日々徒然に

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8月も終わるころ・・・暑さの次にくるのは

2020年08月23日 | Weblog
 こんにちは。
 盆休み明けの一週間。新型コロナでなにもなかった夏休み・・・。どこへいくにも「自粛」という圧力が頭をよぎる日々でした。それでも、強行に盆帰りなどして故郷で過ごした人もいるでしょう。きっと、帰ってもいつものような盆とは違っていたことを自覚した年でもあったことだと思います。いまは大げさな言いかたかもしれませんが「去るも地獄残るも地獄」といったジレンマの中での夏であったのだと思いますが、次の季節は着実にきていますね。
 「暑い、暑い」の日々でも夕方になれば吹く風は涼しく感じることもあります。変わらないのは、新型コロナ感染者がいるということと、コロナに対する政治の後悔がいまだに続いていることぐらいなのでしょうか。

 こんなにながい間、新型コロナウイルスが続いているとは思ってもみなかったようにも思います。ある意味、人間の体についた病原菌のようにも思えます。通常なら、人間の免疫力で時間が経つにつれ回復していくのですが、コロナはいまだに地球全体を巣くっているウイルスのようにも見えます。いまだのコロナに対する薬もできていない状況でもあるなかで、地球とコロナが一進一退の状況がいまのようにも思えす。
 人類がちょっと油断していると、コロナはいくらでも自分たちの地域を拡大するように多くの感染者を獲得していく様子です。いったいこの攻防はいつあでつづくよのでしょうか・・・。ただ言えるのは、生活や働く形が新型コロナで変わっていくことは確実ということでしょうか。

 たとえば、政府は国家予算にこれまで通り、防衛や公共事業にかけてきた予算を同じ人間を守るものが防衛でもなく公共事業の建築物もないことに変化しなければならなくなってくるのでしょう。なぜなら、これからは拳銃でドンパチとやって覇権をしていく場合ではないからです。感染症という人類共通すべきテーマが今回あきらかになったようにも見えます。感染予防は国家政策のメインテーマになるようにしなければならなくなっていくのではないかと思います。

 まずこれを解決すべく予算をちゃんとしなければ、働くことへの安心・安全もなくなりモチベーションもなくなってしまうのではないかと思います。だれでもPCR検査を無料でいつでもできることや感染者を隔離できる病院の充実など、本当にやっていくことがこれから問われているようにも思います。


 今年2月から始まった新型コロナウイルス感染症。思えば、当初は「緊急事態宣言」などが出て、会社もそれなりに対応してきたようだった。そのなかで「自宅待機」や「就業時間短縮」などがあった。しかし、「緊急事態宣言」が解除されてから、感染症増加になっていくなかで「自己責任」のような形で対応するようになって、今日まで続いている状況だ。
 そんな中で、親が介助施設を利用してきた人は介助施設が受け入れをしなくなってしまった。施設を探すも併催が多い中、自分で見るようになった人もいた。長期休暇をのため「介助休暇」を取っていたが、コロナが長引いてとうとう、「休職」するようになってしまった。思えば、私の周りにこんな形になるような予備軍が多いと気がついた。

 さて、これからどうなるのだろう?と考えてしまった。
 これからは、労働組合で対応を考え会社と協議して対応しなければならない時代なのかもしれない思う。その対応の中味を「協約」などをつくっておく必要もでてくるのだろう。もっとたくさんでれば「法定伝染病」の場合と同様に対応するようになるのだろうかと、素人ながら思えてしまう。
 私も高齢労働者。コロナ感染になるリスクは若い人より大きい。では、感染した場合にはどうするのだろうか・・・。
 とりあえず、公休で休んで、それでも長く休む場合はどうなるのだろう。
 以前、「コロナ感染を労災」とした事例が新聞に掲載された記事を読んだことがある。かんたに考えてみると、まず厚労省のホームページでは「医療従事者」は認定される・・・とあるが他の作業者はどなっているのだろうかと思う。では、通常の場合、職場で感染したらどうなるのだろう?
 日々、マスクと手洗い、うがいということはやっていてもやらなくとも感染するときは、どこでも感染する。ならば、個人のできることには限界がある。大事なのはその向こう側。
 大手労働組合もコロナ感染についていろいろ「相談窓口」で対応している。それは大事だと思う。もっと大事なことは、それを小さな労働組合でも波及できるようにしてもらいたいということだ。とくに、高齢者の多く働いて職場では、感染率が高いと思うと不安は大きい。働くことが、危険になったら、働く意味がないのではないか。「一億総活躍時代」などというスローガンはいつの間にか消えているし・・・。
 などなど、そんなことを考えた日々だった。
 ちなみにその人は、いまだに休職中である。

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 盆休みが終わった月曜日。やっぱり人が多くなっていた。
 乗り換えるたびにますます人の往来が目立つホームである。自分もそうだが他人も電車内での蜜は避けているようだ。できるだけ、接触を避けているのはお互いさまという気持ちが働いているからまだいい。 
 今週、中央線の某駅で人身事故が夕方に起きたときは超満員の車内だった。ここでゴホンとかハックションという音を立てようものならひんしゅくをかいそうな雰囲気だった。あげくの果てには「車内トラブル」というアナウンスなどもあれば、遅れに遅れる通勤電車である。そして、大混雑のなかじっとがまんする時間がつづく。
 汗は出るや、人との接触はあるは・・・と時間も続いた。降りる頃はへとへとにもなる気がした。


 新型コロナ感染が止まらず、今週も終わった。そこにきて暑さである。「東京23区で熱中症で死亡した人が今月に入って17にまでに103人」(東京・8月20日)と報道されていた。そのほんとんどが屋内(84人)でエアコンが未設置だったという。
 暑さがコンクリートにこもって逃げる場所がないため夜になっても暑さが残ってしまうのだろう。この時期エアコンなしではきついだろう。眠っているうちに脱水状態になって体の機能が止まってしまうこともあるのだろう。
 私も熱中症にかかった経験がある。夏の炎天下多摩川サイクリングロードのなか、友だちのところに自転車で2時間ほど走ったときだった。意識がもうろうとして吐き気してきた。気持ちが悪くなった。友人が土手でまっていて、さっそく知っている喫茶店につれていってくれた。およそ1時間ほど、涼しいなか水をのんでゆっくりしていたら少しずつ、自分の体に力がはいるようになってくるのがわかってきた。
 あの時、途中で倒れたら、倒れて救急車で運ばれ、知らない部屋で眠っていたかもしれなかったに違いない。「自分は大丈夫」だとか「昔はこんな暑さの中野球をしていたので平気」だと思っていたが、最近の夏の炎天下はちょっと違うのだろう。プラス年齢が違う!。それは大事なことだろう。

 あと1週間もすれば台風がやってくる季節になってくるだろう。暑さも和らぐのではないかと思う。今週は暑すぎた・・・。
 盆休みあけで仕事も盛りだくさんの毎日だった。月刊誌の宿命のように月末の締め切りの日にまで必死で仕事をしていた。新連載のロゴマークにも文句を言われたりしながらの日々だった。長い休みはありがたいが、仕事のこともちゃんと考えてくれよと、と思う日だった。

 とはいえ、仕事があるからコロナ禍のことを一瞬でも忘れていられることもあるんどあろう。確かに感染は怖いが毎日、そればかりを考えて暮らしていることいえばそうではあるまい。どこかで忘れていられるからうまく行っているのだろう。
 その時間が少しでも多くなることが大事なことだろうと思う。最近は、スポーツイベントなどで無理に忘れさせようというイベントなどがあるようにも思える日々があるようだ。そこでは「自己責任」のような言いかたがはばをきかせているのではないのだろうか。新型コロナウイルス感染はあくまでも「公衆衛生」のことなのだから、国が責任をもって住民生活を守る責任があることを忘れてはならないことだろう。

 カジノの統合型リゾート(IR)汚職の秋元司議員、公職選挙法違反の河井克行・案里議員夫妻たちのように、国民を忘れた議員の多いなか、頑張ってやっている人がいるのはまだ救いだ。それにしてもどうして自民党の国会議員は政治を忘れて金儲けに走ってしまうのだろう。そこのところが日本の脆弱性か。明治維新時代、国づくりのため奔走した西郷隆盛がいたらすぐに遠島だろうなー。

 今度は涼しくなったら本当に山歩きもやってみたいように思う。
 それくらいしていかにと本当につらくなっていくようにもなってしまう気がする。
 では、今週はこの辺で失礼します。来週はちょっと余裕ができそうですかなー。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

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