日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

9月も終わって……思うこと

2012年09月30日 | Weblog


 こんにちは!
 暑い…と思っていても「暑さ寒さも彼岸まで」とはよくいったもので、最近は涼しくなりました。そして、日照時間が短くなりました。

 いつものとおり多摩川を散歩していると、対岸の小学校で運動会をやっていました。大きな声で「玉入れ」での数をかぞえている声が聞こえてきました。校庭に万国旗が飾られている光景もすくなくなってきましたね。
 さながら、プチオリンピックという光景も少なくなってきました。

 最近、都内では秋の行事のため6月ごろの運動会を実施しているところも多いようですが、やはり運動会は秋いいですね……。
 
 運動会で思い出すことは、私が小学生低学年のときの思い出。
 親子競争で母の手にぶらさがってゴールしたときの思い出があります。こんなにも母が足が速かったのかと思うほど速かったのには驚いてしいました。
 普段は田畑で働いていて、走ったことなど見たこともない母が一生懸命、私を手をにぎりしめ走っている光景が思い出しました。
 みんな若かったでんすね。

 さて9月も終わります。
 どんな1か月だったでしょうか。

 私にとっての9月……。
 9月になっても暑さが続き、体調を崩した奥さんのことが気になった一か月でもありましたよ……。還暦もすぎれば体のところどころに変調が出てくるそうで、その体調とうまくつきあっていくのも大事なことのようです。
 できれば、「絶好調」がいいのでしょうが、老人はその「絶好調」の中身が以前とちがってくるのは当たり前のことのようです。

 山あるきもあまりの暑さのため、敬遠していました。
 仕事は、相変わらずの忙しさの毎日でもありました。極めつけは週末の午前3時の帰宅……。もちろん仕事でです。おかげで、翌日は休日であってもボーとしていました。なんのための休日か?
 なにも考えるのもめんどうな気になってしまう休日でした。

 世の中はどうなっていたのでしょうか?
 あきれてしまうのは、民主党の代表選と自民党の総裁選。
 ふたをあけてみれば、どちらもいっこうに変わろうとしない体質が丸見えでなんとも「茶番劇」だったことには、日本の政治はいっこうに前に進もうとしない感じがしました。まさに、政治をリードしているのか二つの政党だけみたいな傲慢な姿もうきぼりになっていた9月でした。

 また、中国による「尖閣諸島国有化」への大規模なデモ。
 それに韓国も出場して、さらに複雑化しました。おおよそ、このデモによっていちばん利益を得るのは誰なのか…という問題をジャーナリズムが追いかけられない、追いかけていないような気もします。ぞくにいう「真実」が見えないような9月でもありました。

 さらには「原発ゼロ社会」に向かうはずの政治方針のなかで、原発工事の再開。青森県大間原発の再開が報道されていました。この矛盾……。いまの政権与党の民主党内の矛盾がでてきているものではないかと思えました。
 昨年の原発で放射能に汚染された土などの保管先もみえないなか、どうしてこんなに急ぐのだろうか。
 こんななか、いまだに毎週金曜日には「反原発」のデモがあることにどう考えているのか……と思います。

 さてさて、10月。
 政治は解散を目標にはじまるのでしょうか。
 私は、相変わらずの毎日でしょうか。

PHOTO:何か夢中になれることがあるとしたら、おそらく釣は最高な趣味でしょうか。相手は、生き物ですから。生きているかぎり、生きているものを相手にしていることは大事なことではないか、と思います。それが証拠に、動物園にいっておりごしに見る動物をみているとあきません。けだるそうで、なんでこんなおりの中に入っていきるようになってしまったのか、などとその動物の運命を想像すると、何か自分にどこかかぶっている点もあるのではないかと思えてしまうからでしょう。
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釣をしている人にカメラをむけてその真剣な表情にこちらも真剣にむかってしまいます。

 





 最近、思うこと。
 買った本もなかなか読めずにいる現実……。そして、結局のところ気がつけば年末のゴミとして引きとたれていくことが多いようです。
 ならば、買わずにこれまでの本をまた再読しようかと思いはじめました。
 まず、最初に読みたいと思った本は山本周五郎でした。
 周五郎の小説は読んでいて、市井の感情があふれ、人の生きた形を読者に投げかける作品が多いように思えます。登場人物が実際に誰かに似ているように読後に感じさせて小説が多いように思えます。

 

◎おごそかな渇き/山本周五郎/新潮文庫

【内容】


 長年対面しつづけた宗教的課題を取り上げ、「現代の聖書」として世に問うべく構想を練りながら絶筆となった現代小説『おごそかな渇き』。ほかに時代小説。昔も今も変わらない人と人のかかわりののなかで、大事な見失いがちなものを拾いあげているような短編集です。
 「雨あがる」は映画にもなりました。浪人となった武士、三沢伊兵衛が仕官に取り入られようとしたが、一緒に泊まった人たちと酒をのみ、楽しい一夜をつくろうと賭け試合をする。賭けに勝ち、酒を得る金はできたものの、それがもとで仕官を棒にふってしまう。それでも、自分を許すことを信じなければやってはいけない。
自分がいいと思ってやったことが、縦割りの組織のなかではそれがアダになってしまう話し……。人間の理不尽なしくみを描いた短編集でもあります。
 そのなかで、必死の自分の人生をまっとうしようとしている作品集。


 ・人は間違いということがありますからね。あの人も悲しいんですよ。人間はみんなお互いに悲しいですから、もう勘弁すて仲直りしましょう(P99・雨あがる)

・自分自身の明日のことはわからない。今いっしょにいることは信じられるが、また会えるという望みはもうできないのである(P122・雨あがる)

・他人の飯には刺がある(p158・かあちゃん)

・人の一生がきまるところを見たんだね(p257・鶴は帰りぬ)

・狡猾で貪欲で無恥なこと。まして宗教的な偏見の根強さとなると蒙昧そのものです。むしろ蒙昧であることにしがみついているようなものです(p367・おごそかな渇き)



【感想】


 山本周五郎の作品といえば、どんなときでも人間が貧しい。貧しさゆえ人のかかわりは強い……。登場する市井の人々の生活は貧しくとも人として生きる知恵がふんだんに描かれているように思う。
 
 最近「生活保護」世帯が増えてきているという。世の中が貧しくなったいうことことだろう。さらには、正社員が減り、契約社員が増えている傾向ということは、不安定な生活が増えたということでもある。さらに、「孤独死」。横のつながりも切れてきた状況。

 わたしたち庶民はますます、格差に追われた生活が続いている状況のようだ。何が悪いって、はっきりいえば経営(資本家)が利益をえるために次々と労働者を安くつかう苦肉の策に政治ができるからだろうと思う。そのおかげで貧しさ、孤独死が蔓延しているのだと思う。

 そんな中でこそ山本周五郎は読まれるべき一冊だと思う。人と人のつながりが冷たく、温かく描かれている小説が多い。いま、欠けているものをさがせるような作品が多いように思えた。

◎日本近代短篇小説選昭和篇2/紅野敏郎,紅野謙介,千葉 俊二,宗像和重,山田俊治編/岩波文庫

【内容】


 9月から始まった岩波文庫のシリーズのひとつで、昭和12年から現在までの多くの作家から選んだ短篇集です。今では、古典となってしまった作品も多く網羅されていて、時代を生き抜いてきた小説集ともいえるとも思います。時間がない毎日にあっては、ちょっとあいた時間を利用して読んでみることもできる貴重な一冊でもあります。

作品紹介抜粋から…「《生きられますか?》と彼は彼女にきいてみた」(野間宏『顔の中の赤い月』)――焼跡から,闇市から,記憶から芽吹き萌え広がる物語.明治・大正・昭和を短篇小説で織るシリーズ第二回刊行の本書には,石川淳・坂口安吾・林芙美子ら昭和21年から27年までの13人13篇を収録.(解説・解題=紅野謙介)(全6冊)


【感想】


 私がいいと思った作品は「夏の花」(原民喜著)。
 「夏の花」は原爆をあつかった小説で、広島での生活を細かく描いています。人間が作り出した原爆が人間を悲劇にまきこんでしまう「理不尽」さが伝わってきます。このことは、昨年の福島原発事故ともつながっていて、私たちに「夏の花」はメッセージとなっているように思えます。

 これまで原爆=放射能は、毎年8月の言葉だとして思い出されていましたが、いまでは日常のできごとになってしまっていることに気がつきます。
 人間はわすれっぽい動物で、あらゆる機会を利用して忘れないようにするために作品のようにも思えた作品です。

 ちなみに、原民喜の遺稿となった「心願の国」という作品には原爆のことをこう書いている。
 「あの原爆の朝の一瞬の記憶が、今になって僕に飛びかかってくるのだろうか。僕にはよくわからない。僕は広島の惨劇のなかでは、精神に何の異常もなかったとおもう。僕や僕と同じ被害者たちを、いつか発狂させようと、つねにどこからかねらっているのであろうか」……と。

 彼の他に、井伏鱒二「黒い雨」大田洋子「屍の街」、林京子「祭りの場」が有名です。暇があったら一読するといいですが……。

 脱原発へ「文学者の会」 加賀乙彦さんら 9日発足/東京新聞10月7日朝刊
作家の加賀乙彦さんら文学者の有志が九日、三・一一後の日本について考える「脱原発文学者の会」を発足させる。作家を中心とした対話サロンやシンポジウムを随時開き、原発に依存しない社会の構築に向けて議論を深めていく。

 呼び掛け人となるのは、加賀さんをはじめ、文芸評論家の川村湊さん、作家の佐藤洋二郎さん、宮内勝典(かつすけ)さんら五人。ほかに辻井喬さんら約十五人が賛同しているという。

 東京都千代田区の「アルカディア市ケ谷」で九日、第一回会合を開く。NPO法人「原子力資料情報室」の共同代表・西尾漠(ばく)さんから、原発をめぐる現状について報告を受けた後、活動内容について話し合う。

 呼び掛け人の作家森詠(えい)さんは「東日本大震災の発生から時間がたち、脱原発の雲行きが危うくなっていると感じる。文学者がまとまって意見を出す時期。オープンな交流の場を作り、持続的な活動にしていきたい」と話している。 (中村陽子)



原民喜 ※詳細はこちらでどうぞ。




 9月が終わった。
 今年の9月はさんざんだったように思う。妻の体調が崩れ(年齢)、その心配や手伝い(?)で日々、おちつくひまがなかったように思う。これも、年をとるってことなのか…と思う。
 いつのまにか、私も年をとっていて、職場では2番目に老人よりになってしまった。今月は、その事実をいやとうほど感じた月はなかったように思う。

 しかし、それが事実でもあっても、まだ働いていかねばならない。娘もやっと来年働く場所が「内定」というキップをもらったばかり……。まだ、ひとふんばりして、とりあえず今年を乗り越えなければ、来年がこない。
 残り3ヵ月、若造たちと競争するきは毛頭ない。そのかわり、これまで経験をいかして、やっていくしかないようだ。

 親戚から届いた今年の新米でも食べて、ひとふんばりしようと思う日曜日だった。

 読者の皆様はいかがでしょうか。季節の変わり目が体調の変わり目……
 くれぐれも、ご自愛のほどを。

※前回、今回と私もヘトヘトで、内容があきてきているころでしょう。それはわかっています。自分でもそう思っています。それでも、読んでくれる、きとくな読者様には、心より感謝しています。
 これからもよろしくお願いします。

*読んでくださった方、ありがとうございました。