されるかはわかりませんが、気長に待つ事にしましょう。学会誌掲載されてから約2ヶ月後にはインターネット上でもオンライン「天気」で閲覧する事ができるようになります。

 長年続けてきた山形県置賜地方の冬季局地風に関するシミュレーション研究も、これで一つの大きな節目を迎える事が出来ました。今回の内容は当初、同地域の局地気象メカニズムの検討が主題でしたが、最終的には数値モデルの独自開発が主題になりました。

 私のこれまでの研究を振り返ってみると、数値モデルに関する研究のウェイトが確かに大きかったので、論文の主題もあるべき姿に治まったのだと思います。この数値モデルの研究は現在、山形県置賜地方の冬季局地風に関するシミュレーションのみならず、他の地域のシミュレーション研究その他の工学分野への応用を目指した研究に発展しています。

 5月30日の気象学会のポスターセッションでも、新たな地域を対象としたシミュレーション研究について紹介する予定です。
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そういえば・・・

2009年04月02日 | 何気ない?日常
 こうしてブログを書いている間も、このPCは大規模な乱流数値シミュレーションの計算を行っております。この計算は24時間を越えるかもしれません。

 年度を跨ぐこの次期は、所属しているメーイングリスト上でも人事異動の御報告をお見かけする昨今・・・そういえば私も2月末で人事異動して・・・あ、そういえば、3月の下旬に2月までお世話になっていた研究室の送別会があるとの事で、私もお声掛けを頂き、参加して来ました。当日は大学も卒業式で、その夜に研究室でも送別会でした。

 昨日、2009年度がその幕を開けました。皆さんはどんなスタートを迎えたのでしょうか?勤務当時は研究に追われていた?若い学生さん達も、今では社会人としての新たなスタートを迎えました。今週一杯が特に緊張のピークかもしれませんね。

 送別会の折、M1の学生さんから卒業生に贈る言葉の挨拶がありました。「研究室の先生方はとても優しかったのですが、これから社会に出ると回りの先輩や上司はとても厳しいですから、しっかり頑張って下さい」と言う内容で、これを聞いて不覚にも「ブッ!」っと噴出し、必死で笑いを噛み殺していました。実は、あの場で民間企業の世界を経験しているのが私だけだったのです。学生さんが余りにも尤もらしく語るので、思わず感心してしまいました。もし、同じ内容の事を私が言ってしまったら、返って余計に不安を煽りかねないですからね・・・。何はともあれ、社会に出れば、一人一人がもう「プロ」なのです

 NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」と言う番組があります。毎回その道のプロフェッショナルがゲストとして登場し、その仕事の様子やエピソードがドキュメンタリーとして紹介され、またキャスターとの対談を通じて、仕事への思いやフィロソフィーについてを語ります。最後に「プロフェッショナルとは?」と言う問いかけがなされ、自分にとっての「プロフェッショナル」像を自分の言葉で語り、番組が締めくくられます。最近はオンタイムで見る事もなかなか出来ませんが、私も常に自問しています・・・プロフェッショナルとは?何十年後になるかわかりませんが、私がこのような番組に出る事があったら・・・その時、何と答えるのだろうか・・・

 さて、私もこれまで何人もの主君(上司)に仕えてきましたし、色々な主君から色々な事を学びました。細かい事項は、現場を離れれば忘れてしまう事もあるのですが、基本的な事、汎用性のある教えと言うものは、何時までも自分の支えとなるものです。特に私が意識しているのは「こまめにドキュメントにおこす、こまめにドキュメントをアップデートする」と言う事です。日頃から資料を電子ファイルまとめておけば、必要な時にこれらをガッとつなぎ合せて報告書が出来上がるのです。

 研究や業務の合間に資料を纏め、または前の資料に最新の情報を反映させるプロセスを通じて、資料そのものを磨き上げていく事もまた大切です。この一連の作業を通じて、自分の業務を振り返り、また頭の整理をする事も出来ます。また、洗練された文章や表現はそのまま他の資料に使いまわす事もできます。

 実際の業務では、プロジェクト間での人員の異動は珍しくありません。その際も、資料がしっかりしていれば、業務の引継ぎ・移管もスムーズに進みます。

 大学に研究員として勤務していた当時も、日頃からこまめに資料をまとめて先生にメール添付していましたので、あらためて最終報告書を書くと言っても、最新の成果を反映させるだけで済みました。それはそれで大変ですが、この上にさらに研究手法や基礎理論、解析モデルの検討やら・・・そんな資料の執筆まで加わったら、正直大変です・・・。このような部分については、予め日頃から研究の一環として書き起こしていたのでそれらをアップデートして仕上げるだけで済みました。打合せの予定もいつ入るか判らない状況でもあったので、いつでも対応できるように用意しておく必要があったのです。要は常日頃から「最終報告書」を意識して、研究を進めながら同時平行で資料をまとめていたのです。普段からのちょっとした心がけが、プロジェクトを成功に導いたのです。

 気象解析の業務の際は、資料と言うよりも様々な情報を知見をノートに整理しています。今ではこのノートも結構な数になってきました・・・。
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まあ、少子化の影響なのかな?

2009年04月01日 | オピニオン・コメント
 いよいよ新年度がスタートしました。

関西の大学 パパもママも同伴入学式 満杯で別会場、式典中継も(産経新聞) - goo ニュース

 わざわざ「パパもママも」と言う書き方は、ちょっと主観的に煽りすぎではないか?と思います。記事によると大学側は、例によって「親離れして下さい・・・」と述べるお約束の展開です(私は「親離れ」よりも、むしろ「子離れ」の問題と感じていますが・・・)。

 こういった節目のセレモニーは人生の間に何度もあるわけではないので、いちいち目くじらを立てる事も無いとは思いますが、昨年、東大の入学式で安藤先生が祝辞で述べられた「自己を確立しない限り独創心は生まれない」という言葉を思い出しました。

 自己を確立すると言う事は、様々な意味で「独立」すると言う事。自分で考え、自分で悩み、自分で決断し、自分で実行し、自分が責任を負うと言う事。ここで大事なのは「回りの誰々がどう思うか」ではなく「自分は何を目指すのか」と言う点です。その価値判断の基準を確立する事が、自己を確立する事になるのではないかと思います。

 さて、よく田舎では、他所から来た者や、周囲と違う事をしたり、目立つような事をすると白い目で見られる、と言う話を見聞します。これが所謂「田舎は閉鎖的」と言ってネガティブな印象を持たれる所以ではないかと認識しています。スタンダードとなる習慣や思想が予め確立されており(伝統や風習etc.)、その規範から外れる意見や生き方が抑制されると言う、ある種の圧迫感(プレッシャー)や疎外感があるのかもしれません。この規範と自然に調和できる人には「田舎は良い所」というポジティブな印象を持たれるでしょうし、圧迫感や疎外感を感じた人は「田舎は閉鎖的」というネガティブな印象を持たれるのではないでしょうか。古の言葉に「郷に入っては・・・」との教えもありますが、度を越えた「抑制(強制?)」はやはり「息苦しさ」をもたらす可能性が否定できません。

 また、温故知新と言う言葉があります。これは「故(ふる)きを温(たず)ねて、新しきを知る」と言う意味です。古くからの伝統や風習、文化を尊び、そこから学ぶ事は大切です。しかし、これらに固執するあまり「故(ふる)きに縛られ、新しきを得ず」となってしまっては、本末転倒です。伝統や風習、文化を守ると言う事は、必ずしもそれに服従・固執し、雁字搦めに縛られる事ではないと思います。新しい時代に相応しいあり方を模索し、変化(進化)し続ける事ではないでしょうか。

 折りしも、現在は「価値観の多様化」が進んでいます。一人一人が「自分の幸せとは何か?」という問題に真剣に向き合い、行動する事が認められる社会です。そしてこのためにも「一人一人が自己を確立している」事が、その前提となるのです。特にこれからは「周囲と違った意見を持っている」事を恐れる必要はないのです。いや、むしろ「周囲と違った意見を持っている」事に自身を持っても良いのではないかと思います。色々な物の見方や考え方があって然るべきであって、様々なアイデアから自分もまた新たな発見や学びを得る事ができるのです。

 これから大学生になる若い方々の場合、小学校→中学校→高校までは殆ど同じような地域の人同士の交流に留まっているので、上記の事についてはまだ実感は沸かないと思います。しかし、大学(や大学院)生活を経て社会に出て、色々な職場や分野を渡り歩いて行くと、実に様々な物の見方・考え方があると言う事を思い知らされます。だからこそ私は、敢えて「それまで自分自身を縛り付けてきた伝統や風習、文化、価値観からも自らを解き放ち、様々なカルチャーと交流して欲しい」と言い換えたいと思います。
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