山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

「総理とお遍路」について ~トンチンカンな自分~

2015-12-07 18:09:31 | 読書
昨日、「金剛福寺も空海が作った寺だったことがわかった」と書きましたが、自分の中でうやむやだった点は、四国88か所っていうのが、すべて「空海ゆかりの寺」であるという認識がなかったことです。四国に点在するただの寺巡りだと思っており、いろんな宗派の寺があるんだろうと漠然と思っていたりしました。すべてが空海ゆかりの寺だとすると、全部真言宗ってことになるのかな?(追記:大部分が真言宗ですが違う宗派の寺も8か所くらいあるらしいことがわかりました。)

アホだな~~

お遍路なんていうのは、世捨て人というイメージがあり、何か意思に反して罪を犯してしまった人や、深い悲しみにくれた人が、懺悔の気持ちを癒したり、悟りを開くために、険しい道を黙々と歩き、質素な身なりで、質素な食べ物で、密かに寺巡りをする、というイメージがありました。

お遍路について私が初めて知ったのは、松本清張の「砂の器」で、確か、和賀英良(実は秀夫)が子供のころ、父と2人でお遍路をしていたという場面です。今調べてみると、秀夫の祖父がハンセン病になり、母が去り、残された父と子が村に住み続けることができず、巡礼の旅に出たとのことです。秀夫はそういう過去を秘密にして、和賀英良という他人の戸籍を使って生き、ピアニスト(作曲家?)として華々しく出世するものの、暗い過去を知る昔の巡査に出会ったことにより、その巡査を殺してしまうという話だったと思います。子供時代に父と巡礼をして歩く姿は印象的です。

近頃の四国のお遍路というと、ちょっとしたブームのようです。特に世を捨てる必要もなく、悟りを開く必要もない人々が歩きます。一種の趣味、一種の「命の洗濯」、非日常の体験という意味合いが強そうです。
しかし、何か目的意識がなくては、そう簡単にできるものでもないようです。歩きお遍路は実際に、非常に過酷で、何も考えられない、ただひたすら足を運ばないといけない場面も多々あるとのことです。
一度上った道がまた下り坂になり、また上らないとけない。寺によっては、行った道を引き返さないと次の寺に行けない、など、無意味と思える苦労を繰り返さないといけないのは、日常生活の中でも多々あることです。そういうことで精神が鍛えられるのかもしれません。

なんで政治家の菅さんがお遍路なんてやってんの?と思う世間の人が多いようです。失敗に対する懺悔だとか、ご利益を求めているとか、パフォーマンスだ、などと思う人も多いようですが、けっしてそんなものではありません。一言でいえば「健全な思い」からだと私は思います。

で、ずいぶんと話がそれてしまいましたが、菅さんは以前、司馬遼太郎の「空海の風景」を読んで、空海について関心を抱いたそうです。

「天才空海の姿と真言密教というものがどういったものか、司馬遼太郎氏の目を通して語られており、大変興味深い。~~~日本は歴史的には仏教がまず伝来し隆盛を誇り、その後儒教思想と共存してきたようだ。こうした思想が日本社会に与えている影響についても考えてみたい」

と、「空海の風景」の感想をブログに書いたことがあるそうです。

お遍路を実際に始めた具体的なきっかけは、意図しない本人の年金未納事件や、奥さんのくも膜下出血などがあったそうですが、空海の仏教について以前から関心を抱いていた、という動機は大きなものだと思えます。

こういうことは、この本の最初に書いてあるので、四国88か所のお寺が空海ゆかりの寺だというのは、まず第一前提であるというのに、大ボケな私でした。

それにしても、空海という人は、こんなにたくさん寺を作り、仏教を広めて、すごい人だったんだな~と思います。

(また、この本について、何か思いついたら、書きたいと思います。)

コメント

「総理とお遍路」を読み終えました

2015-12-07 00:16:48 | 読書


10月13日に、本屋さんで菅直人氏の「総理とお遍路」を買いました。それから少しずつ読んでいたのですが、あるとき、何かの理由で、バッグから外に出したのをきっかけに、それが行方不明になってしまっていたのです。

最近、自分の机周りのガラクタの山を片付けたのですが、それでも発見されず、どこに行ってしまったんだろうと思っていました。

物というのは、探すとみつからないものです。あきらめていたところ、今日、ふと台所の、普段座らない椅子の上においてあった平たい四角の容器(本来A4の書類などが入るトレー型のかご)の中に、この本を発見したのでした。
このかごには、巻きすや、固めるテンプルや、ゴム手袋などが入っており、その上に大人のふりかけやら、弁当包みの布やらがのっかっていました。
その巻きすの上、ふりかけの下に、「総理とお遍路」があったのです。

いつも、自分が座っている椅子の横ですが、なぜかそこに置いてしまったのですね。

しおりが挟んであったところから読み始めました。半分くらい読んであり、中断したのは1カ月以上前だったかもしれず、前半の記憶は遠いものとなっていますが、続きから読みました。

横綱朝青龍の名の由来である36番の青龍寺。
そして、印象深かったのは、38番の足摺岬の金剛福寺でした。私は四国は学生時代に姉と旅行に行ったことがありますが、南側には行ったことがないし、四国の土地の位置関係などほとんどわかりません。これを読んで、太平洋側には室戸岬と足摺岬がかなり離れた位置に飛び出ていることを知り、足摺岬は不便な場所で、東京から飛行機と電車を使って行くにも、日本で1番時間がかかる場所だとのことを知り驚きました。

その金剛福寺という名をみて、金剛峯寺ではないのか?などと思い「空海が高野山に金剛峯寺を立て真言宗を開いた」などという子供のころの社会の教科書を思い出したりしていました。
「高野山って、どこなんだろう?」と改めて気になり、調べたら和歌山県だということが今さら、わかりました。だからやっぱり違う寺だなと思いつつ、こちらも調べてみると、やはり真言宗で空海が開創したのだそうです。なるほど。

菅さんは、足摺岬で船に乗って観光もしたそうですが、足摺岬は自殺の名所で、絶壁から飛び降りると、その下に洞窟があり、遺体は海から洞窟の奥に流されて入ってしまうので、みつからないのだそうです。田宮虎彦の「足摺岬」という小説にもなっているそうで、読んでみたいなと思いました。
この部分は、印象が強かったです。

さて、それから四国の西側に回って行きます。四国は風力発電やバイオマス発電など、再生可能エネルギーや自然エネルギーに力を入れている土地でもあるそうです。
でも、1つ原子力発電所があります。それが「伊方原発」。

そういえば、つい最近、ここで原発事故を想定して避難訓練をしたというニュースがテレビで放送されていました。(11月8日・9日だったようです。)

菅さんは、2013年9月に「伊方原発反対集会」に出てから、7回目のお遍路を始めたそうです。
伊方原発は、愛媛県の西で、地図で見ると四国の左に細長く出っ張った佐田岬半島の付け根にあります。もしここで原発事故が起きたら、その半島に住む約5000人の人々は陸路を逃げることができません。それで、船で非難することになるそうですが、海が荒れていたりしたら不可能です。

テレビ番組で見た今年11月の避難訓練の様子では、訓練に参加した住民は70人程度と、かなり少なかったようであり、やはり天候が悪い場合や、お年寄りや身体の不自由な人などは無理だろうと感想を述べている人がいたようでした。また、この原発の近くには大きな活断層もあり、危険な場所だとも言われています。

この原発の地域についても、菅さんは既に把握しておられたわけです。


菅さんは2004年7月15日から2013年9月29日までの間、政治や仕事の合間を縫って7回に分けて、歩きお遍路で四国88か所を廻り終えたということです。
その間の政治や震災、原発事故のことなど織り交ぜて、この本を書いておられます。

この本を読んで、この10年間の世の中の動きも、ざっと思い起こすことができました。
お遍路について、四国についても、いろいろ知ることができました。

私が、菅直人氏の本を読むのは、原発事故以来、脱原発運動をずっと地道に続けている人だからです。
再生エネルギーや林業などについても、もっと知りたいと思うし、自分なりに世の中が安全なほうに進むように、できることをやって行きたいと思っています。

コメント