日々徒然に

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  あしたを考える一日をつくりたいね……

7月も終わり…暑さに追われて

2017年07月30日 | Weblog

 こんにちは。
 毎日暑い日が続きます。最近は梅雨が明けたと思ったら、実際は梅雨明け前より梅雨らしくなっています。雨もときおり降って折り畳み傘が、以前よりも活躍するような日々が続いています。
 それでも、ちょっとは涼しくなってきたのでしょうかトンボを見かけることが多くなってみました。多摩川ではバッタが足元から飛んでいきます。ちょっとずつですが秋が近寄ってきてるような気がします。
 とはいっても、これからがお盆休むがあったり、帰省の渋滞があったりとなにかと夏の様子が本格的に動いていくような時期になってきます。それと、花火大会も各地でくりひろげられているようです。夏の甲子園大会の代表校も決まってきました。

 さて、今週は相次いで国会議員の仕事での辞任がありました。
 民進党の代表の辞任につづき、これまで問題になっていた稲田防衛相も辞任をきめたところです。しかし、これまでの経緯から考えて何も解決になっていないのは現実というところでしょう。こうやって、闇に葬られて新しいテーマにうまく乗り換えることができることも政府の力量なのでしょうか。
 いずれにせよ、国会は少しも問題の解決になってはいません。




 今月、暑さをさけて日々の通勤電車のなかでの読書は快適でした。いま学校がどこでも夏休みシーズンだからでしょうか、朝の通勤電車は学生さんの姿も見えません。人が少ないということは、電車のなかのスペースもありわりとゆったりとしています。それに、若さゆえの騒がしさもありませんでした。
 「夏休み」とはなんとも羨ましい限り…。とはいえ、ぼくにもそんな時期があったのですから。

 さて今月の読書ですが、裁判ものを読んでいました。それも判決が出た後の様々な出来事をかいたものでした。「裁判員裁判」が始まって何年か経ちます。「人が人を裁く」ということはいかに大変なことなのかわかります。法律があるとしても、生きている人を法律のあてはめて証拠をそろえてたしても「裁く」ことは、判決をいった人間にも相当なストレスをつくっていることがわかります。それも、「冤罪」になった犯罪の裁判はどう償っていくのか…。

 あとで「謝罪」したところでその容疑者のこれまでの時間は戻ってきません。そんな苦悩をえがいた『袴田事件を裁いた男』でした。ほかに『裁かれた命』(死刑囚から届いた手紙)堀川惠子著(講談社)もありました。
 ある事件がきっかけとなり、その犯罪の内容を知れば知るほどその背景の奥深さを知り、人間の心の闇のようなものを垣間見ます。悲しいことに、抵抗すること、さんなりと認めてしまう人…。しかし、その真実は本当にこれでよかったのかという疑問がたくさん残っていくような気がします。



【内容】
 1966年6月30日。静岡県清水市(現・清水区)で味噌製造販売会社の専務宅にで家主、橋本藤雄(41歳)妻(39歳)次女(17歳)長男(14歳)の死体が火災が起きた家から見つかる。静岡県警は「放火殺人事件」として捜査。事件当夜に社員寮に残って寝ていた従業員の一人袴田巖男を容疑者として調べる。
 その容疑者を起訴し、裁判をした静岡地方裁判所ではこの事件の判決では「有罪」とした。それも「極刑」を言い渡す。しかし、その裁判官のなかの一人だった熊本典道氏はその判決に無理があること確信していた。しかし、裁判官3人の合議制という仕組みなかで、「有罪」にしてしまう。
 その後、熊本典道氏は裁判官をやめしまう。裁判での理不尽に一生悩み苦しんだ熊本典道裁判官のドキュメントである。その足跡をルポルタージュした物語でもある。

■p168~169 福岡市古賀にあるカトリック古賀教会。島内の知り合いの紹介で知ったこの教会で熊本は過ちを懺悔した。
 ~「とにかくお姉さんに誤りたかった。罵倒されても殴られても蹴られてもいい。そう思って出かけました。ところが秀子さんは、「頭を上げてくださいと優しいことばをかけてくれて…」こうして、熊本は約四十年ぶりに袴田事件の関係者と接点を持ち、テレビ、新聞を通じて世の中に顔を出していく。

 三月九日には衆議院議員会館で行われた「死刑廃止を推進する議員連盟」の院内集会に参加。秀子や袴田死刑囚を支援する輪島功一、大橋秀行、カシアス内藤らボクシング関係者と共に記者会見の席に並び、初めて公の場で謝罪した。

■p179 そこで人生が変わった、袴田くんを救うためにも自分は生き続けなければならないと思った、と熊本は言う。それは長い間、自分を苦しめてきた胸のつかえが取れた瞬間でもあったとも。

■p180 司法試験をトップで合格し、エリート街道を進むはずだった自分が家族も家も金も失い自殺を試みるまで転落する。そして、人生をあきらめたとき、天使に出会い、再び希望に向かって歩き出す。熊本は、最初に話を聞いた際、袴田事件のことを告白する気になったのは、自分の年齢が最高裁判事の定年である七十歳に近くなってきたからだと、ボクに言った。裁判官を無事に務めていたら、自分もそお職にあったかもしれない。

■p204 己の弱さを認める勇気がなかったのか。虚勢を張って生きるしかなかったのか。いずれにせよ、酒に溺れ、妻に当たる家庭人失格の暮らしを送っていく中、熊本の体と心は確実に壊れていく。

■p225 自白調書を一通だけ採用して死刑判決。袴田事件は、木谷にとっても明らかに不自然だった。もしかしたら、熊本一人が反対で、他二人に押し切られたかもしれない。ぼんやり想像していたが、本人の口から聞くのは、ことときが初めてだった。

■p228 木谷は、白鳥事件をきっかけに、証拠に厳しく吟味した上、以後三十年もの無罪判決を出している。周防正行監督が痴漢冤罪をテーマにした映画「それでもボクはやっていない」を製作する際には、木谷の著書『刑事裁判の心』(法律文化社)にヒントを得たとも言われる。
 片や、熊本は袴田事件をきっかけに、酒に溺れ、精神と肉体を病み、家族を捨てた。地位も名誉も無くし、自殺まで思いたった。島内和子に助けられるまでホームレス同然にまで落ちている。たとえ事件が人の生き死にに関わる問題だったにせよ。同じ良心を持った人間として、二人の元裁判官の人生はあまりにも差が大きい。

■p252 無罪の心証を持ちながら死刑判決文を書いた元裁判官の半生を、本人はもつちろん関わった人々を訪ねて歩くことで、ボクの明らかにしようしてきた。特にこだわったのは、袴田事件が熊本と後の半生にどえほどの影を落としたかだ。

■確かなのは、意にそぐわぬ判決文を出した熊本が裁判官を辞し、四十年弱を経た後に世間に合議の内容を告白、謝罪したという事実だけ…。



 <無罪を確信しながら死刑判決を書いた元判事の転落と再生の46年>
 「人が人を裁く」唯一の合法的にある裁判である。警察で犯罪の容疑をもたれ、自供によって証拠が集められ、書類を作り検察によって裁判所に起訴される。その起訴によって裁判が始まる。弁護士と検察とのあいだでの犯罪に対する審議がはじまる。その審議をめぐって最終的には裁判官(3人)がさらに審議し「有罪か無罪か」を合議する。原則、合議は多数決で二人が有罪であれば「有罪」になる。その判決文を書く。そして、判決として「主文」を容疑者に言い渡す。その結果、その容疑者が刑をうけるという流れ。

 この本は、判決を言い渡した裁判官のドキュメント。それも「極刑」を言い渡した裁判官である。しかし、裁判官には確実に有罪になる確信がもてない。唯一証拠となるのは「自供」だけである。その「自供」が本当に本人の事実からだ出てきたものか疑問がつきまとう。確固たる物的証拠がなければなおざらである。後悔はつづく…。
 判決には「死刑」というものもある。ほんとうに「死刑」に値するのか。それも、人の命を他人が法律で決めていく裁判。それは知識として知っていても本来の人間の命をも左右する裁判の厳しさは知らないとつくづく思えた本だった。

 この本を読んでいたらNHKドラマ『事件』を思い出した。これは大岡昇平の『事件』という小説が原作。裁判を通して事件の背景を弁護士が追いかけていくドラマである。少年が起こした殺人事件を調べていくうちに、事件の真相があきらかになっていく。「なぜ、犯罪を起こしてしまったのか」自供にない容疑者の心理を明らかにしていくドラマである。そして本当にこの事件は「有罪」にできるのかという弁護士の苦悩をも描いていたドラマでもあったように思う。

 日々、新聞を開けば多くの事件がニュースになっている。
 しかし、その真理にはふれてはいない。ほんとうに大切にすべきはその背景や容疑者の起こしていく過程だろうとつくずく思う。そして、権力によって誘導されてはいなかったのかということだろうと言えるのはないかと思えた。



【内容】
なぜ「人を傷つけて当然」と思えるのか?
弱い立場にある人を意図的に傷つける人々がいる。彼らは行き過ぎた“正義”を振りかざして暴走し、後悔も反省もしない。攻撃の矛先は店員、透析患者、生活保護受給者、そして障害者にも及んだ。なぜこうなるのか? 鋭い洞察と確かな分析眼で定評ある精神科医が、現代社会を象徴する「怒り」「コスパ」「“普通”からの脱落」に着目し、ゆがんだ“正義”が流行る理由を解き明かす!(紹介から抜粋)

片田珠美 (カタダタマミ )著
広島県生まれ。精神科医。大阪大学医学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。 フランス政府給費留学生としてパリ第8大学精神分析学部で ラカン派の精神分析を学び、DEA(専門研究課程修了証書)取得。 精神科医として臨床に携わり、臨床経験にもとづいて、 犯罪心理や心の病の構造を分析。 著書に『他人を攻撃せずにはいられない人』(PHP新書)、『無差別殺人の精神分析』(新潮選書)、 『騙されない技術─ あなたの傍の嘘つきから身を守る方法』 (講談社)など多数




 誰にでも「正義」というものがある。それは、各々「美学」とでもいえるのだろう。勝ち組、負け組という言葉がはやったときがあるが、勝ち組はいったいどんな勝ち方をしたのだろうか…ということを思ってしまった。それは、「弱者切り捨て」によって「強者」がたんに勝ったという現実を得ただけで本当に社会のありかたのだろうか思えてしまった。
 事実、格差社会はひりがり、貧富の差がますますひろがってきたなかで「このままではいずれ社会は滅ぶのではないかと」という気持ちにもなってくる。弱肉強食ということは、だれも幸福にはしないことは知っている。
 この本は、そのことを警告しているように思えた。
※『産業医が見る過労自殺企業の内側』(大室正志著/集英社新書)も併読するといいと思う。





 久しぶりに小説を読んだ。
 とくに仕事を通して描かれた人の小説は好きな部類。主人公はマタギという仕事を持ち生きている。人生のなかで、恋愛あり、友だちあり、家族ありが仕事を通じて描かれているのがよかった。
 最近、いくつまで働くの、という気持ちがあるなかで働く意味のようなものを描いているように思えた小説だった。




 友達と久ぶりに「国際報道写真展」に行ってきました。
 今回は写真博物館がリニューアル後の初でした。どんなことになっているのか楽しみにしていたのですが、変わったところは喫煙場所がなくなっていたくらいで、あまり変わっていなようにみえました。
 むしろリニューアル前の方がよかったように思えましたが…。

 国際報道写真展での写真は通常、目にすることがない報道写真です。世界中の新聞や雑誌にのったフォトジャーナリストたちの写真です。ですから、写真家はほとんどが外国人ということになっています。
 日本のニュースの写真は、と期待をしてたのですが一つもありませんでした。
 それでも、世界中ではまさに生死を分ける写真も多く、ポスターになっていた網に引っ掛かったウミガメの写真なども私たちに問題を暗示していた写真でもありました。それぞれの国がかかえる問題が色濃く映し出された写真でもありました。とりわけ日本でいえば今一番問題になっている写真がるとすれば、6年後の福島原発のかかえる様子をみたかった思いがします。
 日本がかかえる問題は何かあらためて考えさせられた写真展もありました。

 それで、帰りにはいつものとおり会場近くの居酒屋でお疲れさん会。
 ぼくといては、不謹慎ではあると思うのですが好きです。写真を見た感想や最近の様子などを酔いがまわる中話していました。

※ちなみに写真展は来週の日曜(8月6日:日)が最終日です。ですから、今回行ったときはけっこう混んでいました。



 さて7月はどんな1カ月でしたか。
 そしていよいよ8月です。早いものです。今年の8月は昨年同様予定がいまのところありません。強いていえば、好きな山歩きをやろうと計画中です。それと、身の周りの資料整理ぐらいでしょうかね。整理もしないとただのゴミですから。あと、墓参りもありますか…。

 今月最後の更新になります。
 「今月の本棚」は読んでいても整理が追い付かず、適当になってしました(反省です)。来月も、元気であればまた更新します。
 今週はこのへんで失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。