今日は仕事を休んだ。
自宅でできる仕事がなかったからである。
いや、実は4月分の統計資料をまとめる作業があるにはあるのだが、それをする気がまるで起きないのだ。
自宅でする仕事が無い場合は、出勤して会社で作業をするのだが、最近新人の人が入ってきて、その人に仕事を教えるために、近隣部署の出勤者が多く、自分の周りの席がかなり密になってしまっているのだ。
あまり私語などは発しないのだが、それでも同じ空間に複数人の人が長時間一緒にいるとなると、エアロゾルが発生するかもしれない。
そのようなリスクを冒すくらいなら、特に急ぐ仕事でもないので、休みにしてしまった方が良いと思った。幸い有給休暇も残っているので、家でいたずらに間延びした仕事をして時間を過ごすよりも良い。
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いつも人けのない職場に出勤して仕事をしていると、もっと人が多いほうがいいなあと思う。人が少ないと虚無感のようなものに襲われる。
しかし、いざ出勤者が多いと、活気が出て楽しいというよりも、誰かがウィルスを持っていたらどうしようと、感染が怖くなってしまう。
矛盾している。
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休みを取って自由な身になったものの、やるべきことはぜんぜんはかどらない。
夏物と冬物の衣類を入れ替えようと思ったのだが、洋服だらけで収拾がつかない。
何かを捨てるしかないと思うが、なかなか踏ん切りがつかない。
衣服は真冬ものやもう少し薄手のものや、外出着や室内着・普段着などと分類して、それぞれの決まった引き出しや衣装ケースに入れるべきところ、だんだん入りきれなくなったりして、もうとりあえずここに入れておこうなどということで、分類も滅茶苦茶になっていくのだった。
そうして、もう面倒だわと思って、そのまま床の上に放り投げたり、積み上げたりしており、片づければ片づけるほど散らかるという発達障害の様相を呈していく。
そうして、それを見ると、もう生きているのも面倒くさいような気分になってきて、何もかもがいやになる。
放送大学のレポートとか課題とか無理だし、図書館から借りて来た本なんか読めるはずがないし、そういえば、玉川上水の散歩も万願寺の散歩も街歩きも、ブログに書くつもりが、全然書けないし・・・。
実家の母のところに行かないといけないだろうし、独身の次女は元気に働いて暮らしているんだろうかと心配になるし、家族のいる長女にしても孫にしても、これからずっと平和に健康に暮らしていけるんだろうかと不安になる。もちろん自分たち夫婦もこの先どんな老後を過ごすのか?
自分はいつまで働けるのか?車はいつまで乗れるのか?数年後には、今の生活形態に終止符を打たなければいけないのか。
今後、安泰に暮らしていけるなんて保証はなくて、不安材料の方が多いのだ。
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仕事はいつも真面目に全力を尽くしています、なんていう姿勢を維持するのって、なんかいい加減いやになってきた。
今日は面倒くさいので、休みますよ。
今日は働きたくないし、ちょっと数日休むことにしましたよ~
なんてことがまかり通る、、というか、まかり通すような人間になってしまいたいよ。
真面目なふりをして、頑張るのもいい加減疲れたよ。