山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

チカラが無い

2014-10-03 00:00:20 | 日記
今日は、フロアの印刷用紙が減っていることに気が付き、別のフロアに取りに行って来た。運ぶのは台車に載せてエレベーターを使うから問題はないのだが、台車に載せるのと降ろすのが結構大変だ。そこで感じるのは、動かそうとする自分の手よりも、動かされる物体の方が、より固く密度が高く重いということである。その物体(つまり紙500枚×10束の詰まった段ボール箱)に対して、自分の手が、なにやらふにゃふにゃしてしまうのだった。それはもう、物質として、荷重に耐えないのだからどうしようもない感じだ。

最近筋トレをしていないからかなあ?プロレスラーみたいに筋肉を鍛えれば重い物を簡単に持てたり動かしたりできるようになるのだろうか?やっぱりダンベル体操でもやらないといけないかな?

この重い段ボールは、いつもは紙屋さんが持ってくるんだけど、3箱くらいほほいのほいで積み重ねていくのである。それはもうお茶のこさいさいで、あっという間である。特に頑丈な肉体をしているわけでもない普通のおっちゃんでも、いとも簡単に運んでいるのだった。おじさん、すごいなあ~。

そこで、思い出したことだが、このまえテレビで性同一性障害の人のことをやっていたのだけど、その人が女性の身体なのだが、脳は男性なのだそうだ。だから、運送業か何かに就いて仕事を始めたのだけど、身体が女だから、男性のように力仕事ができないのだそうだ。それを思い出して、やっぱり女と男は違うんだなと思った。どんなに力強い女でも、男のような力仕事はできないのだなあと再認識した。

性同一性障害の人は、女性の身体が嫌で、乳房や子宮を取ってしまいたいと思っているそうだ。しかし、そうしたところで、男性のような筋骨たくましい肉体にはなれないのだから、それだったら、身体を変えるのではなく、脳のほう(気持ち)を変えた方が良いのではないか、などとふと思ってしまった。

催眠術で、あなたは女です、女です、女は楽しい、女はきれい、女はステキだ、等と洗脳したら、身体と心が一致するようになるのかもしれない。

でも、心を変えるのは、やっぱり困難なことなのだろう。たとえば、キュウリが嫌いな私に、キュウリを好きになれと言っても、無理である。食べ物の嗜好が一生変わらないのと同じだろう。スポーツが嫌いなのに無理やりやらされるのも嫌だし、好きな事と嫌いな事は生まれた時から決まっているのだ、

くそ重い段ボールを相手に、無力感を感じた私だが、性同一性障害の人だったら、その無力感はもっとずっとショックなことなのだろうと思った。