こんにちは。
季節はとても涼しくなってきましたね。天気が悪いと朝夕は寒いくらいになってきました。多摩川を散歩していると、小さな虫たち今年の命を子孫に伝えるために飛び交っていました。鳴き声もいっそう高く聴こえるようでもあります。
そして、人はこの時期はとてもいい季節なのでしょうかスポーツに散歩にバーベキューに大いに楽しんでいました。と、思いきや金木犀の花のにおい…。いい香りなのですが、ぼくにとっては天敵。花粉症がでてきました。
9月も今週で終わりますね。
シルバーウィークもありましたがいかがでいたでしょうか。故郷に帰る高速道路の渋滞はニュースに流れていました。一方で、この休みを利用して国会周辺のデモや集会が毎日行われていたのが印象に残ります。
ぼくいとって今年の、シルバーウィークは、ちょと迷惑な休みでもありました。一人職場になってから、休日出勤もあり、この休み中も一日出ていました。お客も出ているのですから断れませんよね…。考えれば、まあ、仕事が休日のときの方がけっこうスムーズにできるのはなぜでしょうか、そんな思いをもった休日でした。
近所ではお彼岸ということもあり多くの墓参りの人たちがきていたり、小さな歩道は車と人で大渋滞。
一年に一度のことですから仕方がありませんね。
さて世の中はどうだったでしょうか。
「安保法制」が強行採決で成立してしまいました。これからの日本はどうかじをとって進んでいくのかと思うと不安が残ります。まさに、静かなクーデターという言葉を耳にしましたがそう思うえるような事態であるのかもしれません。昨年「集団的自衛権行使」が閣議決定で強行されたかと思いきや、やつぎばやに採決…、とは驚きます。
昔(1973年)、チリでピノチェト陸軍司令官が軍や警察によって暴力的にアジェンデ政権が崩壊しました。その後も社会党や共産党への弾圧を強め、反体制の人々を拘束や拷問のよって多くな犠牲者を出した軍事クーデターがあったことを思いだしました。今回の与党がやろうしていることは、憲法という国のおおもとの法律も無視しして、自分たちの意見ばかり通して強引に押し通したのは、クーデターと同じように思えます
軍事であれ民間であれ、立法国家である国を自分らの都合のいいようにして政権を維持することが本当に許されることなのでしょうか。
一方、この事態を受けて「無関心」といわれていた若者が政治に関心をしめすようになり多くの若者を集会やデモでみるようになった。やっぱり、若い人たちのパワーは老人の比ではないなあーと思えた。
ぼくが今の年齢になって初めて政治に関心のある若者の人たちをみたような気がする。これだけは、安倍政権が若者に、政治を気づかせてくれたメリットなのかもしれない。
昨日、新聞に共産党が今回の政治のありかたを考えて野党の結集を呼びかけた。このままでは、自民・公明与党でなんでも押し切られるという危機感からだろうと思う。今は、一党の利害を考えている場合ではないということ、それには野党の国会議員を増やして論戦に今の国民の声を通していこいう考えなのだ等思う。
確かに、このまま与党に何でもかんでも強行されると憲法も変えられてしまいだろう。
ところがだ、野党の民主党はどうにも乗るきではない。維新の党の協力も考えている…。
オイオイ、今は政治家が政治家たる本分になるときだろう。それを、党の利害がチタラチラしはじめてる。
どうしてこなるのだろうか。協力できるところをさがして、国民の声を届けるのが政治家の役目だろう!!。
当面、来年の参議院選挙にむけての方向を、民主主義の日本のためにがんばってほしい。
暑さもやわらぎ、どこでもすわって新聞や本を読んだりするのも落ち着いてできるようになりました。
読書には暑さは難敵なのでしょうか。夏の間は、光をさけて歩いたりして、ひとところに落ちついていられないほどの暑さがありました。
さて、今月の読書ですが、山本周五郎をゆっくり読みたくて本棚引っ張りだしてみました。購入日時をみたところ、2006年4月3日とありました。9年前に一度読んでいました。今回は再読ということです。
9年前はどこで何をしていたのだろうと考えてしましました。そのとき、どんな感想を持っていたのでしょうか…。時がたつのは早いものです。
ぼくにとって、時代が変わって変わらないものといえば、読書でしょうか。
誰でも、一冊くらいはお気に入りの作家や本があるのだと思います。
◎樅の木は残った(上・中・下)山本周五郎/新潮文庫
▼―けれどもそれで終わるのではな、世の中に生きてゆけば、もっと大きな苦しみや、もっと辛い、深い悲しみや、絶望を味わなければならない。生きるということは、よろこびもある。好ましい住居、好ましく着るよろこび、食べたり飲んだりするよろこび、人に愛されたり、尊敬されたりするよろこび―また、自分に才能を認め、自分の為したことについてよろこび、と甲斐はつづけた(上・p356)
▼―おれは間違っていた。けものを狩り、樹を切り、雪にうもれた山の中で、寝袋にもぐって眠り、一人でこういう食事をする。そして欲しくなれば、ふじこやなをこのような娘たちを掠(さら)って、藁堆(わらにお)や馬草の仲で思うままに寝る(中・p25)
▼当初、我々は民主化を求める運動を始めた。それなのに、いつの間にか暴力的な内戦になり、あげくの果てに過激な宗教勢力が跋扈(ばっこ)するような国になってしまった(p29)
▼「おれはおれだ、おれにはおれの生き方があるんだ」新八はそう呟いた、「人間は生まれついたようにしか生きるしかできやしない、おれはおれで好きなように生きるだけだ、ふん、どうせ百年とは生きやしないんだから(中・p78)
▼国のため、藩のため主人のため、また愛する者のために、自らすすんで死ぬ、ということは、侍の道徳としてつくられたものはなく、人間感情のもっと純粋な燃焼の一つとして存在してきたし、今後も存在するだろう。――だがおれは好まない、甲斐はそう思った(中・p161)
▼彼(帯刀)は原田家の歴史を語っているのであった。それはほぼ伊達氏の歴史と相伴ったもので、すなわち、右大将源頼朝の旗下であった非蔵人人朝宗が、伊達氏の始祖であり、その二代、常陸介宗村の代に、原田家の祖、予次郎がその家臣となった。宗村は常陸から奥州へ所替になり、伊達郡に館を構えて「伊達」を称してから、隠居した隠居した陸奥守綱宗まで十九代、原田家も与次郎から甲斐宗輔までが、同じく十九代であった。
原田は古くから宿老の家柄であり、伊達家では一、二の臣といわて来た(中・p196)
▼「どちらかというと、私はあまりうぬ惚れるほうではない」と甲斐が云った、「首を覘われていることも、扇動者の多いことも、私にはたいして関心がない、そんなことよりまえに、侍の奉公というものはつねに命を賭けたものだ、と教えられたときから、私はいつも死と当面して来たし、死のおそろしさを知ってきた、あんまり死を考え、死をおそろしいと思い続けたために、いまでも生よりも死のほうに親しさを感じているくらいだ、こんなことを口にするのは初めてだが、おそらく七十郎にはわかるまい――小野が危篤だと聞いても、やすらかに往生を願うほかに、私にはなんの感慨もなし、また遺言などをことさら重大だと考えない、それだけだ」(中・p222)
▼あなたは常識円満で、用心深くて、つまらない失策や、へまなことは決してしない、貴方はいつも無傷だ、つまらない、たまには人間らしく、後悔したり悲しんだり、怒ってどなったりしてみたらどうです、原田さん、そんなふうにとりすましていて、肩が凝りやしませんか(下・p24)
▼「耐え忍び、耐えぬくということを忘れないでくれ」と甲斐は云った…(下・p270)
▼――この闇夜に灯が一つあればいい、だがわれわれにはその一つの灯さえない(下・p289)
▼――こういうとき侍に生れ、おれのような主人を持ったのが不運だった、おれを憎め、おれを恨め、だが役目だけははたしてくれ(下・p305)
▼もちろん、将軍家御側衆であられた某候は、ただ御好意から忠告されたことでしょう、その普請奉行はじめ、主家のお為をおもう家臣どもは深く感銘し、御注意に添って家中の安定につとめました、、けれでも、その証文の主である一人は、おのれの職権を悪用して、人を扇動し、無法に事を起こし、ついには公儀の御採決を受けなければならぬ、という状態にまでに到りました(下・p389)
▼――この疑問に答えられる者は、伊達家中には現に一人もいないし、いま原田どのを逆臣と呼んでいる者でさ
え、その動機を指摘することはできないのです(下・p448)
物語の中心は伊達60万石の分割をめぐるお家騒動。
いまふうに言えば、政治の権力組織が自分らの利権をめぐって分裂の危機をまぐった人間模様…といったところだと思う。企業でもいえば、リコールがあるはずの部品をめぐって、内部告発をすべきか、それとも一人の人間の良心がどこまで自分の良心を貫き通せるのか…というところだろう思う。
原田甲斐という侍がとった良心は、60万石は分割すべきではない。利権をめぐる人間模様のなかで自分の誠実さをどこまで貫きとおして生きていけるのかという「問いかけ」の一生だったように思える。
なんにつけ、他人の影響を受けている日々の生活のなかにあって、自分は何をやって生きているんだ…という問いかけは、これからの自分をつくるうえで大切な問いかけだと思える。
一説には原田甲斐は謀反人として歴史上で語られるという。それを、小説いう舞台のうで人間をあぶりだそうとした山本周五郎の執念が、良心を感じてしまう小説だった。
ルポ 過激派組織IS(Islamic State)/別府正一郎・小山大祐編・NHK出版
『ISルポ過激派組織/NHK取材』という本は一度読んだのですが内容がまとめることができません。まあ、立派にまとめようとは思いませんが…。再読してみます。
最近、よくISとはいったい何者だろう?という疑問がある。
今年、新年早々、日本人二人がこの組織に誘拐され人質とされた事件があった。日本政府の2人の身代金が報道された。
「イスラム国」を称するグループに拘束されている千葉市出身の湯川遥菜さん(42)と、ジャーナリストの後藤健二さん(47)は、昨年4月にシリアで別の武装組織に拘束されていた湯川さんを後藤さんが救った縁で、交流を深めていた。ともに人質となった2人の安否に、関係者は不安を募らせている。【和田浩幸】(毎日1月21日(夕))
日本人にとってはあまりなじみのない国、イラクやシリア。まず観光地ではないのでいくことはないだろう。行くとしたら、企業の石油資源開発などで行くくらいではないかと思う。その国で今、全世界を巻き込んでニュースになっている。
たとえば、ヨーロッパ各地で難民が増えている。この難民の問題でも大きくISの存在があることが、読むとわかってくる。
そして、その実態はといえば、ときどき報道されるくらいで身近ではない。
この本は、ニュースにはならないISのルポルタージュでもある。
なぜ、過激派組織ができているのか、どんな実態なのか、なぜ、ヨーロッパの若者がすすんで参加するようになってしまったのか、丁寧に現地での取材を中心に報告されている。
そして、日本との関係も(人質事件など)今後、濃くなっていくのではないかと思えてくるルポであるように思う。
経済格差がうみだしたモンスターかもしれない。
今、台頭いちじるしいIS(Islamic State)問題によって難民がヨーロッパ各地に避難している現実。
今週で9月も終わり。はやい、早すぎる!!!
とはいえ、時間をとめられるわけもなく、ただ前へ歩くしかないようだ。
さてさて、今後の政治の行方がきになるところ。
とくに野党はどうなっていくのだろうか…と思う。これは、これからの日本の方向を決めるかもしれない。
いまのままの野党政党ではダメなことは分かっている。共産党が選挙協力を民主党に呼びかけている。いまは一政党の問題ではなくなっているような時だと思う。これがまとめられなければ、結局、人々は野党に何の期待もしなくなっていくだろうなあ。
季節は秋。
散歩道では銀杏が実りの秋をつたえていました。ちょっと臭いですが、これ焼いて食べるとうまい酒のつまみになります。楽しみを一つ見つけました。
秋の夜長を楽しむ季節…ではあるのでしょうが、いまはそんなことをしたら翌日に無理がきます。ぼくのとっての秋は、うまいものが食べられることと、涼しくなって眠ることがゆっくりできることぐらいでしょうかね。
10月には、休日出勤の代休で、山歩きもしたいと考えています。いろいろと心配事は多いのですが、何も考えずひたすら歩く、休日もつくらないと…と思っています。
秋の夜長を楽しむ季節…ではあるのでしょうが、いまはそんなことをしたら翌日に無理がきます。ぼくのとっての秋は、うまいものが食べられることと、涼しくなって眠ることがゆっくりできることぐらいでしょうかね。
10月には、休日出勤の代休で、山歩きもしたいと考えています。いろいろと心配事は多いのですが、何も考えずひたすら歩く、休日もつくらないと…と思っています。
今週はこのへんで…
読んでくれた人、ありがとうございました。楽しい10月になるといいですね。