計算気象予報士の「知のテーパ」

旧名の「こんなの解けるかーっ!?」から改名しました。

見るからに寒そう・・・。

2015年01月25日 | 何気ない?日常

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「学ぶ」という事。

2015年01月04日 | オピニオン・コメント
 人は、自分がそれまで学んできた知識や培ってきた経験の枠の範囲でしか、物事を理解したり、思考を発展させることが出来ません。だからこそ、より多くの様々な事を学んだり、経験することで自らの枠を広げて行く努力を続けて行く必要があると思います。

 純粋に「学生」の立場でいられる間は、「学ぶ」ことそれ自体が目的でありますが、社会に出ると、むしろ「学んだ」ことを「活かす」ことの方が目的になります。つまり、「何に活かすのか」が具体的になるので、学ぶ目的がより明確になってくるわけです。しかし、社会に出るまでは、どんな知識や経験が将来の自分に役立つか、案外わからないものです。自分で「将来役に立たない」と思っていても、いざその未来の時点に立ってみると「意外に役立つ」こともあるかもしれません。そして、実用的に「役に立つ」だけではなく、思索を深める上で「役に立つ」知恵もあるのです。

 また、昔は出会える人の範囲は、ごく身近な「狭い範囲」に限られていました。同じ地域の中に同じような人々が固定化され、同じような考え方や価値観を持ち、同じようなライフスタイルを送る・・・そのような環境にありました。そのような文化に素直に順応できる人にとっては良いでしょう。その一方で、ちょっと違った視点や発想を持っている人には息苦しい環境であったかも知れません。

 技術の進化によってもたらされたインターネットは、交流の可能性の範囲を大きく変えてきました。それまでの狭い範囲でのものとは異なる考え方や価値観と出会い、交流することが容易になりました。今では、誰でも手軽に情報を得ることが出来、また発信する事が出来ます。その交流を通じて、自分の視野も広がり、成長や発展にもつながっていくでしょう。このような変化は、もはやその良し悪しを論じることには意味はありません。抗うことの出来ない時代の進化の流れでしょう。

 この流れの中で「どのような知識を学び、どのような事を考え、行動し、どのような形で活かして行くのか?」が大切になってくるように思います。そして、この一連の「どのような」の方向性は予め明らかにわかっているものでは無く、自分なりの試行錯誤を経て見えてくるものです。これらのプロセスをどれだけ経験できるか、それが自らの枠を広げ、成長につながっていくのかも知れません。

 昔は、多くの知識を「知っている」人が評価されました。博識である事それ自体が評価されたのです。現在、「グーグル先生」の言葉に表現されるように、「知識」それ自体はインターネットを通じて容易にアクセスすることができるようになりました。自分は知らなくても、ネットの向こうで「その知識について知っている誰か」が書いた解説を検索する事が出来るのです。従って、知識やデータを集める事は容易になりました。

 しかし、これらを材料にして「思考を展開し発展させる」プロセスは、相変らず「自分の力で」行う必要があります。これからはむしろ、様々な知識を使いこなして、新しい知恵やアイデアを考え出せる人が評価されるのではないだろうか・・・そんな事を考えています。

 多くの知識を「知っている」事はもちろん重要ですし、評価されることです。しかし、それだけではなく、その知識を「使いこなす」事もまた、これまで以上に重要視されるようになるのではないか、と感じています。実際に、高校や大学の入学試験でも、(正解がただ1つに定まる)単純な選択式の設問とは異なる、(採点に時間が掛かる)自由記述の設問が増加傾向にあります。それまでに学んだ知識を使って自分なりの見解を述べよ、と言う趣旨です。

 社会に出ると、次から次へと「正解=コタエの無い問題」に遭遇します。その中で、自分の学んできた知識や経験、さらに他人の知識や経験も動員して、これらを使いこなし、思考を展開し、発展させ、「自分なりの答え」を導き出す力が求められます。そこには、試験のような「唯一無二の正解」はありません。「自分なりの答え」を出すことができるかどうか、それが大切なのです。自分の辿り着いた答えをもって、目の前の問題を解決に導ければ、それでOKなのです。

 知識はただ知っている(暗記している)だけではなく、様々な形で使いこなせてはじめて、その価値が真に活きるものなのだと思います。
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