山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

「やわらかな針」桐生典子

2006-02-11 02:16:23 | 読書
これの感想を書かなくちゃいけません。しかし、なかなかエネルギーが要ります。

あらすじ
万里子は音楽家粟野武のよき理解者であり、長年彼の近くで彼の活動を支えてきた。その武は高校時代に思いを寄せていた「かほり」と15年ぶりに再会し、結婚した。
かほりは不治の病にかかっており、それを知っての結婚だった。
万里子は武を愛していたが、かほりは美しく知的な女性であり、さらに限られた命であるため、武が心を注ぐのは当然で、ごく普通の女性である自分には、とてもかなわないと思っていた。武も万里子を信頼し好感を持っていたが、いつも傍らにいる協力者として頼り、かほりの力になることにまで協力を求めた。
あるとき、万里子が自分で作ったディープ・ブルーのワンピースを着ていると、かほりはそれがステキだから同じデザインのものを作ってくれと言い出した。万里子はそれに応じ、その肉体の魅力などを感じつつ、かほりの体を採寸し、一緒に布地を買いに行き、かほりは白のシルク・サテンを買った。
布地を買いに行ったとき、かほりは蚕に愛着を示し、それ育てて繭から絹糸をとって自分のワンピースのすそをまつることに使うことにきめた。
かほりの命は限られていたので、万里子は急いで服を縫わなければならなかった。
仮縫いのとき、万里子が誤ってかほりの胸に針を刺してしまうのだったが、かほりはわざとやったのだろうと言って、険しい態度になった。
そして、自分の病は治っており、死ぬのを待っても無駄だと言った。生きられないかほりには、生き続けることのできる万里子がにくらしかったのだ。万里子は、かほりが程なくしてこの世からいなくなることをアタマに入れていたことは確かだった。だからこそ、優しくできたのであろう。しかし、一方で、死んでいく人間にはかなわないという気持ちもある。そんな2人の秘めた気持ちが、針をきっかっけに爆発した。
結局、かほりの病が直ったというのはウソであり、その後病気は悪化して、かほりは亡くなり、万里子が作ったワンピースはかほりの死装束となった。

ひとりの男をめぐっての2人の女の気持ちと、内心を殺しての表向きの振る舞いなどが良く描かれていた。

* * *

ところで、この作品の中には、蚕の話が詳しく描かれている。蚕の姿は新幹線に似ている。そして、幼虫のときはとにかくもりもりと桑の葉を食べ続ける。ある日、はたとたべるのを止める。今度は口から糸を吐き出しながら八の字にアタマを動かして繭を作り始める。最初はうすく張った糸の中に動く蚕が見えているが次第に繭が厚くなって蚕は見えなくなり、繭の中で停止する。
普通はそこで繭は煮られ、中の虫は死んでしまい、糸だけが採取される。
もし、蚕が蛾になって繭から出てきたとしても、その蛾は長い歴史の中で人間に飼われていた為に、飛ぶこともできないから、蚕は野生では生きていけないようになっている。
蚕は、ただ糸を採られるために一生懸命桑の葉を食べて繭を作って死んでいく虫である。

実は私も蚕を5匹くらい飼ったことがある。本当に新幹線のような姿である。一匹は食欲がなく、幼虫のうちに死んでしまったが、あとの4匹はすくすく育って繭を作った。その中の一匹は繭作りがうまくいかず、なかなか楕円形の形ができなくて、糸を無駄にしたようだった。
4つの繭は呉服屋さんに返さなければいけなかったが、私は虫を死なせるのがいやでそのまま家に置いておいた。そうしたら、繭から蛾が出てきた。しかし、ひとつの繭からは最後まで蛾は出てこなかった。それはおそらく繭つくりに手間取って失敗を繰り返していた蚕のものだった。きっと余計な労力を使って弱ってしまったのだろう。
そして、出てきた蛾はまるで、別の生物だった。立派な触覚があり、目は幼虫のように無心ではなく、小さい羽と大きい胴体を持ち、足もおぞましいかんじだ。繭から出るとほどなく近くの雄と雌がくっついて、いきなり交尾を始め、変な液を飛ばして、そして、卵を産むと死んでいった。
その卵を翌年孵化させようかと思ったが、ベランダにずっと放置してあったのをケースごと捨てた。残された繭は黒い穴が開いていて、その部分がちょっとグロテスクだった。この抜け殻の繭から糸を採取することができると思い、しばらく保存してあったが、そのうちやはり気持ちが悪いもんだと思って捨ててしまった。

あの蚕たちは何のためにこの世に生まれて生きていたのか?その絹糸さえもが無駄になったのである。あの蚕たちは、私に蚕の生き様を教えるためにのみ生まれてきたのだった。

私は蚕の思い出はつらい。放送大学の「近代日本と国際社会」の教科書を読むのを止めてしまったのは、絹織物のところで、うちで飼っていた蚕を思い出してしまったからでもあった。繭を捨てたことへの悔恨があり、蚕に申し訳なかったという気持ちで心が病んでいる。

* * *

この本のどれかの作品で、カナリアを殺してしまったという場面もあった。忙しくてうっかり数日間カゴをベランダに出しっぱなしにして放置し、えさも水もやらなかったという場面だ。
妻は、本当にすまなかった、どうして忘れていたのだろうかと後悔するが、後の祭りである。
うちでもカナリアを何年も飼っていて、飢え死にさせたことはなかったが、つい、世話を怠りがちになったこともあった。
私は、夢でよく見るが、何か動物を飼っていて、それをずっと忘れていて、しばらくぶりに生きているかどうか非常に不安になって見るという夢である。鳥だったりハムスターだったりする。
時にはなぜか1歳くらいの子を家にひとりで置いてあって、自分ははるか遠くに寝泊りしていて、その子が家で無事にしているだろうかと心配する夢もある。

生き物の命のあやうさ、はかなさというのは、ほんとうに辛いものであり、私には一種のトラウマになっている。

* * *

なんだか、支離滅裂になったが、「やわらかな針」を読んだことをきっかっけに思ったことである。

この本に収録されている8編。女の人生を考える意味でも、興味深かった。
今後も桐生典子の作品を読みたいと思う。

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