日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

台風6号が去って…7月も終わり!

2011年07月24日 | Weblog


 今週は、関東地方に台風6号がやってきた。「大型で強い記録的大雨の恐れ…」という前評判に、怖れおののいていた一週間でした。
 なんと、中心気圧960ヘクトパスカル、最大瞬間風速55mというしろもの…。さて、どんなものか、心配していたものの、関東地方では、一部交通機関が不通になったくらいで、私の生活においては、支障がありませんでした。

 さて…、不安な日々であったわりには、曇り空、時おり降る雨、日中は寒い…という日々。いつの間にか、太平洋沖に去っていました。そのあとは、秋を思わせるほどさわやかな日々…。湿気もなく、暑さもなく、まるで高原にいるような気分にさせていました。

 台風が去った後、いつものように多摩川を散歩していたら、セミの幼虫が木にしがみついていました。セミのぬけがらかと思い、触ってみたら、ぬけがらではなく「凍死状態」で死んでいました。きっと、この涼しさで、土のなかから出てきたものの寒さのため、体温が下がり、脱皮に失敗したのだろうとおもいます。

 何年ものあいだ、土のなかで、この日をもっていた虫たちにも、気づかないところで災害を及ぼしているのだと思いました。自然が自然の災害をうむ…。人間なら、毛布でもだして、暖をとるところ、自然界でいきている生物たちは、自分の小さな生命をかけ、身を持って私たちに自然の厳しさを証明してくれんたんだな…と思えました。
 厳しいことを知らせる台風であったことは事実…と思いました。



 そういえば、セミの鳴き声をきく時期が遅い…なと思っていますが…。

 今週に、私の好きな俳優と一人でもある原田芳雄さんが71歳でなくなった。歳をとって、また若いころの野性的でギラギラした輝きはなくなったものの、人間の哀楽がへたくそで、てれやでうまくできないところが、ますます人間的な男の魅力を、演技によって表現してくれた俳優…。これからも、見たかったなあ…と思う。残念です。
…………………………………………………合掌






◎FIFA女子ワールドカップで日本が初優勝

 とうとうやった!!。苦節30年。女子サッカーの金字塔。ワールドカップ優勝。世界基準であった、フィジカルの弱さを克服し、小さな身体というハンディをパスサッカーという、新しい世界基準をつくった女性たちはえらい…ぞ。

今、サッカーをやっている少女たちにとっては、彼女たちの活躍は、確実に目標になったと思う。そして、ワールドカップで優勝も決して夢ではなく、実現できるものだということを、身をもって、証明してくれた。そのためには、どうしたらいいか教えてくれたように思う。とくに、澤選手の活躍はうれしかった。なんの、縁かもしれないが、同じ市民の一員として感激してしまうのだ。

これまで、日本サッカーはメキシコ五輪の3位にはじまり、今回のワールドカップ優勝まで、世界レベルの試合では、4回のメダルを獲得している。
 男子では、2011のAFC選手権では決勝でオーストラリア戦を征して優勝…と、まだ記憶に新しいところである。

 一方、女子というと2010年のU-17女子ワールドカップで準優勝。2008年の北京五輪の3位決定戦で、ドイツに負けて4位が最高だった。

 そもそも、日本の女子サッカーの歴史はどこから始まったのか。

※日本女子サッカー誕生の地は神戸市。
 1966年に福住小に女子少年団チームが発足し、神戸女学院中にサッカー部が誕生した。1980年に開催された初の全日本選手権は8人制、少年用のボール使用で胸トラップ禁止。

 日本代表は1981年の第4回アジア選手権(香港)で編成。初戦の台湾戦は0対1で敗れた。

 1991年のアジア選手権で準優勝し、第1回世界選手権の出場権を獲得した。1996年アトランタ五輪で正式種目に採用され、3連敗で敗退。世界選手権に出場するものの、欧米勢との力の差は大きかった。

 世界選手権から名称を1999年女子W杯でも1次リーグで敗退。2000年シドニー五輪への出場権を逃すと、景気の低迷によって企業チームが撤退し、冬の時代に入る。

 1994年アテネ五輪で「なでしこジャパン」の愛称ができ注目。強化も進み、2008年北京五輪で4位となる。
 2011年FIFA女子ワールドカップドイツ大会で優勝。(2001年7/19・サンケイスポーツより抜粋)


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【観戦記1】予選:対ニュージーランド戦(2-1)

 東日本大震災にうちのめされた日本代表の初戦だった。どこの、国も同じだが、初戦は固さがあり、はやく1点を取りたいと思っていた。その1点をとってくれたのは、FWの長里選手の見事なループシュートだった。やった!。これで、安心と思いきや、ニュジーランドに1点をもぎとられた。これで、同点。このまま、引き分けで勝ち点「1」でもいいやと思っていたら、後半にMFの宮里がフリーキックでゴールのスミをねらった見事な追加点。ニュージーランドのキーパーも一歩も動けず、芸術的なフリーキックだった。これで、初戦を勝ち点「3」で飾った。
 この勢いを最後まで続けて欲しかった。


【観戦記2】予選:対メキシコ戦(4-0)


 これは圧巻だった。なぜなら、MFの澤選手がハットトリック(3点)のゴール。さらには、FWの大野が相手をかわした見事な猛烈なスピードのあるシュートで4点目。
 この瞬間、決勝トーナメント進出を手元に近づけた瞬間だった。
 この日、宮間と澤選手との間でのコーナーキックが決勝でも生きてくる予感を感じさてた。

【観戦記3】予選:対イングランド戦(2-0)

 この日は、なでしこジャパンの昔のスタイル戻ってしまったのか、それとも、コンディションがわるかったのかイングランドのパワーとスピードに負けてしまったいた。
 キーパーの海堀のディフェンスがうまく機能できていなかった。疲れていたんだと思う。
 この負けによって、日本はさらに良くなったような気がする。そのことは、決勝トーナメントのドイツ戦に見えてくる。徹底的に守り、隙を見つける勉強ができたと思う。

 最後に、思うのはとことん好きなサッカーを少女時代から今まで、よくぞあきらめずに続け、そして、ワールドカップまで多くの人に支えられ頑張った女性の力をみたように思う。夢もあきらめないで、その思いを多くの人に熱く語り、それを支えて来てくれた人達の偉大さを思った。やりたいことは、自分の技術だけでは、生かしきれない、出し切れない、それがチームプレーのよさだと思う。


【観戦記4】準々決勝:対ドイツ戦(延長1-0)


 イングランド戦で学んだことを実践できた試合。ドイツの高いボールへの対応でいっぱいでシュートを何本もあびていた。前・後半戦を持ちこたえて、延長に入り一瞬の隙を見つけ、FWの丸山が澤のパスを角度のないところから見事にゴール。それからは、全員で必死守った。この1勝は、延長戦での体力の使い方を学び、相手の隙を見つける事を学んだと思う。


【観戦記5】準決勝:対スウェーデン戦(3-1)


 スェーデン戦では先制点を取られてしまうが、選手があわてず逆転に成功する。選手の試合に対する自信がついていた。競り合いでの得点もできるようになった。一瞬のすきをパスを通し、点をとる技術と全員の意志が統一されてきた。
 逆境にも耐えうるチームができあったように思う。


【観戦記6】決勝:対アメリカ戦(2-2)引き分け:PK戦で3対1で初優勝


 この試合は一進一退の様相だ。先制されても日本はあわてず、得点シーンをじっくり作るあげることに成功している。圧巻は、2対1にされ、これで終わりかと思った、延長の後半戦、宮間のコーナーキックを澤がピンポイントで合わせて同点においつき、とうとうPK戦までもっていってしまた。
 この日の、アメリカはいつものアメリカのチームではなかったような気がした。
 PK戦でも、誰がみてもわかるようにアメリカにはプレッシャーがあったように思えた。それは、アメリカの予算と国民の期待をいっしんにかかえてしまった選手達のキックにも反映されていた。キーパーのソロ選手にもあわてていたようなところもあった。

 いずれにせよ、追うものと、追われるものの差がはっきり出てしまったような結果だった。それにしても、なでしこジャパンは小さな体格でよく動くことで、それを克服して優勝したと思う。要は、ハンディを克服する動きを最後までやれれば、勝てるということを証明してくれた試合であった。まあ、大変であったと思う。
 お疲れさん。

 私は男なので、どうしても贔屓目にほめてしまう。それは、仕方のないことだと思う。

 最後に、ここまでくるまでには、彼女たちの間で多くの熱き思いが語られたと思う。それが、なにか。不遇な次代を乗り越え、花咲かせた「なでしこジャパン」チームの真実がいつか語られる日が待ちとおしい。

 現実、日本の女子サッカーのすそ野はせまい。義務教育機関でもクラブになっていないところが圧倒的に多い。

 日本もこれを機会に女子サッカーに力をいれてもいいと思う。
これだけの感動を、大震災の今、素直に喜べる時間であったように思える。
 しかし、実際には、未だに収束が見えない「福島第一原発事故」の処理や余震への安心は、払拭されていないのは現実なんだと、いまさらに思う。

 そんな中で「なでしこジャパン」は彼女達ができるせいいっぱいの貢献に拍手おくっても、足りないくらいだといえるのではないか。
 ワールドカップが終了したから、それぞれの「人生」にまた戻っていく。できれば、また、彼女達全員が同じフィールド立って、同じ目標にむかって戦っている姿を見られたら最高かもしれない。
 ぜひ、そうであって欲しいと思う。その時が、またくることを期待しつつ、頑張っていこうと思う。
 私ができることを探していきたい…。




 今日から、アナログからデジタル放送に、宮城、岩手、福島の三県をのぞいて変るそうです。
 こんなときに、何がデジタルだー、と思いますが企業がデジタル化進んでいる以上、政治もそれに引きずられていくのでしょう。デジタルで多くの予算をかけたわけで、いまさら後戻りにはできない状態であったのでしょう。

 私は、モノクロテレビで育った世代で、テレビは映ればそれでいいのではないかと思いますが…。デジタルになると、多くの機能(?)が使えるそうです。よく考えてみると、携帯も多くの機能が使えるために「新製品」が次々に発売されるのはいいが、結局のところ消費者が、買うようにできているのでしょう。

 例えばカメラ。
 いままで35ミリ一眼レフをフィルムを入れて使っていたカメラ。
 商店からフィルムが少しずつ減り、希少価値となり値があがり、じょじょに使わなくなっていく…。安いデジカメに変わっていく……。これって、結局、消費者が無駄なお金を使っているように思えてしまう。
 便利はそれにはリスクをともなっているのか。こんな繰り返しをいつまで続くのか?。きっと一生、続くのでしょう。

 こんな発想は「ながいものは巻かれろ」って発想でしょうか。
 安易に受け入れた消費者がいつか痛い目にあっているような気がしてならないのですが…。
 来年あたりから「復興財源5年計画」が出されてきている。
 震災での「復興財源」はガマンするが、東京電力の原発事故は承服しがたい気もします。なぜなら、事故は起きない、安全としていたはずなのに、いいかげんすぎると思います。これは、東京電力でどうにしてほしいと思います。出すのであれば、原発停止に向けた財源にしてほしいと思います。

 水も土地も家族も奪われた、福島の放射能の影響を考えてみると、もうこんなことは二度とゴメンだと思います。
 なにがデジタル化だ…。それより、やることがあるだろう。

*ながながと、読んでくださった方、ありがとうございました。