山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

雷雨

2008-06-09 23:25:12 | 日記
今朝、傘をさして外に出たら、誰も傘をさしていないので、あれっと思ってみると、すでに止んでいた。
昼休みに外に出ると、わずかに小雨が降っていたが、傘はいらないくらいだった。
夕方、会社を出る時には、もう陽がさして、とてもいい天気だった。
傘を持ち帰ろうかと思ったが、会社に置き傘としておいて置こうと思って、傘立てにそのままにして来た。

帰りは、量販店に寄り道して洋服や食料などを買った。
実は、また同窓会があるので、新しい服を探しにいった。
でも、今や前回のようにデパートで服を買うような余裕はなく、そんな気合も起こらなくなっている。しかし、数年前と同じ服を着ていくわけにもいかないので、安物で済ませることにした。
見る人が見ると、安物だということは一目瞭然だろうが、そんなことは知ったことではない。とりあえず、自分の好きなデザインで、組み合わせがへんちくりんにならないように、上下の配色に気を遣う。下半身デブだから、膝下丈の長めのフレアースカートにした。

買物で2時間近く時間をかけ、いざ帰宅しようとしたところ、なんと、外はどしゃ降りではないか!
どうしても傘無しでは無理な状況である。
買物をしていた店と会社はそう遠くはないので、会社に戻って傘を取ってこようと考えた。
しかし、帰宅したはずのパートのオバサンが、買い物の袋をいっぱいぶら下げて、会社に戻って来る光景は、あんまり見たくないものだな~と思った。
しかも、6時頃だったので、あまり忙しくない近頃では、遅くまで会社に残る社員も少ないはずだし、帰ろうとする人に会う可能性も高い。社員とご対面するのはいやだな~と思って、会社に戻るのはやめた。

じゃあ、ビニル傘でも買おうかと思ったが、家にはビニル傘がごろごろしている。いつも雨に遭遇するたびに買っているからである。これ以上はいらないし、無駄遣いだ。
にわか雨だからそのうち止むのではないかと思い、店の中にもどり、うろうろしてみたり、上の階に上っていって、本屋を見たりしていた。ここで、要りもしない本を買うのだったら、それも無駄遣いだと思う。すごくお腹がすいてきたが、どこかでコーヒーを飲んだりして時間をつぶすのも、傘や本を買う以上に無駄遣いである。

また、出入り口に行ってみると、まだ雨は降っているが、いくらか小ぶりになっていた。
思い切って自転車に乗り、雨の中を進む。
空は、ゴロゴロ言っている。雷は次第に激しくなり、雨も全然止まない。
濡れながら、自転車を走らせて、どこかで雨宿りしようかどうしようかと思いながらも、結局家までたどり着いた。

バカやってるね。



何が好きなのか?

2008-06-09 00:13:41 | 未分類過去
3日間の休みが終わった。
結局、この3日間、いつもの休みのごとく何もしなかった。
何もできないのだ。なぜできないのかわからない。
全く、行動力がなくなり、ひたすら布団にもぐって眠るのみである。

すべてのことが煮詰まっているし、ヤル気が起きない。

小林多喜二の本といっしょに、伊藤整の本も借りてきた。鳴海仙吉を読み始めたが、読み続ける気になれない。面倒くさいのだ。悠長なのだ。やはり私にとっては蟹工船のほうがちょうどいいのかもしれない。鳴海仙吉は若い頃読み始めてやはり続かなかった。それを、自分が若いからだと思っていた。今になったら、自分も40代後半なんだから、中年の心情はよくわかるはずだった。しかし、どうも、最初のうちはどうでもいいような内容だ。

自分が好きだと思いこんでいる作家が、実は自分に合っているわけではないのかしれない。
それは、普通の人間でも同じことだ。なんとなく、この人は自分に合っているとか、自分と理解し合えそうだと思いこんでいることがある。しかし、意外にそうではないのかもしれない。全然気が合わないとか、自分とは違うと思っている人間が実は自分に合っているのかもしれない。

昼寝をたらふくした後、今度は北野武の「余生」の続きを読み始めた。これは読みやすいから半分くらい読んだ。タケシも私とはかなり違う人間だと思った。
そういえば、この人のことは以前は全く関心を持っていなかったのだ。だから、フライデー事件のことも全然知らなかった。
私がこの人に関心を持ち始めたのは、北野氏がバイクの事故を起こして、その傷で顔面神経麻痺になり、その後回復したが、後遺症が残っていて、その後遺症の様子が、私の顔に似ているからである。つまり、おにぎりを食べたときの目の閉まり具合が同じだからだった。そして、また、偶然にも誕生日が同じということを知った。
しかし、考えてみれば、共通点はたったそれだけのことなのだと思う。

何もかもが、自分に合っているわけではないと思い始める。
たとえば、仕事だ。なんで機械だの化学だのの文書を校正しているのかわからなし、なんでそんなことのために放送大学で勉強しているのかもわからなくなってくる。

なんで自分は好きでもないことをしているのかわからないが、だからといって、好きなものが何なのかもまるでわからなくなるばかりだ。