讀賣新聞の第一面に「丸谷才一さん死去」の記事が載っていて、ちょっとショックを受けた。といっても、私は生きている丸谷才一氏を見たこともなく、今生きているとか生きていないとかは、私にとって関係のないことだったかもしれない。
私が読んだ作品は随筆「軽いつづら」と小説「女ざかり」だけである。たぶん「軽いつづら」の文庫本を、店頭で見て、たまたま偶然に買って読んだのだったと思うが、いたく気に入ったのだ。なんて教養があり、そのうえ面白いのだろうと思った。これはかなりの運命的出会いだと感じた。
その後、ちょっと厚めの文庫本である小説「女ざかり」を買って読み終えたが、こちらは一気に読み終えたものの特別ひきつけられるものはなかった。帯に吉永さゆりの映画の写真かなんかが載っていて、映画になったものなのかとは思ったが、映画は見たことはない。
そして、その後は何も読まなかった。
でも、「軽いつづら」は、まれに出会った面白い本だという印象が今でも消えない。
丸谷氏は、1925年に山形県に生まれ、東大英文科を卒業し、大学の教員をしながら60年に「エホバの顔を避けて」で作家デビューし、68年に「年の残り」で芥川賞、72年に「たった一人の反乱」で谷崎潤一郎賞、88年に「樹影譚」で川端康成文学賞、2003年に「輝く日の宮」で泉鏡花文学賞などを受賞。
その他にジェイムズ・ジョイスの作品の翻訳などもしており、2010年には「若い芸術家の肖像」の新訳で、2度目の読売文学賞を受賞したそうだ。
ジェイムズ・ジョイスについては、日本における研究の第一人者として知られているそうである。
丸谷氏は、戦争中から軍国主義に反対し、また、日本の湿っぽい私小説の文学風土にも反発していた。戦後は英文学から学んだ知的で本格的な文学作品を提唱していたそうだ。周囲の人からは「森羅万象を語る知識人」「ユーモアのあふれた人」などと語られている。
丸谷才一氏の小説・随筆・評論・翻訳はたくさんあるようなので、これから読んでみたいと思う。
私が読んだ作品は随筆「軽いつづら」と小説「女ざかり」だけである。たぶん「軽いつづら」の文庫本を、店頭で見て、たまたま偶然に買って読んだのだったと思うが、いたく気に入ったのだ。なんて教養があり、そのうえ面白いのだろうと思った。これはかなりの運命的出会いだと感じた。
その後、ちょっと厚めの文庫本である小説「女ざかり」を買って読み終えたが、こちらは一気に読み終えたものの特別ひきつけられるものはなかった。帯に吉永さゆりの映画の写真かなんかが載っていて、映画になったものなのかとは思ったが、映画は見たことはない。
そして、その後は何も読まなかった。
でも、「軽いつづら」は、まれに出会った面白い本だという印象が今でも消えない。
丸谷氏は、1925年に山形県に生まれ、東大英文科を卒業し、大学の教員をしながら60年に「エホバの顔を避けて」で作家デビューし、68年に「年の残り」で芥川賞、72年に「たった一人の反乱」で谷崎潤一郎賞、88年に「樹影譚」で川端康成文学賞、2003年に「輝く日の宮」で泉鏡花文学賞などを受賞。
その他にジェイムズ・ジョイスの作品の翻訳などもしており、2010年には「若い芸術家の肖像」の新訳で、2度目の読売文学賞を受賞したそうだ。
ジェイムズ・ジョイスについては、日本における研究の第一人者として知られているそうである。
丸谷氏は、戦争中から軍国主義に反対し、また、日本の湿っぽい私小説の文学風土にも反発していた。戦後は英文学から学んだ知的で本格的な文学作品を提唱していたそうだ。周囲の人からは「森羅万象を語る知識人」「ユーモアのあふれた人」などと語られている。
丸谷才一氏の小説・随筆・評論・翻訳はたくさんあるようなので、これから読んでみたいと思う。