日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

平成最後って言いすぎに閉口します

2019年03月24日 | Weblog

 こんにちは。
 毎日が温かくなっていく中、桜の開花宣言もでました。散歩の途中で足をとめて眺める風景にも桜の木が多くなってきました。気がついてみると、木の高齢が進んでいるのかたくさんの枝が伐採されているように見えました。さらに、来年の五輪に合わせているのか公園のベンチや道路がきれいになっているように思えました。近所がロードレースの会場になるということだけで木々の伐採や道路の拡張工事などと「どんだけ五輪は儲かるの」とう気もしてきます。そういえば、竹田JOC会長のあまりにも早すぎる辞任には驚いていました。(やっぱり、来年のことがあるからだろうか)とはいえ、辞めたということは、疑惑の解明にはまだまだ不明な点を考えれば困ったことだろう。

 ばくも、東京五輪を60年ほど前に郷里でテレビ中継でみていました。あれから、どれだけアマチュアスポーツが変わってきたのだろうかという気がします。きしくも(?)NHKの大河ドラマの「いだてん」の時代から比べればどれほどスポーツの形がかわり、どれほどその基本理念が変わってきたのだろうか…と考えさせられます。
 それにしても、東京五輪というイベントを利用してさまざまな思惑が飛びかう時期になってきました。うっかり、喜んでもいられないような気もしますが…。なんでもかんでも五輪のためなんてなったら、まさしくスポーツイベントが生活を楽しくするどころか圧迫するようになってしまうったら本末転倒ですからね。




【休日には会社と反対方向の電車に乗ってミー!】
 はやいなー、と思いながら日々を送っている。通勤電車に揺られて40年以上の東京生活である。東京にきたとき初めて降りた駅は「錦糸町」だったろうか。アルバイトを手伝うためにひと足先にアパート暮らしをしている友達を訪ねたのだろう。アパートの下には材木も浮かんでいた川があった。夏は川風が下から吹いてきて涼しいアパートだった。そして今、その友は青森にかえり、残ったぼくは今も東京根なし草暮らしでもある。

 引っ越しも数回。都内じゅうをしている。その度に路線の違う電車に揺られている。若いころは景色が日々変化することが楽しかった。そして、その希望にそったように景色も日進月歩で変わったように思う。とくに印象に残るのは山手線での大崎という駅。40年ほど前はあまり人も降りることもなかった駅だった。それがいまでは、ものすごいビル群だ。マンションもいくつも建っている。いまや、隣の五反田を追い越すほどのハイテク都市になっている。訪ねて歩いてみると、中原街道という主要道路は変わらないが、町のなかの迷路は全部かわったように見える。路地も消え、まるで自動車専用道路があちこち幅をきかせるように見えた。
 通っていたお店も世代がかわって、店構えもかわり、人もかわったようだ。夕飯を食べによった食堂のおじさんはもういなかった。「うるさい」と叱られた不動産屋のおじさんもいない。なんか、町がこぎれいになった分、人の心のなかは整理できないまま今にきているような気がする。

 40年もたつと、肉体は衰えて行動範囲も小さくなってくる。いっそ人里離れた町に住むようになりたいと思う。今は、通うに不便なローカル沿線に住むようになった。休みの日には、通勤とは反対方向へ乗ると、すぐ誰もいなくなるほどのありさまだ(下・写真)。でもこれが落ち着かせるし、のんびりできる。
 最近、よく見かける引っ越し専用の車。卒業、入学、新社会人。人の変わりように等しく引っ越もあるのだろう。人の移動のなかの気持ちという荷物も一緒に運んでいることだろう。さて、それぞれの最終着地点はいったいどんなところになるのだろうか…。ぼろぼろになって墜落する前に無事降りたいと思うのだが、いまだゆっくり飛んでいる最中。燃料も部品も持ちこたえられるのだろうか、思いつつ歩きまわっている。小さな車窓に見える景色はどんなものなのか。これからが…、また始まる。




 年金満額支給(65歳)までの再雇用という身分になって、若い人たちに囲まれて仕事をする日々である。そこで、思ったことは「難しいなあ」ということであった。何が難しいのかというと、一つに言葉づかい。昔であれば「これぐらいちゃんとやってくれよ」とムスッとして言うとすぐにへそを曲げるという日々がだ。そして、次からの仕事がやりずらくなってしまう。誰でもが忙しくなると言葉もあらくなってしまう。そんなことを思いながら日々の仕事が片づけられていく。最近は、パワハラ、セクハラということが企業内で多くなっているとニュースの記事が多い。そして人を傷つけている。暴言がエスカレートしていくイジメということになっていくようだ。残念だが、ぼくにも経験がある。以前に上司に暴言をはかれて相談する人もいず、泣き泣き会社を辞めていった人のことが思い出される。ぼくは少なくともそんな人を二人ばかり知っている。どうしてこんなことが多く起きるのだろうか悲しくもなる。
 学校でも同じような事件もよくニュースで報告されている。子どものイジメの原因を作っているのは、根っこは大人の状況がつくり出しているようでもある。権力者は批判する勢力を暴力を使って封じ込めるとい仕組みは、今も昔も同じだろう。いい例が、チリのアジェンデ政権が政権によって崩壊した歴史があった。

 なぜそうなってしまうのだろうか。
 職場で聞こえるのは仕事の話ばかりである。まあ、とりあえず「仕事の話」をしておけば差し障りがあるまい…と。ほんとうに難しいなあと思う日々でもある。ぼくの方も自分の仕事をやるだけと思う日々である。それにしても、いったいこれからはどうするのだろかと思うことがある。きっと、ぼくと同様に一つひとつの仕事を無難にやっていけば終わるのだろうと考えているのだろうか。
 労働という行為をどんな思いでつくっているのだろうかと思うことがある。
 最近、少ないながら話をすると他人のいうことなど聞かない風潮になっているように見える。自分の主張が「絶対正義」と思い他人の入る余地をもない状況がつくられているかのようだ。揚句のはてに、机「ドンッ!」と打って怒りをぶちまける。いったい何がかわってしまったのだろうかと。昔であれば、そこは笑ってやり過ごして次へむかう処が、そこで止まってしまうというか、ちょうどハードディスクがフリースしているような状態が多いようにも見える。「再起動」する勇気をくれる人も時間もないのだろうかね。こんなことでどうなることか…。

 まさに仕事の経験はあるが、人として何か足りない日々を見つめている。
 「あーあ、これでいいや」と思うことが日々何回あるのだろうか。



 もう少しで桜が咲きそうな日々である。陽射しも温かい。
 春の選抜高校野球も始まった。若いっていいなあ…と思いながら見ている日々だ。ぼくにも確かにあんな時代があって、地面を思いっきり蹴って駆けめぐっていた時代があったのだろう。そう思いながら、マリナーズのイチロー選手の現役引退。後にも先にもこういう選手はきっともう見られえないだろうと(ぼくがいきているうちにだけでど)思う。かたやサッカーの三浦選手。三浦選手はちょっとかわいそうな選手だ。もうちょっと遅ければもっといい時代を迎えていたのだろうと思う。いまだ完全燃焼できていない。だから、今でも現役をおくっているのかもしれない。時代をうらんだところでいい仕方がない。それでも、一つのサッカーの歴史を牽引した人には変わりはない。これまで、スポーツ選手には励まされることが多かった。とくに、同年代の選手の活躍には感謝したいほどだよ。スポーツをやらなくなって若さあふれるプレーには感心する。

 最近「平成最後の云々」が多く聞くようになりました。
 昭和生まれの人間としては「うるさいなあー」と思うだけです。
 平成っていう時代はいいことはなかった。とくに東日本大震災での原発事故は印象深いできごとです。昭和は戦争があって、めざましく発展していく時代だった。その後平成になって労働者の生活はますます悪くなったようにも思えます。事実、ことごとく「民営化」になった時代でもありました。労働組合はいためつけられ、格差は開いた時代でもありました。その民営化で利益を得た企業もあるのだろう。格差はひろがり、「子ども食堂」という現実もあります。さらに「過労死」が平成になってますます過激になってきたようにも見受けられます。「一強多弱」という政治体制が強化されました。そして、政治家も真摯に議論していた時代であったのではないのだろうか…。

 「平成最後の○○」を聞くたびにいやなことばかり思い出してしまう。
 さて、読者の皆さんにとってはどんな時代だったのだろうか。
 よくも悪くも一度考えてみてはいかがでしょうか…ね。
 来週は少しのんびりできるといいと思います。週末には休みをとって山歩きにいけたらと思案中です。体のことを考えて、山の空気をいっぱいつけて来ようと思います。
 それくらいはいいと思います。なんせ、再雇用ですから。
 ではきょうはこの辺で失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。