日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

酷暑…では逃げるのがいい。

2017年07月09日 | Weblog

 こんにちは。
 梅雨もはじまったと思いきや、梅雨の晴れ間のなんとも暑いこと…。
 いつも通りる通勤路でみかけるツバメたち(写真上)。これは二代目です。一代目はすでに飛んでからになっていた巣に二代目が元気に育っていました。よほどいい物件に違いないように思えます。軒下ではおいしい匂いもしていますしいいところを見つけたという思いでしょうか。それでも、今年見かけたツバメの巣は昨年よりは少ないようです。年々少なくなっているように見えます。大きなビルがたつたびに少なくなっていくように見えます。

 休日の多摩川散歩をしてきました。木々のあいだからセミ(ニーニーセミ)が鳴いていました。トンボも見えました。草の間からはバッタが飛び出してきます。少しずつ季節をよんでいるかのようです。

 休日でも、この暑さでは1日中外にいるのは「危険信号」です。とくに、ぼくにとってはきついですね。
 この何年か雨の日も梅雨らしくない降りかたがちがうことが感じられるます。いままでなかった、こんなにたくさんの雨は期待していないのですが、年々川を氾濫させるほどの気候になってきました。ちょうど、熱帯地方の雨季のような雨の降りかたです。自然は、正直です。つねに降らせべき雨量を地上に雨として水分を生物に与えているのです。それはありがたいことなのですが、必要以上に降る量は地球環境の異変を考えたほうが自然なのではないかと思います。

 「地球温暖化」という諸説がありますが、真意はにのつぎで地球は昔ほどきれいではなくバランスがくずれていることはみとめるところでしょう。
 身の周りのことでいえば、梅雨明けの終わりをつげる雷も最近は年がら年中なっているし、強風は竜巻をつくり災害をつくっているなど…。
 それから忘れてはいけないのが地震が多いですね。北海道から沖縄まで一日に何度から「地震情報」が流れます。

 さて今週はこの自然の猛威が九州地方でありました。
 福岡、大分両県に記録的な豪雨によって死者や行方不明者が増えていました。毎年夏が来るたびの日本のどこか、とくに山あいの住宅地が災害にあうようになっています。川の氾濫で交通も遮断され、孤立してしまう村も出てくるほどです。今回の、豪雨で思ったことは電車などが破壊されて公共交通がまた乱れたということでしょう。JR九州が超豪華列車をつくったそうだが、地域の人たちにとっては無縁なのりもののように見えたものです。
 こんなことにお金をかけるより、災害につよい交通網をつくることの方が先決だったように見えます。




 気候の異変は地球ばかりではないようです。
 今週、隣の職場のひとが長い休職願いを診断書とともに提出したようです。その結果、慢性的な欠員があきらかになったようです。(いつもそうであるが、仕事はひとりでは終わらない)
 その、とばっちりを受けたのはこのぼくでした。なんの打開策もなく、けっきょく、休職者が職場復帰をするまで、ぼくがその穴埋めするようになりました。現在の職場は、一時開店休業状態。つまり、ミスがでてくるリスクが増えたということです。

 職場は一定の流れのミスを出さないように流れています。その一カ所が消えるということは、それだけリスクは広がるということです。ぼくのせいでもなく最後は、欠員にたいしての解決策の決定打も出せないで、職場をけずった上司(管理職)の責任は大きいでしょうか。それは仕方がないことですか…。それだけのマネジメントはされているからです。それを、理解しているかは別問題です。あとで「私は聞いていない」といふ責任回避の言葉がどれだけ出て来るか合わせて考えてほしいものです。

 とはいうものの…。「本当にこれでいいのか」はぼくが考えることではありません。ぼくが考えることは「ここの職場で自分のこの仕事はどんな意味をもってくるのか」という問いを考えて仕事を覚えていくことぐらいでしょう。他にやることはないとはっきり割り切ってやらばければ、ただただ奴隷とおなじですから。
 そしてなるべくストレスを回避する方法を日々つくっていくことが大事だと思います。



 季節は暑さ満開の夏がやってきました。それも、大災害をも一緒につれてくる季節の変わり目になってきました。熱中症ということばも、日々何度なく耳にするようになってきました。今年は、どれだけの人が熱中症の犠牲になってしまうのでしょうか。だいたい、熱中症には「こまめな水分補給に心がけてください」ということばが、朝のニュースのアナウンスの口からたくさん聞こえる日々がやってきたということでもあります。
 「よけいなお世話だ!」と思うこともあります。「水分を…」というより一回くらい「熱さには、早めの有給休暇をとり、十分な休養と水分をおとりください」ということぐらい言えよ、とも思う。

 しょせん他人事。人の痛みはわからないです。
 ただ、いえるのはつねに自分が「そこから逃げられない」という現実でしょうか。だから「逃げる場所を…」さがしておいた方がいい夏でもあるように思えます。
 夏は暑さばかり強調されて嫌われがちですが、日の出のがはやいことは好きな季節です。朝になると明るく(当然ですが)なるのがほっとさせるような気がします。やはり、年をとって翌日、起きて明るさを感じられるだろうかということを考えます。
 明るさは人を助けてくれる大きな役目があるようです。残業を昼間やっているようにすれば、ちょっとは過労死もなくなるでしょうか。残業といえば暗い夜、と思いがちです。ということは、翌日に残業分をやることで仕事がまわっていればいいのではないkと思えます。
 お客の怠慢をいつも背負っているのも仕事です。もし、それを口に出したら怒ってっしまうでしょうがねえ。でもそれが無くならない限り、あるいはお互い様ということで融通できるようにしなければ解決はしません。

 土曜日の夕方、新聞を読んでいたら面白い記事がありました。
 「終業時刻に音楽を流し残業を晴らす」という記事でした。都内某企業(従業員100人)。午後6時に映画のテーマ曲「ロッキー」をいっせいに流すそうです。その瞬間各自が「私は帰ります」「私は7時までかかります」と声掛けをするそうです。これも、できるだけ残業を減らす工夫なのでしょう。
 一方で、「ロッキー」の戦闘的な曲じゃ「まだまだガンバルゾー」なんていう気持ちになってしまいますよね。選曲を間違えていないか…と思います。



 今、ぼくが座っている仕事場から午後5時半ごろどこからか区内の公共放送でクラシックの局が流れてきます。そのときもう5時半かということに気づいたりします。以前は千代田区でしたから流れる曲も時間もちがってしました。おそらく近所にも聞こえているのではないかと思います。人の生活の中で労働時間は大切な時間でもあります。それでも、人と過ごす時間も大切な時間です。考えれば、ちょうど、夕方の音楽が流れる頃が人間の生活で仕事がおわりという時間になっていればいちばんいいようにおもえます。だれもが、一緒に休める時間、笑える時間です。そうなれば、子どもも大人も同じ時間に過ごせる(休める時間)が持てることになります。それぞれの大切な時間がきたという自覚が持てるようになると思います。

 この音楽がなっている時間、朝とはちがう方向にいっせいに人が流れていきます。それでも、朝いた人間よりはだいぶすくなって見えます。それぞれが残業をやっているのでしょうか。それぞれ一人ひとりのライフスタイルは違います。違って当然。それを生かした働き方があるのはわかります。でも、とりあえず労働時間は8時間のなかで解決できることが大事だと思います。

 なぜなら、残業代もほしいのですが、健康はなにをするにも大前提になります。人は一人では生きていけないということを、同じ時間に終了することでもっと「働き方」ということを考えるとおもえました。
 要は、働くことは大事です。それを支える人(家族・友達・趣味など)たちとの時間がもっと大事です。その時間を本当に大切に考える企業はきっといい仕事をしているのではにかと思えます。音楽と時間を考える時、「パブロフの条件反射」ではない音楽がのありかたが大事に思える音が大事だと思います。
 同じ音楽を聴いてもそのリズムにあった踊り方は人それぞれです。みんなが同じ方向で踊る必要はないのではないのでしょうか。それがあるからいいのではないかと思えますが…。

 さて、来週はどんなことになるのやら…。

 今週はこのへんで。
 読んでくれた人、ありがとうございました。