5月が始まりましたね…。
日本はゴーレデンウィークの真っ最中…。普段であれば日本中の「民族大移動」で道路は渋滞、鉄道はすし詰め状態…です。人は田舎に帰り、農家は農繁期で土に入り、動物たちは繁殖期にはいり、緑はいっそう濃く人の目に豊かさをつくっている時期です。
そして「端午の節句」。子どもたちの成長を願う日であり、親にとっては自分が子どもの頃を思い出してわが子にも幸せをつくってあげたいと強く念じる日でもあります。
赤ちゃんの笑顔が人を人として目覚めさせる一日…とおおげさでしょうか。また、人の笑顔が人を支えているんだ…よと思う一日。
◎黒い雨(井伏鱒二/新潮文庫)4月よりつづき
※道に転がる死体は、この辺では幾分か少なくなっていた。死体の恰好は千差万別だが、共通している一点は、俯伏せの姿が多すぎることである…頭髪もその他の毛も焼けて失せて、乳房の形状などで男女を区別することが出来ただけだ。(P126)
※タカが当工場に辿りついた時-昭和二十年八月八日午前八時頃。ふらふら炊事場に入って来て「カネさん、水、水、水……」と云う。(P177)
※田端の話では、昭和二十年八月六日の朝、出勤前に新聞を見ていると、空に淡いスパークが走ったような気持ちがした。錯覚ではないかと思ったが、正午ごろ軍の報道がラジオを通して広島に爆撃されたと伝えた…広島の惨状には仰天したが、どんな爆弾が落ちたのかまだ知らなかった。(P197)
※「大本営発表、(一)昨八月六日、広島市に敵B29少数機の攻撃により、相当の被害を生じたり。(二)敵は、右攻撃に新型爆弾を使用せるものの如きも、詳細目下調査中なり」(P253)
※焼跡に入ると路上に硝子の破片に太陽が反射して、まともに顔をあげて歩くことが出来ないほどであった。屍臭は昨日よりも少しずつ薄らいでいたが、家が潰されて瓦の堆くなっているところは臭気が強く、蝿が真黒になるほど群がっていた。(P347)
※「ピカドンは、原子爆弾というのが正しいそうだ。物凄い輻射エネルギーを発するらしいな…」(p359)
※「今、もし、向うの山に虹が出たら奇跡が起る。白い虹ではなくて、五彩の虹が出たら矢須子は病気が治るんだ」(p384)
◎黒い雨あらすじ
広島に8月6日にアメリカ軍のB29により原爆が市内に投下された。一瞬に町は廃墟となり、市内に住む人、植物、動物、建物とあらゆるものが破壊された。その後、原爆被爆者が次々にでてきた。主人公でも矢須子も例にもれず、閑間夫妻の安否を気遣って市内を歩いていたとき被爆してしまう。
閑間重松・シゲ子夫妻にとって、矢須子は姪にあたる。
夫妻も被爆して治療つづけるかたわら姪の矢須子の縁談をまとめて幸せにしたやりたかった。縁談の相手から矢須子は被爆者ではないかと疑われる。被爆をしていないことを証明したいため、重松は矢須子の当時の足取りである日記をまとめてみた。しかし、そのかいもなく矢須子は少しずつ原爆症の症状が出てくる。最後に「被爆日記」を全部清書し終わるときは相当悪化していた。それでも重松は「奇跡」を起こしてまで矢須子の病気が治ると祈りつつ、この物語は終わる。
感想…………………………………………………
「日本は原爆から放射能の怖さをなにも学んでいない…」と思った。
言い古されたことば「日本は唯一の被爆国」というが、日本にいまある原発は北は北海道の泊原発(北海道電力)から南は九州の川内原発(九州電力)と福島第一原発の他に50基もの原発が稼動中だ。もし、大地震がまた日本の何箇所によって起り、幾つかの原発が福島第一原発の同様の事故を起こしたら狭い日本では逃げ場がなくなり日本が全滅するというのも言い過ぎではないかもしれないと思った。
さらに怖い「風評被害」による「黒い雨」でもあった結婚や就職の差別が起る。また、農業、畜産業、漁業にいたるまで打撃を受ける。そんなことになったら国の財政も滅びる事態になりかけねない。
子どもにも影響を及ぼし、日本が成り立たなくなる…ということもSFだけの世界ではなくなると思う。
そろそろ原発に変わる電力エネルギーを研究者が考える時期だと思える。それに、産業界が計画的な事業をつくる。家庭では不便な生活も覚悟しなければならないという。まして「原発は安全」などという教育はさっそく考え直すべきだと思う。
ながい間「黒い雨」という小説に私自身、封印してきたように思う。今回こんな事態が起らなければきっと継続していただろうと思う。
人間は忘れやすく冷めるのがはやい…。まして私はそうだとつくづく思った。人の不幸がなければできない「学問」とはいったいなんなのだろう。原発推進をしてきた学者はその功罪は大きいといえる。
いまこそ、この学問を人間の生活に役立てるときではないかとつくづく思う。
◎朝日新聞社からAERA臨時増刊№22号「原発と日本人」も併せて読むといいです。「100人の証言」は被害者、学者、原発労働従業員とその家族の声が網羅されています。
※井伏鱒二
広島県生れ。本名、満寿二.中学時代は画家を志したが、長兄のすすめで志望を文学に変え、1917(大正6)年早大予科に進む。1929(昭4)年「山椒魚」等で文壇に登場。1938年「ジョン万次郎漂流記」で直木賞を、1950年「本日休診」他により読売文学賞を、1966年には「黒い雨」で野間文芸賞受けるなど、受賞多数。1965年文化勲章受章。(新潮文庫より)
3月に起きた東日本大震災…。
被災県では余震を感じながらは、ひたすら日々復興が続けられている。その復興に人々が暮らしを元に戻そうと生きている姿をみる度に、心の不安定さが少しずつ落ち着いていくような気がする。
それでも、今後、また大地震が起きない保障はだれにもわからない。そんな毎日でもある。小さな余震は毎日一度は必ず起きている。その度に3月に起きた「揺れ」が心のなかをまだ駆け巡っていく日々でもある…。
そんななか連休が始まった。少しでも「揺れ」を忘れる時間が欲しいと私なりに予定を立てた。
山歩き、墓参り、神田川リベンジ、資料整理等など…。
まず山歩き…
当初、5月になると天気が不安定になると思い、4月中に行きたいと予定した。
しかし、一緒にいく友が大事な用事が一日ずれて、山歩きは急きょ延期となった。地元優先…それは大事なことだ。
それではと、私は予定の一つの「墓参り」にいってきた。家族はそれぞれ、予定を持っている。それもそうだ!
私の予定には同行はできない!とのこと。仕方がないので一人、花屋に行って花束を買う。花屋おばさんに「気をつけて…」の声にうながされて、千葉の田舎へいった。
千葉の家にも電話してみたが誰も出ず!それもそうだ…。急きょ変更に付き合ってくれるほど人間さまは閑じゃないよなぁ…と思った。
同窓生にも電話…。しかし彼もまた同じ。
当日の予定は予定じゃない。それは社会の常識だ。それは重々わかっているが…と思いつつの墓参りであった。
時間があったので小学校に行ってみた。6年間通った道を歩いてみた。およそ4kmはある。学校帰りに野球をやった空き地はショッピングモールなるものが建ち並んでいて草が生える余地すらない。多くの買い物客が車できては利用しているようだ。便利になったものだ。そのおかげで小さな商店は影すらなくなっていた。
昔は今頃の通学路は田んぼでたくさんの蛙の声が聞こえていた。あるのは、水もなくなって雑草が生いしげる空き地となっていることだ。遠くを見渡せば家、家の宅地ばかり…。田園風景はいまでは遠い記憶のはるか彼方になったようだ。
小学校に着く。
「創立百年」なんとも長い時間がたったわけだ。小学校のころ、いつも見ていた楠もあった。場所が移動してあったが今年も緑の葉をたくさんつけて蒼空にまっすぐのびていた。
ここから学んで、泣いて、走ってころんで今日まで生きてきたんだなあ…と思った。私の兄弟も皆、ここから巣立っていったわけだ。
映画の「思い出ポロポロ」を思い出した。都会育ちの主人公のタエコちゃんが自分の生きる場所を都会でなく山形にした映画だった。小便くさい校舎にみんなで楽しく、悲しく過ごした時間、場所を時々思い出すといいものだ。
とうとう子ども頃親しんだ土地からも随分距離が大きくなった自分がいたことに気がついた。それも仕方がないことだ。東京に住んですでに30年近いのだ…。すでに私の田舎は東京なのだと思う。それでも、脳裏のかたすみ、千葉の昔の風景が残っているだけでもいま幸せなのかもしれない。なぜなら、あの風景は二度ともどらないのだから…。
もし、関東に直下型の大地震が起きたら東京はつぶれるという。それもそうだ。それが自然の法則だ。いまでは、自然様の前に謙虚にしたがって生きていくしかないとつくづく思う。自然にも人に対しても謙虚に反省の日々が大事なんだと思った。
最後にいまさらなのだが、人間は自然、モノ、人とかかわっていくなか、なくして初めてそのよさに気づく悲しいサガをもっているようだ。気がついて、それがそこにまだあれば幸いなほうだ。なくなって初めて脳裏に焼き付けている。
放射能から避難されている人たちもきっと元の風景を焼き付けて、それを励みに生きていっているはずだろうと思った。
今日、こんな詩がありました。
中原中也です。
頑固ない歌
思へば遠くへきたもんだ
十二の冬のあおの夕べ
港の空に鳴り響いた汽笛の湯気は今いづこ
雲の間に月はいて
それな汽笛を耳にすると
悄然として身をすくめ月はその時空にいた
それから何年たったことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追ひかなしくなていた
あの頃の俺はいまいづこ
◎
今では女房子供持ち
思へば遠くにきたもんだ
此の先まだまだ何時か
生きてゆくのであろうけど
生きてゆくのであろうけど
遠く経てゆくのであろうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこひしゆては
なんだか自信が持てないよ
◎
さりとて生きてゆく限り
結局我ン張る僕の性質(さが)
と思へばなんだか我ながら
いたはしいよなものですよ
考えてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
どうにかやってゆくのです
考えてみれば簡単だ
畢竟(ひっきょう)意志の問題だ
なんとかやるしか仕方もない
やりさへすればよいのだと
思ふけれどそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
(「中原中也詩集」新潮文庫より)
さて今日は「天皇賞」です。なにをポイントにしていますか??
連休も後半、なにを予定していますか…。あれも、これもと思ううちに休むが終わってしまいます。自分がやりたいこと一つくらいが無難でしょうか。
ながながとあきもせず、読んでくださった方ありがとうございました。