計算気象予報士の「知のテーパ」

旧名の「こんなの解けるかーっ!?」から改名しました。

日本気象学会2014年度春季大会に参加してきました・・・って話。

2014年05月31日 | 気象情報の現場から
 

 去る24日(土)に日本気象学会2014年度春季大会(横浜)に参加してきました。会場は横浜市の開港記念会館(左:A,C,D会場と公開気象講演会)と横浜情報文化センター(右:ポスターとB会場)の2箇所に分かれていました。

 今回は「山形県内における冬季の季節風と夜間の気温分布の関係」と題して発表してきました。これまで、冬の季節風山形県の地形が織り成す局地風系に着目したアプローチに尽力してきましたが、今回は内陸地の低温域の観点からアプローチするものです。いつもの数値シミュレーション解析ではなく、観測データの分析が主体になっています。これは局地的な気象の「実像」を「観測データの分析を通して」理解したい、と言う思いがあったからです。


 実は、学会誌「天気」6月号には「調査ノート」として、これまた山形県に関する数値シミュレーションの論文が掲載されます。わはははは。一連の研究は「山形県」を対象にしておりますが、この中で用いている手法などは、その他の地域でも応用できる「モデルケース」になり得るのではないか?そう思いながら細々と、長年に渡って追い続けてきました。だからこそ、まずは山形県を例にモデルケースが構築される姿を見てみたい。それがあれば、次の対象地域でもそのやり方が応用できるのではないか?・・・そんな期待を持っています。

 特に、山形県と新潟県の組み合わせは、実に面白いものです。ほとんど同じ場所に隣接していながら、その局地的な気象特性はまるで違うようにも感じています。地形を見ても山形県は山脈に囲まれているのに対し、もう一方の新潟県は海上から平地が接続し、これが広範囲に渡っています。つまり、前者は地形ありの場合、後者は地形なしの場合として比較することも出来るのです。そして地形の有無でここまで様々な特性の違いが現れるのか・・・と感心してしまいます。この両地域にパラレルにアプローチすることで、局地的な気象特性と地形の関わりを深く学ぶことが出来そうです。

 個人的な主観ですが、山形は比較的やり易い(長年の蓄積もあるし)。地形が特徴的なので数値シミュレーションの結果の違いもはっきりと現れるし、実際の観測データを分析しても違いが見え易い。基本的なアプローチや理論構築のプロセスを体験する上では良い題材だと思います。ここで自分なりの「モノの見方・考え方」をある程度確立した上で、お隣の新潟県その他の地域にもアプローチできるかな・・・と目論んでいます。とは言え、山形県のようにスムーズには行かないかもしれませんけどね f(^o^;)。

 さて・・・私が参加した24日(土)は大会4日目の最終日ポスターセッションは「11:30~12:30」の1時間。この間はポスターの前に立って、誰かが来てくれたらその度に説明や討論をするという形式です。毎回、色々な観点からアドバイスコメントを頂ける上、様々な情報を頂くこともできます。今回も新しい視点や発見を得ることが出来ました。実のあるコミュニケーションができました。このように、日頃の事業活動では出会えない第一線の専門家の方々との交流や議論と言ったコミュニケーションを深めることができるのも、学会に参加する意義の一つです。今でもやはり緊張してしまいますが、それでも充実しています。


 事務所の中の「小さな世界」にクローズしていると、目の前の「テクニカル・スキル」は上達しますが(それはそれで非常に大切なことではありますが)、視野・見識と言った「思考の枠」であったり、有意義な交流を育める人脈やコミュニケーション、そしてアイデアやインスピレーションの広がりには自ずと「限界」があります。それでも、自らの専門領域や担当職域(フィールド)を限定し、その範囲内で業務を遂行していく、いわゆる「専任職」を志向するのであれば、そのフィールドに狭く・深く特化して行っても良いでしょう。これも一つの「適材適所」の形ですね。

 一方、私のポジションは上記とは異なり、確かな「コア・コンピタンス」(※ここでは自らの核となる専門分野)を掲げながらも、その狭い範囲に「閉じ籠る」のではなく、むしろ木の幹(=コア・コンピタンス)から枝葉を伸ばすように、活躍のフィールドを積極的に広げていく、いわば「総合職」のようなものです。上述の「テクニカル・スキルのみを追い求めるのではなく、コミュニケーション能力幅広い視野・見識・経験などもひっくるめた「社会人」として相応しい「ヒューマン・スキル」も求められます。文字通り「総合的な」スキルアップが必要なのです。そして常にそれを意識し、目指しているのです。

 そのため、積極的に社外にもアンテナを向けようと、セミナー等の勉強会や学会発表にも参加したり、研究論文を投稿したり、自ら市民講座・セミナーを企画したり、自分の視野・見識・行動の枠を広げるために工夫を凝らしてチャレンジしているのです。成功すれば「実績」になり、失敗しても「経験」になるのです。狭い世界だけからでは得られないものを求めて、広い世界にアクセスする。それこそ(成功も失敗もひっくるめて)豊かな社会経験や技術・理論の積み重ねに基づいた「実務家」を目指したい、切にそう思います。

 だからこそ、外部の様々な人との出会いや交流を通して(例え一時限りの一期一会であったとしても)良い意味での刺激を受けたり、触発を受けたり、感化されたりする機会は非常に重要です。それこそがその後のモティベーションであったりフィロソフィーであったり、様々なレベルアップにつながっていくものだと思います。そんな中から、(様々な垣根を乗り越えて)後々まで長く付き合える同志・仲間との出会いがあるかもしれません。そのためにも、今はひたすら種を蒔き、水をやり、その可能性の芽を育てているのです。なかなか芽が出てこないのですが、諦めずに続けます


 こちらは、横浜に向かう途中の越後湯沢駅付近の景色を車窓越しに撮影したものです。

 さて、閑話休題。ポスターセッションはいつも設定上は「1時間」なのですが、経験上1時間で終わった事はありません(笑)(このため、まともに昼食を取れない・・・)。今回は撤収したのが13:00ちょっと前(つまり"30分"超過)で、正直「早い方」です。撤収直後に、さすがに日頃の疲れ(不摂生も多分にある)がどっと出てきて、ちょっと目まいがして、歩くとフラつきが・・・。発表が終わってホッと気が抜けた途端に、それまで張りつめていたものが崩れだしたような感じです。

 ちょうど真上の階にオーラルセッションのB会場があったので、その最後列にちょこっと腰かけて、ようやく休憩。そのまま数件の発表を聴講しました。さすがに気象学会のオーラルセッションはプレゼンテーションのクオリティが高いです。最先端の内容は難しくてわからないことも多々ありますが、それでも所々、ヒントインスピレーションにつながります(この次は、自分の発表はせずに、ず~っとこうしてオーラル発表を聴いていたいかも・・・)。

 オーラルセッションはオーディエンスの数は多い(=効率良くアピールすることはできる)一方、時間の制約が大きい(発表時間が10分で、その後の質疑討論が3分と短い)ため、十分に議論を深めることは難しいように感じました。ここがポスターセッションとの違いでもあります(興味を持って声を掛けて下った、お一人お一人としっかりコミュニケーションを図りたい、と思っている私にはちょっと難しいかな・・・)。


 そして、今度は別のA会場へ向かい、公開気象講演会の「局地風の世界」を聴講してきました。真面目に「ローカル気象」に取り組んでいる話題を見ると、嬉しくなってしまいます。私も本来は「山形の冬」の数値シミュレーション解析を専門分野にしておりましたが、今では縁あってさらに「新潟の冬」のテーマにも関わっています。

 そして、最後の閉会の挨拶で気付いたのですが、私も所属している「日本気象予報士会(CAMJ)」後援だったのですね・・・(知らなかった)。最近、というよりここ数年レベルでCAMJの行事出てない・・・(爆)・・・なので、CAMJの役員の皆様の顔と名前も一致しない、と言う有様。あー、こりゃ、いかんな~

 そんなこんなで、今回の発表も無事終了。その後、予約していた宿泊ホテル(川崎)に向かう直前に、「松屋」を見つけてようやく「お食事タイム」・・・ホテルについて、そのままベット倒れ込みました。無事に終わった・・・その安堵感の中で束の間の休息。

 2時間程休んだ後、ホテルの近くを散策。かつて東京都内に在住・在勤だった当時、土曜の夜は自転車に乗って街中を回ったり、電車に乗ってちょっと遠出をしたものです。そんな思い出を懐かしみながら、夜の散歩を堪能していました。


 ついでに、関東方面に行くと駅の発車メロディーに耳を傾けます。今回の出張で特に印象的なのがこの2つ。譜面の記載は耳で聴いたものをテキトーにメモしたものなので、正確なものではありません。音程が半音程度ずれているかもしれませんが、多分「あ、あれか?」位には伝わるかと・・・思います。

 特に(B)の方の「弱起の3連符」版は一番の「お気に入り」です。このメロディーを聞きたくて、東京駅のホームで休憩することも(爆)。
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これまで出会ってきた「コミュニケーション能力が高い」と感じる人の共通点

2014年05月22日 | オピニオン・コメント
 社会に出て「ビジネスパーソン」としてデビューして以来、これまでの数々の就業経験を通じて、「さすがにこの人はコミュニケーション能力が高い!」と感じられる人に何人も出会ってきました。

 彼等に共通して言えるのは「基本的に社交的で明るく視野が広くデリカシーがあり、コミュニケーション(交流)を通じて他者との信頼関係を構築することが上手である」という事。やはり、コミュニケーションが図りやすいと、こちらとしても安心して話せるので、信頼につながりやすいのです。さらに、彼等は「始めから」そのような能力に長けていた・・・と言うわけでもなく、それまでの様々な社会経験(実務経験)の中で培われてきたケースが多いようです。

 まさに「社会の荒波の中で揉まれてきた」経験が活きてくるのです。決して「天性」の才能ではなく、試行錯誤を通じて、時に罵倒され、時に傷つき、それでも負けずに、必死に「もがきながらも」がむしゃらに身に着けてきたスキルなのです。だからこそ、私も「無意識の内に」彼等の影響を受け、次第に感化され、その立振舞いからも、何かを学んでいたように感じます。知らず知らずの内に「お手本」にしようとしていたのかも知れません。

 十数年前、半導体のメーカーに新卒入社して間もない当時に、ある先輩社員から言われたはなむけの?言葉です。「いつまでも(学生時代のような)"ぬるま湯"に浸かっていては駄目、厳しい"修羅場"を経験して乗り越えないと"本物"とは言えないし、将来(先輩として)後進を指導することは出来ない」。様々な苦労を経験してきたからこその言葉の重みがあるのですね。ずっと後になって、この言葉の真意を理解できたように思います。

 それでは、何をもって「コミュニケーション能力」と定義付ければよいのか、その「明確な答え」は未だ持ち合わせてはいませんが、少なくとも「コミュニケーション能力 ≒ 交流を通じて他者との信頼関係を構築し育む能力」と言う発想は、あながち間違いでは無いように思います。逆に考えると、安心してコミュニケーションを図る事が出来ない相手に対して信頼が芽生えてくることはありません(むしろ、距離を置こうとするのではないでしょうか = 君子危うきには近寄らず)。ここで、「信頼」と「安心」のどちらがより先なのかは・・・この際、置いときます。

 別に「饒舌になれ」とか「話し上手になれ」と言っているわけではありません。むしろ、相手の目線や理解度、ペースに(臨機応変に)合わせて話す姿勢(ペーシングetc.)であったり、相手の潜在的なニーズや感情を読み取ろうとする姿勢(所謂・"空気を読む"、"察する")、さらに協調性共感力(エンパシー)にも通じると思います。極端なことを言えば、表面的なテクニックの巧拙なんかどうでもいいのです(場数を踏めば上達するから)。相手に対する配慮があるかどうかなんです。

 かく言う私も「人に教える」仕事に一部関わっていることもあり(=学習塾やセミナーの講師etc.)、やはりこの部分には非常に気を使います(換言すると「神経が細かい」または「感受性が豊か」とも言う)。そして、このような技術は、何も「教える仕事」に従事する人だけではなく、多くの社会人にとって共通の必要なスキルであると思います。正直に言って、私もあまり上手くできている自信はないのですが、常に意識はしています

 これからの時代、多くの仕事が機械にとってかわられることが予想されています。特に、他者とのコミュニケーションを必要としない、ただ地道に黙々とこなしていくような業務は「機械化」(または「アウトソーシング化」)がどんどん進んでいくでしょう。

 また、知識や情報それ自体は様々な媒体上に氾濫しています。今では知識や情報をたくさん「知っている事」それ自体はそれほど重要ではなくなりました。むしろ入手した知識や情報を「即座に理解し、(状況に応じて)分かりやすく噛み砕いて説明したり、応用できる能力」の方が"遥かに重要"です。

 その上でのコミュニケーションの積み重ねこそが、きっと相手との信頼関係の構築につながっていくのでしょう。これが、マン(人間)とマシン(機械)の最大の違いである、と思います。ここに、人間にできて機械には真似のできないことがあります。

人は「社会人」に生まれない。「社会人」になるのだ。
そして「社会人」はまた、「社交人」でもあるのだ。

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空の青さが際立っています・・・。

2014年05月18日 | 何気ない?日常



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お気に入りの場所の一つ

2014年05月11日 | 何気ない?日常

 お天気の良い日は、外に出かけては、このような場所に佇んで、あるいは草むらの上に腰を下ろして、そよ風に吹かれ、日向ぼっこしながら、缶コーヒーを飲む・・・これが美味い。

 暖かい光とやわらかい空気の流れに包まれながら、ただひたすら、過去を忘れ、未来に思いを馳せる事も止め、あらゆるしがらみから解き放たれた、自由な気持ちになって、思うがままに思考を巡らす・・・休日の中でも大切な一時。

 様々なアイデアはこの時に生み出される事が多いのです。
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お天気が良かったので・・・。

2014年05月06日 | 何気ない?日常
 今日は連休最終日。さすがにお天気が良かったので、ちょっと遠足(遠出の散歩)に・・・


 晴れた青空は広がっています。私は、「花粉が落ち着いた時期の」春の空と、紅葉が色付く秋の空が好きなんです。


 結構、山側の方に来ました。緑が鮮やかに輝いています。


 道路を挟んで向かい側には大学があります。綺麗な建物ですね。


 近くにある野球場が賑やかだったので、ちょっと覗いてみると・・・ちょうど高校野球の試合中でした。応援もヒートアップ、ブラスバンドもスタンバイしていたように見えました。まるで、選手よりも応援席の方が盛り上がっているようにさえ見えました。

 そういえば、高校生も対外試合が盛んですが、中学生も何かと対外試合のシーズンですね。こうなると「応援団」と共に駆り出されるのが・・・そう、ブラスバンド。

 私も中学時代は炎天下の中、楽器を手にして、応援団の皆さんと行動を共にしていました。そんな「遥か太古」の頃を思い出しておりました・・・。当時は紫外線と直射日光にはうんざりするほど?ハードでしたが、今では青春の1ページです。



 公園では、連休最終日を過ごす家族連れの姿や、BBQを楽しんでいるグループもちらほらと見られました。
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連休も終わりますね・・・。

2014年05月05日 | 何気ない?日常
 明日はゴールデンウィーク最終日ですね。この連休を利用して学会発表の準備を進めていました。今度の日本気象学会2014年度春季大会では、大会4日目(24日)に「山形県内における冬季の季節風と夜間の気温分布の関係」と題してポスター発表の予定です。

 これまでは冬の季節風と山形県の地形が織り成す局地風系に着目したアプローチに尽力してきましたが、今回はもう少し違った視点(今まで手つかずだった角度)からアプローチすることで、足りない部分を補おうと言うものです。この両者が相補的な関係となる事で、山形の冬に関するメカニズムの理論が構築されてくる事を目指しています。

 後は交通・宿泊の手配をして、学会発表に臨むだけです。
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三太刀七太刀

2014年05月03日 | 何気ない?日常
 今日は故郷の山形県・米沢市で、上杉まつりのクライマックス「川中島合戦」が行われました。最大の見せ場は、やはり上杉謙信公と武田信玄公の直接対決でもある「三太刀七太刀(みたち・ななたち)」のシーン。

 これは、永禄4年(1561)の川中島合戦の最中、上杉謙信公が自ら武田本陣に切り込み、馬上からそのまま、相手方の武田信玄公に向かって、三度太刀を斬りつけたのに対し、信玄公は立ち上がって、手にしていた軍配団扇で応戦したというシーン。後で信玄公の団扇を調べてみると、刀の傷が七つもあったことから「三太刀七太刀(みたち・ななたち)」と呼ばれています。

 ・・・と言うわけで、「いつもの調子で」このシーンを描いてみました。



・・・何とも微妙な感じですね・・・f(^o^;)。
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