山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

丸谷才一氏死去

2012-10-14 22:11:03 | 読書
讀賣新聞の第一面に「丸谷才一さん死去」の記事が載っていて、ちょっとショックを受けた。といっても、私は生きている丸谷才一氏を見たこともなく、今生きているとか生きていないとかは、私にとって関係のないことだったかもしれない。

私が読んだ作品は随筆「軽いつづら」と小説「女ざかり」だけである。たぶん「軽いつづら」の文庫本を、店頭で見て、たまたま偶然に買って読んだのだったと思うが、いたく気に入ったのだ。なんて教養があり、そのうえ面白いのだろうと思った。これはかなりの運命的出会いだと感じた。
その後、ちょっと厚めの文庫本である小説「女ざかり」を買って読み終えたが、こちらは一気に読み終えたものの特別ひきつけられるものはなかった。帯に吉永さゆりの映画の写真かなんかが載っていて、映画になったものなのかとは思ったが、映画は見たことはない。
そして、その後は何も読まなかった。
でも、「軽いつづら」は、まれに出会った面白い本だという印象が今でも消えない。

丸谷氏は、1925年に山形県に生まれ、東大英文科を卒業し、大学の教員をしながら60年に「エホバの顔を避けて」で作家デビューし、68年に「年の残り」で芥川賞、72年に「たった一人の反乱」で谷崎潤一郎賞、88年に「樹影譚」で川端康成文学賞、2003年に「輝く日の宮」で泉鏡花文学賞などを受賞。
その他にジェイムズ・ジョイスの作品の翻訳などもしており、2010年には「若い芸術家の肖像」の新訳で、2度目の読売文学賞を受賞したそうだ。
ジェイムズ・ジョイスについては、日本における研究の第一人者として知られているそうである。

丸谷氏は、戦争中から軍国主義に反対し、また、日本の湿っぽい私小説の文学風土にも反発していた。戦後は英文学から学んだ知的で本格的な文学作品を提唱していたそうだ。周囲の人からは「森羅万象を語る知識人」「ユーモアのあふれた人」などと語られている。

丸谷才一氏の小説・随筆・評論・翻訳はたくさんあるようなので、これから読んでみたいと思う。

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久々の迷走

2012-10-14 16:14:15 | 運転・車・道路の事
最近は「迷走」をしていなかったのだが、決して運転がうまくなったからではなく、単に「知らない道を走らないから」であった。

今日は、日曜の午前という絶好の機会に、山の手線の内側に向かって走ってみた。
この夏より、時々駒込に行かなければならない用事があり、1度だけ車で行ってきたが、行きも帰りも予定外の経路を走ってしまったため、今日は再度の挑戦だ。

それで、行きは予定経路を走り大成功だった。
まず新青梅街道を東に向かってずっと進んで行くと、そのまま目白通りになる。
(ナビは右方向の新目白通りに進むように案内してくるが、前回の失敗を踏まえて無視した。)
すると、目白駅北側で線路を越え、山の手線内側に入った。実際には、いつ線路を越えたのかは気づかなかったが、その後、右側に樹木の塀が続いていたのが、学習院大学一帯のようだった。そのまま進み、ナビの左へという案内にしたがって、不忍(しのばず)通りに進んだ。右側に大学のようなものあり。あとで地図を見ると日本女子大だった。
そして、護国寺の交差点を直進。その後、交差する春日通りや白山通りを越えて、上富士前交差点に至った。そこを左に曲がると駒込駅に出るようだが、私はさらに本駒込5丁目まで進んで左に入る。そのあたりは道がうねうねして狭い。今日は駅前の道がバザーみたいなのをやっていて車止めがされている場所が多く、神経を使った。

本当はそのあたりでコインパーキングに入れる練習をしたいのだが、今日の場合、単に練習なので、そのまま戻ってきた。以前は駅付近で迷走してしまったが、今日はうまく元来た不忍通りに戻ることができた。あとは、来た道を戻るだけ。

ところが、「もと来た道を戻る」というのは、意外に難しいものなのだ。行く時のことばかり考えていて、帰りの道順をあまりアタマに入れてないから、どのように戻るのか把握していない。そして、ミスったのは、護国寺の大交差点だ。

不忍通りは第2車線を走り続けていた。護国寺の交差点内では、信号の先で2車線が4車線に増え、たしか1が左折、2が直進(目白)、3と4が右(池袋)方向に分かれる。つまり、自分のいる第2車線からは、道路を渡った先で4車線あるうちの第2車線(目白方面)に移動しなくてはならないのだが、どう考えても、第1車線が第1と第2に進み、第2車線が第3と第4(池袋方面)に進むのが自然な感じだ。進めるものなら左側の車線に入ろうと思って進んだが、やっぱり隣を走る車の関係などから、第3車線(池袋方面の第1車線)に入ってしまい、そのまま前の車に続いて、道なりに右方向に進んでいってしまった。
(この部分記載不備につき、11/11に書き直しました。)

右方向に進んだ先の道は首都高速の高架の真下で、ナビがいきなり高速道路バージョンに変わっていた。えっ?ここって高速の入り口???このまま行くと高速に入っちゃうのか???ETCもセットしてないし、お金もすぐに出せないし、どうするんだ。
焦りまくっていると、路地に曲がれる道があった。これをのがしてなるものかと左折した。(直進してもたぶん池袋に行くだけで済んだと思うが、万が一高速に入ったら大変だと思い焦ってしまった。)

路地に逃れてほっとしたものの、その道はどんどん狭くなる。ナビは右だ左だと言ってくるけど、もっと狭い道なので、まっすぐ進んだりした。でも、つきあたってどちらかに曲がらなくてはいけないところもあり、もうわけがわからなかった。住所表示は「雑司ヶ谷」となっている。あとで地図をみると、雑司ヶ谷霊園の南側のあたりだったようだ。

本当にもうわけがわからない。ナビの言うことをきいたりきかなかったりで迷走し続けた。
わけのわからない道。例えば、T字路で付き当たるところを、ナビが右と言っていたので右車線に進むと、その道路は右折禁止で左に矢印が出ている。よく見ると「日曜休日を除く」と書いてあったので、ほっとして右に進んだが、もし平日に間違えて右車線に入ってしまった場合は、どうなるのであろうか?

その先では、ナビが直進するように言っていたので、右矢印の青信号で止まっていた。車線は1つしかなく後ろの車が抜かして右折していった。ふとみると、直進道路は大変狭く、時間によって交通が規制されていた。それによると、12時以降は通行禁止だった。
今はいったい何時なの???午前か午後か???
あわててクルマの時刻表示を見ると11時57分だった。進もうと思えば進めるけど、あと3分じゃない。
しかも、そういう道路はただでさえ曲者なのだ。クルマが走らないに越したことはないに決まっている。赤信号で止まっているうちに右ウィンカーを出して急遽右折に変更。青になって右折で進んだ。はあ~~~ アタマの中、パニック。
早く広い道に出てくれ~~~

そのうち「早稲田通り」という道路を走っていることに気づく。なんとかなるかな。
そして、なんか見覚えのある通りに出た。左側に「新潮社」。ああここ知ってる。近くに「牛込箪笥区民ホール」ってのがあって、子どもたちのエレクトーンの発表会で何度か来た事があるのだ。地下鉄「神楽坂」のそばだ。今地図を見ると、牛込中央通りと書いてある。そこをどんどん下っていった。

前方におほりのようなものが見えた。わ、外濠だ。外堀通りだ。知っている道だが、自分が車で走るとは思わなかった。
付き当たって右に進んだ。市ヶ谷駅があった。そのあたりで事故か何かあったのか、パトカーがいて車線が1つになり、ちょっと渋滞していた。その先の分かれ道を右、新宿方面、靖国通りに進んだ。
そのあたりからは、方向別の車線を選んで進んでいくと、ウィンカーを出すまでもなく行きたい方向に勝手に進んで行く感じだ。新宿に出られると知って、ちょっとほっとするのも不思議なものだ。普通なら、新宿に車で行くのもこわい。

靖国通りは、知らないうちに青梅街道につながっており、そのまま高円寺方面へ。これで本当に安心だ。青梅街道を走っていると雨がぽつぽつ降ってきた。行きは約1時間だったが、帰りは迷って2時間かかった。電車では約1時間くらいだ。

それにしても、雑司ヶ谷・神楽坂あたりはヒヤヒヤだった。そして、まさか自分が外堀通りを走るとは思わなかったけど、“失敗は成功につながる”とは、確かにその通りだ。

100回道を間違えると、100本の道路を覚える。
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