退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ヤクザをいたずらに追い詰めるだけの法律と何とも奇妙な雰囲気の映画」について

2024-10-29 02:20:23 | Weblog
晴れ。仕事帰りに少し降られる。

廣末登「だからヤクザを辞められない」を読む。

「元暴5年条項」というのを初めて知る。
曰く「暴力団を辞めても5年もしくはそれ以上の期間、契約という行為が一切出来ないこと」。

具体的には「銀行口座の開設」「自分名義での借金」「携帯電話の契約」
あるいは「保険への加入」「バイク免許の取得」が不可能で。

せっかくヤクザを辞めてもこれでは「新しい仕事」は見つけられず。
この種の「異様な厳しさ」がまた元の世界に戻らせることに。

そもそも彼らは「不幸な環境の下」で育ち。
「普通の生活を送る」のに時間がかかる存在でもあり。

もちろんそれでも「ヤクザにはなっていない人々」がいるのは確かだとして。
この条件でどうやって新たな生活を始めればいいのか。

もう少し「カタギになりやすい環境」を与えなければどうにも。
その「当然」が無視されるのはなぜなのだろう。

アガタ・アレクサンダー「ワーニング 地球最期の日」(’21)を観る。

何とも「奇妙な雰囲気」を持つ作品。
冒頭に登場するデイヴィッドが最後に見ることになるものよ。

AIのゴッドに「依存する」クレアは新しいそれに不満で。
恋人アナを「監視する装置」を使ったせいでベンは「接近禁止命令」を受け。

「上流階級」のリアムと付き合っていたニーナは。
「彼の自分に関する記憶」を母親によって消され。

母親のどうしようもなさにうんざりした17歳のマグダは。
「一人暮らしのための資金」を稼ぐために「危険な仕事」をした結果傷付き。

避難命令に従ってシェルターに行ったシャーロットは。
クレアの近所に住んでいた幼いエマと一緒に座るのだけれど。

ラストの「皮肉ぶり」がなかなか。
アメリカ映画だがポーランドと組んでいるのが珍しい。
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「科学的根拠のないまま現場に対応すること=アンビバレンスと植物の危機意識が人間を滅ぼす映画」について

2024-10-28 03:57:48 | Weblog
くもり。だったはず。

苅谷剛彦「思考停止社会ニッポン」を読む。

オックスフォード大の教授がコロナ禍の帰国で感じた違和感。
「アンビバレンス=矛盾」というのがキーワードで。

「科学的根拠」もないままに対処は行われ。
いたずらに「隔離」された挙句その後に「解放」されることに。

「どこの国よりも厳しい水際作戦」をする一方。
「国」から「自治体」へ移行するとなぜか融通が利くようになり。

「自粛を要請する」という言葉の意味は英語では説明出来ず。
それでも多くの国民は従ったり。

ざっくり言うなら「やってる感と『現場』への対応」が交錯しているということか。
ただし「現実」は認識されず。

この在り様は「壊れた子どもの認識」に似て。
曰く「どこまで行っても間違いだらけ」。

M・ナイト・シャラマン「ハプニング」(’08)を観る。

この監督の描写をあらためて。
「外から襲ってくる何ものかに対する内」。

そして「意味不明なものの実態」は決して描かれず。
今回は「植物と風がもたらすもの」。

「黒沢清のダメなパターン」とでも言ったらいいのか。
主人公たちと一緒に逃げた子どもたちの行方を忘れずに。

「風=グローバリズム」だと敢えて解釈しておくことにする。
「みんなを死に至らしめる毒」だということで。

「誰もそこから逃れられない」。
「他人との関わりを絶ったはずの老婆」も同様に。

「コロナウィルスの先取り」だと思えば納得。
もっとも今は「どこ吹く風」になってしまったけれど。
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「『男子の日常』のリアルな描写と『無謬性』にこだわる検察を支えるわが国の民度あるいはどうしようもなくダメな映画」について

2024-10-27 03:56:49 | Weblog
くもり。夕方に晴れる。

「ユリシーズ Ⅱ」読了。

後半にはブルームの「妄想」など。
「男子の日常」がここに描かれていると思っていいのかも。

こんなことばかり考えているのが実際だとして。
「犯罪」にならなければ幸いと思うのみ。

もっとも「妄想」とそれを「現実」にすることには大きな隔たりがあり。
とりあえず今後の展開に期待しておく。

マル激を観る。

今回は「最高裁判所裁判官国民審査」について。
本来は「国民からの司法へのチェック」のはずが。

判断材料も提供されないまま「形式」だけになっている現実よ。
それを許すわれわれの「民度の低さ」も。

「基地問題」がある沖縄だけがこの種のことに敏感で。
「無謬性」などという人間にはあり得ないものを基本とする検察の姿など。

必死にやっても間違えるのが本来の姿だというのに。
「推定無罪」の意味が「権力の恐ろしさ」にあるのも忘れずに。

パク・フンジョン「THE WITCH 魔女 増殖」('22)を観る。

ヒドいのひと言に尽きる内容。
おまけに137分という無意味な長さで。

「物語」に感情移入出来るところがなく。
「映像」としても観るべきものがない。

おそらくは「怪物」が実は「素直」で。
愛情を持って接すればいい存在だということを描きたかったはず。

ただし問題なのは。
主人公を生み出した「組織」の人間たちの在り様がよくわからず。

そこに「小林旭映画」でよくある「土地を奪いたい者たち」が加わって。
何が何やらの結果に終わった次第。

芸能の分野で「世界を席巻する」かの国にして。
このような「不細工な映画」を可能にしそれが興行成績を上げてしまうことを覚えておこう。
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「ほぼ『狂気』な言葉へのこだわりがある古典小説と今でも人気があるゲームの映画化作品」について

2024-10-26 02:13:14 | Weblog
くもり。上着なしで出かける。

ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ Ⅱ」を途中まで読む。

ここまで「言葉遊び」にこだわるのかといった趣き。
もう「狂気」ですな。

アイリッシュ風の「バカ飲み」の姿にふむふむ。
次から次へと「仲間」がやってきた挙句のこと。

「文体遊び」もあり「文字が欠落するパターン」も。
この徹底ぶりには感服せざるを得ず。

それが楽しいかのと問う前に。
ここまで出来てしまうことに驚くのみ。

これまた明日読了予定。
まだ2冊残っているのだからいやはや。

三池崇史「劇場版 龍が如く」(’07)を観る。

もう17年前の作品ゆえ。
北村一輝も岸谷五朗も若く。

遠藤憲一とムロツヨシの「掛け合い」には「NGゆえの笑い」が。
塩谷瞬とサエコの「道行ぶり」にふむふむ。

哀川翔、松重豊、田口トモロヲ、加藤晴彦、荒川良々、真木蔵人、塩見三省らが脇を支え。
「サスペクト 哀しき容疑者」(’13)のコン・ユも登場。

遥、夏緒の魅力がなかなか。
彼女の母親には高岡早紀。

もっとも作品として面白いかと言われると微妙。
ただしオリジナルのゲームを知らないので比較は出来ず。

仕事場の上司によるとしばらく前に出たこのシリーズは否応なく「泣かせる」とのこと。
そこまでの「お付き合い」はないのでいちおうそういう評価があるのを書いておく。
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「色気を基本としつついろんなものが描けた人と惜しい映画」について

2024-10-25 02:47:29 | Weblog
くもり。おだやか。

中村圭子「石原豪人 『エロス』と『怪奇』を描いたイラストレーター」を見て読む。

こういう絵を描いていた人。
バタークリームのような色気を纏って。

昔見た映画の看板を思い出し。
なるほど後期には「性」にまつわるものが増えたわけだと思うことしきり。

江戸川乱歩作品にはピッタリかも。
むしろ「少年探偵団」ではない作品の数々に。

アメコミのような絵も描けて。
ある種の「天才」ですな。

面白いのは「マンガ連載」が長続きしなかったこと。
「動きのある絵」はダメだった模様。

この魅力はもっと世の中に知られていいはず。
当人は「相当な妄想癖のある人」だったらしいけれど。

石川淳一「変な家」(’24)を観る。

前半は多少の怖さを感じられてよかったのだが。
後半になって「犬神家の一族」(’76)のような展開になったのが残念。

「謎解きはつまらない」ことをあらためて。
佐藤二朗の「新たなキャラクター」と「狂言回しぶり」にはふむふむ。

DJ松永がこんなところに。
演技は自然でグッド。

「殺人のための工夫」が「パニック・ルーム」になるのも同様に。
過去のいろんな映画を「まとめてみました」といった趣き。

「ツイスト=意外なオチ」はあまり活きていず。
斉藤由貴と瀧本美織の「あやしさ」が逆効果になったかも。

髙嶋政伸もこれではもったいない限り。
長井短の顔は印象に残る。

「能面」の使い方も悪くないのに。
何とも惜しい作品。
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「『眼福』を味わう本といささかダレたがそれでも楽しい続編映画」について

2024-10-24 02:18:46 | Weblog
くもり。湿度の高いこと。

池上英洋・青野尚子「超絶技巧の西洋美術史」を見て読む。

ファン・エイク、アングル、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、フェルメール、
レンブラント、ピーテル・ブリューゲル一世、デューラー、ティツィアーノ、

ベラスケス、ターナーが知っている画家でその他は初顔合わせ。
中でもウォーターハウス「シャロットの女」が印象に残る。

「ラファエル前派」のミレイ「オフィーリア」の影響があるとのこと。
なるほどそういうことかとうなずいた次第。

画像は著作権の関係があるので検索をよろしく。
しばし「眼福」に浸る。

ビル・デューク「天使にラブソングを2」(’93)を観る。

ローリン・ヒルやジェニファー・ラヴ・ヒューイットが出ていて。
前者は「To Zion」後者は「ラストサマー」(’97)を後に。

あまり魅力的ではないがジェームズ・コバーンの姿も。
「荒野の七人」(’60)が懐かしく。

ターニャのターニャ・ヴロントも魅力的。
アマールのライアン・トビーも同様に。

スケッチのロン・ジョンソンの「素朴さ」も悪くない。
お話の結末はわかっているのでそこまでどう持っていくのかが肝心。

本作はややダレた趣き。
それでも「コンクールでの聖歌隊の姿」が文句なしに楽しいのは確か。
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「『インチキ保守=学習能力がない人々』であることの確認とやはり楽しいミュージカルにもなった映画」について

2024-10-23 02:49:53 | Weblog
くもり。今季上着を初めて。

小林よしのり「愛子天皇論」を読む。

「インチキ保守」の姿が本作で明らかに。
それにしても「どうしようもない人々」がいたずらにメディアに。

著者は「歴史を学んで知った事実」を挙げているだけ。
「学習能力のない人々=インチキ保守」だと思っていいだろう。

限られた時代の「常識」をいつまでも説き続ける姿たるや。
いくら「論破」されても平然と自説を繰り返すのだからいやはや。

この種の人々を跳梁跋扈させることになったのはやはり安倍晋三のせいか。
彼の妻は今も活動していて丸山珠代を応援していたりする模様。

個人的には「天皇という存在」にはあまり興味がなく。
一時期「インチキ左翼」がその発言を利用しようとしたことは覚えている。

「立ち位置」に関係なく。
「天皇に頼る」のはよした方がいい。

「週刊文春」もこの話についてはダメなだけ。
もちろん「いい時もあるが悪い時もある」という「当然」があるのみ。

「問答無用に信頼出来るメディア」などありはしないのだから。
「是々非々」であるのが「基本」のはず。

エミール・アルドリーノ「天使にラブソングを」(’92)を久方ぶりに再見。

ウーピー・ゴールドバーグの「型破り」がマギー・スミスに支えられているのを確認する。
シスター・メアリー・パトリック、キャシー・ナジミーは見ているだけでハッピー。

内気なシスター・メアリー・ロバート、ウェンディ・マッケナの「成長」。
あるいは「頑固な」シスター・メアリー・ラザラスのメアリー・ウィックスの「変化」もあり。

補聴器がポイントのシスター・アルマ、ローズ・パーレンティも素敵。
この「聖歌隊」は「平均年齢」が相当に高い。

「間抜けなコンビ」が登場するのが「昔ながらのパターン」で。
かの国の「喜劇映画」に則っていて。

冒頭にはマーサ・リーヴズ&ザ・ヴァンデラス「heat waves」。
マリー・ウェルズ「My Guy」が「My God」になったり。

ハーヴェイ・カイテルがまだ若く。
「マッチョなギャング」を演じているのもグッド。
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「『自意識』が邪魔する本と何ともしあわせな気分になる映画」について

2024-10-22 03:34:59 | Weblog
晴れ。夜風が冷たく。

荻野慎諧「古生物学者、妖怪を掘る」を読む。

副題に「鵺の正体、鬼の真実」。
「妖怪」は実際にはどの動物だったのかを追い求める内容。

著者の「韜晦ぶり」に残念ながら肌が合わず。
読み始めた時から違和感を覚えるのみ。

もっと「自然に」あれこれ伝えてくれたらいいのに。
せっかくの内容を「自意識」が邪魔している趣き。

構成もいささか微妙か。
何とももったいない出来だと思うことしきり。

ティム・バートン「ミス・ペレグリンと奇妙な子どもたち」(’16)を観る。

ミス・ペレグリン、エヴァ・グリーンの「魔女らしさ」が素敵。
もちろん「奇妙な子どもたち」も同様に。

「X-menシリーズの童話版」だと思えばいいのか。
それぞれの「能力」が実に楽しく。

テレンス・スタンプの健在を確認する。
ウィリアム・ワイラー「コレクター」(’65)が懐かしく。

ジュディ・デンチはもうすぐ「傘寿」。
彼女の使われ方はもったいないけれどグッド。

エマ、エラ・パーネルの「バタークリーム顔」も好ましく。
多彩な能力も同様に。

印象に残ったのは「沈没船がクジラのように浮かび上がるシーン」。
骸骨が活躍するのはレイ・ハリーハウゼンを思い出させて。

久方ぶりにかの監督作品に接したら。
しあわせな気分を味わえてうれしい。
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「劣化がもたらす本と犯罪あるいは前作頼みなダメな映画」について

2024-10-21 02:36:56 | Weblog
晴れ。やや冷たい風が吹く。

アンデシュ・ハンセン「最強脳」を読む。

「一流の頭脳」「スマホ脳」は読まないままに。
この種の「科学者」はドーパミンやコルチゾールを「根拠」とする模様。

「運動すれば脳にいい影響が出る」という実にシンプルな内容。
スマホの着信音はわれわれを「パブロフの犬」にするのだと。

悪いがこの程度のことを「科学」と呼んでいいのかどうか。
ここでも「わかりやすさ」が幅を利かせているようで。

本書が売れる現実を思えば。
「人々の劣化とそれゆえの不安」がますます進行している事実が浮かび上がる。

「脳をよりよくしたい」という「欲望」はどこから生まれるのかというと。
「脳の出来が悪い」という「隠された自覚」があるから。

このところ「匿名・流動型犯罪グループ」による事件が次々と。
それをもたらしたのは警察による「暴力団壊滅」で。

追い詰められた彼らは「足のつかない犯罪形式」を思い付き。
そこに「劣化した人々」が利用されているだけで。

たとえ「闇バイト」だと言っていなくとも。
「異様に高額なそれ」には「裏」があると思うのが「常識」のはずなのだが。

おそらくはそういうことさえ分からないあるいは「どうでもいい人々」がいて。
「需要と供給」が成立してしまっている次第。

警察は「全勢力を挙げて事件の解明を目指す」という「姿勢」を見せるものの。
「全体を知りえないパターン」を作ってしまわれた以上それは「無理筋」。

やればやるほど「儲かる現実」があるのだから。
「頻繁」にならない方がむしろおかしいほど。

武内英樹「翔んで埼玉 琵琶湖より愛をこめて」(’23)を観る。

原作者魔夜峰央を冒頭に登場させるだけでダメだとわかる内容。
それが「面白さ」にどう繋がるというのか。

気になるのはGACKTの「衰え」。
前作にあった勢いが全く感じられず。

俳優も芸人もそれなりに豪華なキャストなのだけれど。
二階堂ふみを「背景」にして杏を前面に出したのも微妙。

印象に残ったのはゆりやんレトリィバァが登場するアニメチックなシーンのみ。
繰り返すがアキラ100%は演技者として「使える」。

前作のいいところに頼って。
「御存じ」と言われてもシラケるのみ。
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「頭がすっきりする文章を書く人と『性被害』に関する情報を知ることの需要さあるいは超豪華キャストの微妙な映画」について

2024-10-20 03:14:08 | Weblog
くもり。夕方にまたスコール。

ポール・ヴァレリー「ドガ ダンス デッサン」を読む。

著者の文章は頭がすっきりしていい感じ。
「明晰」とはこういうことかと。

「人物=キャラクター」がいなくなったことと。
「新しさ」のみが優先される状況は今も同じか。

「風景画の流行」に「退行」を感じるのも同様に。
現在で言えばTikTokのそれが近いのかも。

「文句なしに素晴らしいもの」を評価するのではなく。
「みんなに受け入れられやすいもの」が評価されることを思えば。

もうひとつ覚えておきたいことは「面倒くさい人と付き合うこと」。
その種のことが避けられて久しい。

マル激を観る。

今回は「性被害がもたらすもの」について。
冒頭は「ジャニー喜多川事件の風化」を憂う内容。

わが国はこうした出来事に対してあまりにも無関心で。
「消費されるニュース」とは違う扱いをしたいもの。

何より「週刊文春」による記事で民事では「有罪」になったにもかかわらず。
それ以降メディアはそれを「何もなかった」かのように対処したのが大いに問題で。

「儲け」と「スッキリ」のためなら何でもする人々よ。
曰く「恥を知れ」(とはいえ無理筋か)。

残念ながら迫田朋子はいささか「鈍感な反応」。
「痴漢」に遭ったことその他の宮台真司の発言が光る。

「生物学上の親」を「ダメな人」だと認識出来るようになるかが肝心だったり。
同時に「封印されていた怒り」を声に出すことの大切さも。

「信頼できる人」がそばにいる環境の確保を。
被害者たちを「受け止めるだけの力量」を持つためには「知ること」が重要なのも忘れずに。

水田伸生「ゆとりですがなにか インターナショナル」(’23)を観る。

異様とも思えるほどの豪華キャスト。
それを思えば「不思議な世界観」はあるものの微妙。

要するに。
これだけの面々を集めてしまえば「それなりの結果」は自動的に出るのだから。

木南晴夏の素敵さをあらためて。
このような演技を可能にする俳優がどれだけいるのか。

柳楽優弥の「インチキぶり」が効を奏すあたりはなかなかの展開。
がしかし。

これを「インターナショナル」と呼んでいいのかどうかは疑問。
「いろんな国の人々」が登場するだけではダメでしょう。
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