日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

初夏ですね…

2016年05月15日 | Weblog

 こんにちは。
 連休明けです。
 まだまだ職場では連休の余波というのでしょうか、のんびり進んでいるようにみえます。仕事が盛りたくさんあるのかと思えばお客ものんびりとしていました。しかし、こののんびりの付が最終的にぼくのところにまわってくるのでしょうから喜べるものでもありません。
 今週の月曜日はなんとなく「だるい」一日思えました。

 それでも職場では久しぶりの顔を見合わせては挨拶をしていました。いつのまにかまったく知らない人達が仕事を通じてどうにか世間話ができるようになっていました。まだまだ一年たらずの出向職場では、やっぱり他人行儀なところがあります。それでも、日々の仕事がこのなかだちをしているのだから「めんどうくさい」といいながら、仕事はあるいみありがたいものだ思うものです。

 さて、初夏のように暑くなってきました。
 電車はクーラーが入り始めました。半袖でも寒く感じることも少なくなってきました。それでも、まだ朝夕の冷たさはあります。こんな天気の日は、山歩きが最高なのだと思っていました。もうすぐ、梅雨です。



◆1 定年後再雇用で賃金引下げ違法・東京地裁判決(5月4日・朝日)
 横浜の運送会社で定年後の再雇用のトラック運転手3人が、定年後再雇用の仕事が定年前と同じなのに賃金の引き下げは違法だと訴えた。東京地裁は、3人の訴えを認め「業務の内容や責任が同じなのに賃金を引き下げるのは、労働契約法に反する」として、3人の差額分を払うように運送会社に命じた判決が出た。
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 この記事を読んで「他人事」には思えない人が多いのだろうと思う。ぼく自身、今月定年になり、出向で仕事が前回より労働濃度が上がったように思える。それで、賃金がさがったなら、やはり同じように考えたのではないだろうか。まして、一人の職場で「責任」も重くなっていることは確かだ。この仕事は、あと一年くらいやれば、ほぼ肉体の衰えもあるし、これまでの同じようにできないだろう。それでは、どううするのか。
 「再雇用契約書」に希望を添えた形で「この職場を一年での異動を希望。さらには、今後のことを考えて後継者育成を経営側も考慮して判断してほしい…」と。

 正直、今後は高齢化社会をむかえいかに老人をうまく使うかかこれからの課題でもあるのだろうと思う。
 若い人の仕事のスピードは、ぼくの比ではない、ということは自覚している。だから、納品前日は、絶対の若い人にきてもらって時間を短縮して終わるようにしている。ぼくがやっていれば、終われるかもしれない到底時間内には終わらないということはわかっているだろう。それを、どう今後のことを考え、変わらないようにいsていくのかが経営者に問われているのだろうと思うのだ。それも、法令順守での話でである。


◆2 都知事の税金の使い方が疑惑・説明不足(5月4日・東京)
 東京都知事(舛添要一)が政治資金を私的利用したという疑惑が持ち上がっている。高額な海外出張や公用車での別荘通いも問題になっている都民が日々の労働のなかからでている税金の使い方が問われている。
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 今週はお金の問題がクローズアップされました。政治家は何も生産せず他人の税金で仕事をしていること自覚してほしい。それも、富裕層のためにではなく、弱者のためにである。
 とはいえ、「またか」という気もある。もう政治家がこういうことをやるのは、芸能界のスキャンダルと同じようになれっこになってしまった。(これは、なれてはいけない習慣ではあるのは知っているが)。

 お金と言えば、2020東京五輪を誘致をめぐり、多額の資金(2億2200万円)が委員の国際陸連のディアク氏振り込まれた日本オリンピック委員会(JOC)が認めた(同14日・東京)。これは、東京五輪を誘致するためのコンサルタント料金だと竹田会長も認めたそうだ。
 五輪を誘致するために、五輪ロゴのデザイン料、さらには競技場建設するための設計・デザイン料。最後には各競技場建設にもお金が使われていく。これはら全部、スポンサー料や税金で賄われる。それはもうぼくたちが考える金額の比ではないように思える。そんなお金があるのであれば、保育園や高齢者の福祉にまわせばと思う。さらには、熊本大地震の復興支援に回せば思う(単純すぎるかな)。

 とかくこの世は「お金がかたき」というか、お金の流れをもっと透明にするようにできまいか。そうできれば、もうちょっとは理解できるものを…。でも、そういう社会を選んだのも国民であるのだから仕方がないのだろうかとあきらめているが、それにしても、立ち止まって考えてほしいことばかりである。
 スポーツの祭典、オリンピックは競技をみるのであり、競技場はそこそこでいいのではないのかと思う。
 これでいちばん喜んでいるのは、建設業界だろう。もっと、国民が素直に喜べるものになってほしい。

 今週読んでいた東京新聞の社説に「水俣病公式確認60年」という記事に水俣病が出てくる背景をうまく書いた文章があった。
 「生命よりも経済を優先し、止められるもの、止めなければならないものなのに、誰も止めなかったのだ。だから、それはたただの『病』とは言い難い。人間の欲と不作為が引き起こし、拡大させた『事件』とよぶしかない」と。
 何かを忘れて、奔走した。努力した…。都民が喜んだ…、その背景にはなんとも人間の欲望の塊があった。それは本当に人々を喜ばせているのかという疑問がいっぱいあるのだと思った。とくに、この日本は危ない道を進もうとしてるさなかだと思えるからなおさらだ。




 今の地下鉄の駅を使いようになってもうすぐ一年である。東京は以外と坂が多いと思うが地下鉄はさらに階段の多さにはまいってしまう。一度の階段ならまだいいとして、次から次に階段が目に前に現われる。昇りはよほどのことがないかぎりころぶようなことはないが、気をつけないといけないのが降りるときだろう。
 雨が降って駅にむかう途中、折りたたみ傘をたたみながら下りているとき、ちょっと階段から目を離した瞬間だった。足の降ろすところを間違えたのかそれともタイミングが合わなかったのか足首がへんに曲がってしまった。「痛っ…」と声が出た瞬間でもあった。

 急いでいなかったので、少したったら痛みはなくなった。「よかった」と思いながら駅のホームにいった。
 ぼくは、スマートフォンを見ながらよく階段を降りていく人を多く見るにつけなんとも危険な毎日を自分に課して通勤しているのだろう思える。

 満員電車の中でも、駅のホームでも、ありとあらゆる場所の足が地についているところでは、こんな光景を多く目にする。最悪なのは、混雑している電車の中で目の前にスマホがスーっとあらわれては、はじめるご仁には閉口する。目の前のスマホに勢いでもつけてクシャミでもして思い切りツバでも落としてやろうかと思うこともある(意地悪じいさんになりつつあるのかな)。スマホをのぞけばたいしたことはやっていない。ゲームやら商品の紹介やらを指でなぞっては新しい画面を開き小さな欲望を満喫させているのだろうか。

 ときどき、駅のホームからスマホを眺めながら線路に落ちる人には驚くばかり。どうしたものか。スマホがないとやっぱり不安な社会になってしまったのだろうか。
 歩道でも必死のスマホをみている青年に正面衝突が起きるほどの距離になることもある。世はまさに「一億総スマホ時代」なのだろうか。

 ぼくはいまでもガラ携だ。電話は相手と話せれば、メールは届けばよいと考えている。それで十分だ。スマホを持って歩きながら見ていたら青年のような運動神経はないので人と衝突するか、線路に落ちてひかれるか、車に衝突されるかで命がいくつあっても危険だ。

 最近はつくづく、筋力のなさを痛感しているので運動神経のいるスマホは持つことはないだろうと思う。駅の階段でさえ一歩まちがえれば骨折や命の危険性をもっていると思うこのごろだ。便利な機械を使って楽な暮らしと思っているのはとんでもない誤解の世の中のようだ。



 連休明け、無事に学校や職場にいけたでしょうか。
 5月は「五月病」というのがよく話されますが、今年はどうだったのでしょうか。
 一年のうちでいちばんこの月が植物の勢いを感じる月ではないのでしょうか。多摩川を歩いていると、短いを春を待っていたように小さな花が足元にたくさん咲いています。あとひと月もすれば消えてしまう花です。
 それでも、小さな花たちは足元にいっぱい咲き誇っているようです。誰にもつげず、この時だけをまっていた花のけなげな美しさを思います。欲もなく、人を悲しませることもなく、その小さな花弁には励まされるような気持にもなりますねえ。
 もう少しすると、いやな梅雨がやってきますね。今が春と呼べるいちばんのいい季節かもしれません。
 満喫してください。

 さて、来週は忙しくなるのでしょう。しめ切り近い雑誌も納品の日が今週にあります。仕事とはいえ、学者たちの文を待っては苦しむ毎日になるのでしょうか。まだまだ、楽になれぞうにありません。
 それでは今週はこのへんで失礼します。
読んでくれた人、ありがとうございました。