日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

夏の思い出で、できましたか…

2013年08月25日 | Weblog

 こんにちは。
 8月も終わりですね。さすがに、このごろは日も短くなり、朝夕も少しは涼しくなってきました。
 通勤路ではセミが短い一生を終えて、ころがっています。そして、世代交代でしょうかツクツクホウシの鳴く声が聞こえています。
 また、夏の全国高校野球選手権も前橋育英(群馬)が初出場ながらみごと優勝をかざって幕をとじました。静かになってみると、声援と応援がまだ耳に残響音として残っています。今年の野球大会は、強豪がおしいところで負けた試合でもありました。暑さとのつきあいがうまいチームが勝ったともいえそうです。

 今年の夏はいかがでした。
 暑い、暑いと思うのもおよそ一か月くらいです。これから、だんだん涼しくなり、長い冬にむかっていくのでしょうね。楽しい思いでもたくさんつくったことでしょう。
 近所の歯医者で順番を待っているとき、となりにいた小学生(2年生)とおしゃべりをすると、まだ宿題がいっぱい残っているそうです。いずこの時代も宿題はあとまわしで、いまごろになって追い込む様子はかわらないなあ…と思えました。日焼けした少年も歯の痛さのなか残った宿題を片付けるのかと思うとちょっとかわいそうに思えました。がんばれ~!!

 さて、今週は福島第一原発の汚染水がタンクから漏れて問題になっていました。もれた汚染水は地下水まではいりこんでいってしまっているのでしょう。
 原子炉を廃炉にするにもながい時間かかるやっかいな問題です。メルトダウンをした原子炉にたまった汚染水をタンクに貯蔵しているのですが、日々、増えるばかりです。そして、増えたタンクの置き場所にもことかくありさまです。さらには、管理するのもおろそかになってしまっている。そんななかでの情報の隠蔽がさらに汚染水がたまる、もれるという悪循環です。
 これから、どうしていくのか。当の東電では限界がきているのでしょう。政府は、汚染問題についての具体的なものが見えてきません。
 スポーツも大切ですがもっと大事なのは人の命。東京五輪どころではないと思える週でもありました。

 また、気になったことは「派遣労働拡大へ転換」という記事でした。
 これは、派遣労働の見直しを議論する厚生労働省の研究会が20日まとめたもので、これにゆると、これまで派遣労働者の仕事の内容を規制したものを緩和してなんでもまかせられるようにする…としていくとのこと内容でした。
 これによって、とくに人件費が高い正社員(中・高齢者)の仕事を派遣に置き換えるという可能性がでてきた、といことです。
 けっきょく、人件費の高い正社員への締め付けを強化し、いつでも解雇ができる条件をゆるくしていく動きなのだと思います。これでは、派遣の生活不安定にあわせて正社員も不安定になっていくのではないかと心配しています。
 なんでも派遣ですまそうとする、企業も企業です。

 だから「心の病」がふえる条件ができるのではないかと思います。
 今週、大企業の社員が約1600万人いる「健康保険組合」が発表した2011年めでの3年間で2割増えた…と発表しました。これも、社員の不安定な長時間労働や派遣の増える一方で雇用不安があったりして増えているのではないかと思えます。
 なぜ、こうも労働者の健康を不安定にしてまで働かせて利益を上げようとする企業の本音が出ている状態があるのではなのでしょうか。社員を育てる時代からいつも替わりがいるよ、とでもいっているような不安定雇用を助長している派遣労働者の増加歯止めがかかっていません。

 連合はいったい何をしているのか。また、野党政治はないのか!
 なぜ、「万国の労働者、団結せよ」といえないのでしょうか。

 ブラック企業、追い出し部屋なども表にはでていないだけで、けっこう多くなっているのでは、と思えます。給料はあがらないし、物価はあがるし、何が「経済成長」なのか。誰のための成長なのか、少しずつその正体がはっきりしてきたのではないかと思えます。私たちはいつのまにか、「経済成長」という言葉に踊らされて自ら「墓穴」を掘っているのではないのでしょうか。


 雨上がりの散歩コース。
 いつものように神社山道脇の空き地。くらがりの舞台ができていて、そこだけがライトに照らされて異様に明るい。舞台の上ではそれぞれのコスチュームに身を飾り、そのチームの踊りを披露している。これで、酒やつまみあがあり、のんびりと見ている光景は村の鎮守様の秋祭りではないか。収穫も終え、これから寒さ厳しい冬にむかう前に、地の神様にお礼として人々が踊りを見せて、収穫のお礼をあらわす……。まさに、秋祭りのうようだった。

 でも、ここは東京の都下。農家よりサリーマンガ多い。さらには、江戸っ子ではないが、流れ流れてこの土地に住んだ人のほうがいまでは多いのではにかと思う。でも、市内の奥は田んぼも畑もある。
 人間が踊る……って、素的なことですよね。人間がちがうものになって、踊りによって何らかの表現を披露している。それが、悲しかったり、おかしかったりと、人間の悲喜こもごもを表現する。
 一枚板のしたは、人間。いまは人間でもあり、それ以上に何者か化身になって人様のまえで表現している……。
 こんな光景がとても大好きです。これは、人間にしかできないことですから。「踊り阿呆に見る阿呆。同じ阿呆ならおどらにゃ損損」って言葉がありますが、本当ですね。
 おもしろかったですね。そんな時間も大事だと思えました。
 


 今月「心の病」が多いという記事がきになっていました。その原因のほとんどは仕事についているときでしょう。人間関係も利害関係がはいってくると、命令さうるものされるもの、という関係がきつくなっていくように思えます。
 上司の一言で苦しくなってしまってしまう関係であったりもします。さらには、パワハラやセクハラという弱者を追い詰める行為も増えてくるようにも思えます。

 なにか言い方法はないかと悩んだ末、「話し方」がひとつの解決する方法になるのではないかと考え、読んだ本「認められる話し方」もある月でもありました。
 そこでの、自分の判断、決断も大切です。それでは、判断する条件をどうやって自分に言い聞かせてつくっていくのか…、ということも気になり読んだ本「捨てる・片付けるで人生が楽になる」もありました。

   


◎認められるには「話し方」を変えなさい/福田健著/李白社

・住宅販売のセミナーでは、「営業は家をうっているのではなく、暮らし方をうっている」P78

・「自分の話は自分にしか話せない」そのことに気がついたときから、何か肩の荷がふっと降り、少しずつ会話を楽しめるようになったのです。P80

・「他人の目で自分を見ることは不自然です。自分の意見をしまいこんで相手と合わせていたら、それは自分を否定することになりませんか?。自分を大事にすることで、はじめて相手のことも大事にできます。あなたの話しはあなたにしかできないのですよ」

・今の時代は毎日の仕事や生活にせわしなく追われ、じっくりと人と言葉のやりとりをする心の余裕がなくしています。また、会社では成果主義のもと自分のことに精一杯で周囲のことには無関心になりがちです。さらにひと昔前と違い、契約社員や派遣社員が増えて互いの時間を共有することが少なくなっています。p61


【感想】
 自己啓発のほんです。日ごろ、わかっていてもなかなかじっくり考えたことがないことを、念押しで語っている本でした。
 以前「人は話し方で9割替わる・福田健/リュウ・ブックスアステ新書」という本がベストセラーになったことがありました。そこでも、人と人の関係は「話し方」で全然ちがう、というようなことがかかれていました。

 よく考えてみれば、いばって命令調でいわれるより、依頼するようにお願いされたほうが人は仕事にも気持ちよくできます。また、一緒にできるようなことがあるとき、やる人やらされる人という関係を言葉で置き換えたい上司の言い方一つで「がんばてみよう」という気持ちになります。
 さらには、頼りされ、信頼されているという会話のなかみには「失敗」も乗り越えていくような勢いをつくってくれると思います。

 「おはよう」からはじまり「ありがとう」「お疲れ様」、「おやすみ」まで一日を楽しく送るための基本語だけでもちゃんといえる自分でありたいと思います。そういう環境もしらないうちにつくることが人として、次の一歩を探せることだと思えます。日ごろの言葉をも一度考え直す一冊でした。


◎捨てる・片付けるで人生が楽になる/斎藤茂太著/WIDE SHIBSHO


・すでに目を通してしまえばよいのだ。そうすれば、それが使えそうな情報なのか、使えない情報なのか、その場でわかる。そして、使えそうな情報だけ残し、使えない情報は捨ててればよい。p33

・ルールをつくる。情報の選択眼を養って、見ないで捨てるその目ができたら、容赦なく捨てる。p35

・人は、たとえばボロボロであっても、ガタガタであっても愛着のあるモノに囲まれて暮らす方が幸せなのではないか。p47

・見ること、聞くこと、知ることにすなおに感度する気持ちをもつこと。好奇心を旺盛にしておくこと。未知なことへとチャレンジすること。人との出会いを喜ぶこと。友人の輪を広げること。同行者との親睦をはかること。p124

・モノを捨てられない人が「これまで」のことを話題にする。モノを捨てる人は「これから」のことを話題にする。p128



【感想】
 わたしは読んだ本であれ、集めたものであれどうしても捨てられない習性がある。しかし、入る入れ物には限界があるように、わたしの住む家にも限界がある。いつも、妻に「捨てて……!」といわれることがある。それは、本である。考えてみれば、何であれいつかは自分の手から離れいく宿命だ。

 「本の運命」井上ひさし著という本を読んだことがある。これは、作家の井上ひさしと本との関係を書いた本だ。本によっていろいろなことを知った作家の井上ひさしが本への思い出をつづったもの。結果として、多くのすぐれた作品を残したことは有名だ。本と共に生きてきた井上ひさしさんの半生と、十三万冊の蔵書が繰り広げる壮大な物語だった。

 ……と思うと、私も本への愛着もある。かといって、部屋中、本があっても限界がある。その限界をどこでつくるか。そして、限界にきたときどう整理するのか、ということが読んでいて面白かった。
 でも、いつまでも捨てないでおけばパンクしていまう。さらには、妻のげきりんに触れそうだ。
 そんなときこの本を読んで、本の捨て方を学んだように思う。片付けるは捨てる、別れる……だと思う。
 でも、でも、女々しい私は未だに、捨てられずにいる……。
 捨てる勢いになってくれるかと思った一冊だったが、一番先に、この本を捨ててしまったようだ。残念。


◎靴の話し/大岡昇平著/集英社文庫


・完全に非人間的な状態にあるが、それが戦争なのである。この状態を廃止するためには、心理的ヒューマニズムを説いても無駄である。ただ戦争という行為を止めるほかない。「襲撃」p82

・私は既に日本の勝利を信じていなかった。私は祖国をこんな絶望的な戦に引ずるこんだ軍部を憎んでいたが、私がこれまで彼らを阻止すべく何事も賭さなかった以上、今更彼らによって与えられた運命に抗議する権利はないと思われた。一介の無力な市民と、一国の暴力を行使する組織とを対等に置くこうした考え方に私は滑稽を感じたが、今無意味な死に駆り出されて行く自己の愚劣をわらわないためにも、そう考える必要がある。「促まるまで」p115

・~「こんな戦場で死んじゃつまらない」~この言葉は一種の天啓であった。この死を無理に自ら選んだ死とする据倣が、一種の自己欺瞞にすぎないことに私は突然思い当たった。こんな辺鄙な山中でなすところなく愚劣な作戦の犠牲になって死ぬのは、単に「つまらない」ただそれだけである。「捉まるまで」p118


【感想】
 8月がくると日本では「戦争」という言葉がいまだに残っている。
 そして、私の口から「勝ってくぞといさましく、ちかって国をでたからにゃ、手柄たてずに……」という詞がうかんでくる。
 あー、これった軍歌だよなあ……。こんあ曲をいまでも覚えているのは、私が子どものころ、今は亡き父がよく話してくれた戦争の話し、さらには酒によって、この歌を口ずさんでいたことが、記憶のどこかに刷り込まれているからだろうと思う。
 「戦争を知らない子どもたち」である私は、戦争をこんな具合に記憶していたのだろうと思う。
 戦争にいって負けて、命からがら帰ってきた父にとっては悲しいことは思い出したくないのだろうと思った。

 小説を読んで思ったことは、普通、よほどの悪党でないかぎり人は殺さない。戦争にいって合法的に殺戮をする。でも、この小説では、本当は敵であってもできれば、お互いが殺しあいたくない……という。
 できれば、どさくさにまぎれて生き延びていたいと思うのは自然だと思う。
 これが本音だろう。しかし、一部の権力の命令によって殺さなくてはならない、という苦悩が一番つらいことだと思えた。戦争というのは、本当の自分の思うことは殺さなければならないし、さらには政治的につくられた敵という人間を殺さなければならない。こんな不条理を毎日実践している人間は普通では生きてはいられないだろう。ただただ、何も考えず流されていくしかない…ような人間になる。

 戦争はやっぱり人間でなくなること、人間を取り戻すことの連続であるのだろうと思えた。他に読んだことのある「人間の条件」(五味川純平・岩波現代文庫)でも、兵士になった人間が自国の政治と敵の政治のはざまで無意味に死んでいくありさまをえがいた。まさに、そういう人間をつくってしまうのが戦争なのだろうと思った。
 誰も戦争は望んでいない。時の権力の都合で駆り出されていく。だから、時の権力者を選ぶ選挙は、本当は市民にとっては戦争なのであるのだろうと思った。もっと、大事にしなくてはと思う。


◎怒る富士し(上・下)/新田次郎著/文春文庫


 世界遺産になったと喜ぶのもいいが富士山の歴史を小説で読んで味わってみるのもいい一冊。(略)


 今月、意味もわからないまま引き受けた会議の議事録をとっている。
 上司には、書き方ちがうといわれながら修正をくりかえし、やっと出来上がったと思いきや、もう次の会議にはいっていた。
  
 まとめるが追いつかない……よと、開き直っていた。
 そうしたら、人間っておもしろいもで、少しずつわかってきた。それぞれの発言に一字一句聞いては書いていたら、人の思惑がだんだん出てきた……。
 なにをどうしたい……という、人それぞれの思惑や性格わかってきた。
 あとは、発言をどう具体的にしていくか、さらにはそれを実行していくかというプロセスをもとにできることをやっていくことなんだとわかってくる。

 とりあえず、いまはじっとこの議事録をとってみようと思っている。
 (内容は書けませんよ……)

 人間って面白いものだと思った。なんでもそうであろうが、いやいややると覚えることはない。ただ、興味をもってちょっとガマンしてやってみると、意外なものを発見できて面白いもんだな…と言える。それが、いいのか悪いのかは結局、最後は自分が判断すればいい。


 早いものだね。
 お盆が待ち遠しい、と思っていたらもう終わりである。
 暑い、暑いの日々連発だったが、雨がふれば涼しくなっていく。今度は「涼しくなりましたね」で日々がはじまりそうだ。
 それにしても、今年の8月は連日の猛暑……。まいった。初旬に体を壊して診療所にいき、花火大会にも欠席してしまった。それに、日々のスケジュールに暑さも重なってダウンしてしまった。
 それでも、体調が月末にはもとにもどってきた。よかった…というところ。

 高校野球の熱戦も少しずつ忘れていく……。
 また、新しいことを探さないとね。
 来月は、山歩きも再開していこうかと計画中である。こうして、楽しみも見つけないと生きている意味さえ失われいくように思える。

 また、NHKBS「こころ旅」も始まるだろう。火野正平さんの自転車の旅が楽しみだ。(できればこんなふうにのんびりしたいと思う)。そして、議事録……どうなることやら、はじめたところ、面白くしていきたいね。

 お疲れ様でした……。
*読んでくださった方、ありがとうございました。

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