こんにちは。
少しずつ、日が短くなってきたようになってきました。日の出、日の入りも少しずつですが秋にむかっているようです。多摩川を散歩すれば、足元からバッタの飛び立ちます。夕暮れには、どこからから秋の虫が鳴いています。自然は世の中がどうであろうと、景色をかえていきます。
コロナ禍で毎日の通勤はちょっと緊張して季節の景色はマスクだらけの人々の間からは忘れがちになってきました。できるだけ、日々の景色に目をむけるようにしたいものですが、最近はまず「コロナ」というところでしょう。コロナの景色は多くの人たちのマスクの数だけ「危険!」と信号を送っているようにも思えます。身近な場所を歩いてみて、今日はどれほどのマスクの花を見かけたかを記憶にとどめていく日々が続いています。
8月も終わろうとしているやさきでした。安倍首相が持病の潰瘍性大腸炎が再発し体調不良をおこし、任期満了までやらず首相を辞任したことには驚きましや。これまでの大勢の強行に推し進めてきた法案の反対の声には勝てても、病気には勝てないのだろうなあと思います。さらには、身内の夫婦そろっての選挙違反の河井夫妻、カジノを含む統合型リゾートを巡るIR汚職疑惑の秋元司議員などの難題も残っていました。それに、まだまだ続くであろう新型コロナウイルス感染対策になどが山ほど残っていることも事実です。
まあー、首相たる仕事は本当に凡人のか考えるほどなまやさしい仕事ではないのだということがわかります。毎日の対応がいかに大変か、今回の辞任表明でよくわかります。最後は、自分の身を守るために辞任だった。本当に守ったのはこれからの自分を守ってくれる人たちだったのでしょう。そうなりますかね。政治家としては疑問符の多い人だと思います。
とはいえ、一方でメリットあります。その名は歴史に残り、さらには権力をもって自分のえがく国の形さえ変えることができるということです。それには、一人ひとりの政治家たちとの日々の議論もあったでしょう。さらには、安倍首相の時代「忖度政治」ということがよくいわれていました。そのいい代表が、「森友問題」や「桜を見る会」といわれています。選挙で圧勝したことをいいことに、自分のやりたい放題するなかで、身辺を固めていったようにも見えます。おそらく、これが韓国だったなら100万人ほどのデモのなかでもっと早く辞職していたかもしれません。
7年8カ月・・・歴代最長の長期政権が終わりました。
個人的には、野党の議員ではありませんが「国民の多くの負を押し付けた政権」ながーい政権でした。「消費税10%」もあったし、「公文書隠蔽」もあった。新型コロナでは多くの失業者をつくり、不安の日々をつくってしまった・・・。国会ではほとんどんどが「強行採決」の様子ばかりだったようだった。国会で「魚は頭から腐る」ということを首相自身の問いかけていた議員がいたことを思い出す。
新型コロナがなければいまごろは、東京五輪は終わっていて、夏の騒々しい五輪の余韻に慕っていたころだろう。
思えば「東京五輪2020」は初めから終わりまでおおくの問題をつくった。国立競技場を設計したにもかかわらず工事費が高すぎるという批判もあって工事には至らなかった。けっきょく日本の企業が請け負った。さらには、7月の暑すぎる開催に世界中から苦言が出た。とくに野外競技のマラソン、競歩に場所の移動があった。結果として、会場を急きょ北海道に変更した。最悪なのは工事が始まって納期に悩んだ社員が自殺したということもあった。そして完成した・・・。記憶がうすれつつあるが東京五輪招致に奔走した竹田会長の「東京招致汚職疑惑」もあった。ところが会長はさっさと辞任してしまった。
こうしていろいろなことの記憶がうすれていくなかで、8月も終わりそうだ。
私は、今年1月の初めごろには、東京開催にウキウキしていたことは正直なところだったように思う。
ところが、新型コロナ感染症が1月末ごろから世界中に広がるなか、各国の選手にも影響が出始めた。練習もできない、そればかりか渡航さえできない状況がつくられた。選手にとっては代表であっても、練習場所・時間さえ不可能な状況がでてきてしまった。とうとう、東京五輪が来年に延期になった。
そして9月へ。
いまだのコロナ禍の影響は世界中で猛威をふるっている状況である。
いま思うと、「イケイケ」の状況にコロナが冷水を浴びせたような感じにみえる。そして、これまでの五輪があらゆる種目に経済効果が語られていたことがあきらかになったようにも思えた。この暑いなかでのマラソン一つとっても、選手の体よりスポンサーからの収入増大の影響が大きいということが語られた。いつの間にか、五輪は「選手ファースト」から「スポンサーファースト」になってしまったのかということを強く印象に残っている。
「近代オリンピックの父」といわれた、クーベルタンは何を思うだろう。
これからも、来年の開催をしようとさまざまなニュースが出てくるだろう。忘れてはならないのは、スポーツは誰かの犠牲のうえのあってはならないとう気がする。なぜなら、楽しむものだから・・・。
開催を急ぐあまり、そこに住む人たちのことがないがしろになってはならないと思う。
暑い、暑いといっているうちに今年ももう少しで終わる。秋風は吹き始めた。一年もたてば、車両に貼ってあるシールも色あせてくるのだろう。
8月も終わりだというのにいまだにマスクをしながら歩いている。散歩途中にいつも立ち寄る図書館では、マスク、手の消毒が入館する最低の必要条件になっている。職員もできるだけ、外部との接触を避けようとしている。返却図書はできるだけ入館前に「図書返却ボックス」(無人)に返してから入館するようになっている。
借りる本は、自分で自動チェックして借りる。さらに、館内ではできるだけ長時間の滞在はさけるようにとの告知もあった。(2時間が限度)
とはいえ、2、3月よりはちょっとゆるくなったように思う。同じ条件での入館でも職員の緊張感がちがってきたように思える。以前は館内の行動さえも監視されていたようにも見えた気がする。
考えてみれば、図書館ほど不特定多数がくる場所もないだろう。それも、本やCDに直接さわったりすることも多いし、職員も気が抜けないのかもしれないなーと思う。ここでもやっぱり「密」はできるだけ避けるようにとしているのだろうが、人の触れることといったら、ここくらい多いところはないのだろう。
私は、夏の図書館は涼む場所としてかっこうなところだと思っていた。本を借りるでもなく、返すでもなく、暑い一日図書館によって1時間ほど涼んでいられる唯一の場所としてけっこう利用している。時間があれば、椅子に座って居眠りまでしてしまう。こういう利用者は職員はやだろうなー思うけれど、命にはかえられない。熱中症になったら困るからだ。
はやく以前のように、気楽に居眠りも自由にできるように戻ってほしいものだ。
それでも、おそらく館内を利用するのは市内居住者というのはちょっと職員たちにはなぐさめになっているのかもしれない。感染者が出ても、市内の人だから感染経路に対してのわかりやすいということだろう。そうは言っても感染しないことが何よりなのだが・・・。
それにしても、たくさん本を借りて勉強しているように思う図書館の風景である。そのわりには、ちっとも国がよくならないのはなぜだろうかいつも不思議に思う日々である。
今年は敗戦75年目。毎年8月は全国で戦争犠牲者への追悼式典が行われている。新聞やテレビ・ラジオでも戦争に関しての何らかのテーマを放送していた。
私は、この時期に読む本も意識的に戦争に関しての本を読むようにしている。読んでいると加害者であれ、被害者であれ戦争の犠牲者になっているように思う。
ここでいう「加害者であれ」の人は軍人で戦争を指揮している権力側の人たちのことではなく、権力によっていやでも戦争に行ってしまった人のことである。そして抵抗することもできなく逃げ惑った市民の人たちのこともいっている。
今年も15日は、九段の靖国神社や千鳥ヶ淵に追悼に訪れる人に分かれる。今年はコロナ禍の影響で少ないと言われているが、どちらも戦争犠牲者への追悼には足を運んでいる。参拝者にはそれぞれの戦争への考え方の違いはあるがいずれも、戦争というなかで命を落としていった人たちにはかわりはないのだろう。
大事なことは、戦争によって多くの死者があったという現実と、そのことによって平和の大切さを希求することじゃないかと思う。そして、その歴史をちゃんと受けとめることだろうと思う。
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今回は、戦争によって積極的に軍人になった人の小説を読んでいた。城山三郎の『大義の末』と『指揮官たちの特攻』の2冊。
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■p44 一つの思想を信じているという理由だけで、十数年という永い獄中生活を送らされていたという事実が柿見たちを感動させたのだ。~それにしても十南年間、戦争が終わらなければ死ぬまで、そうした獄中生活を甘受させる考え方とは何であろうか。一つの思想、たとえ彼らのように「大義」のために、死ぬことはやさしい。だが、その思想のために何十年もの獄中生活を忍ぶということは信じられぬほど困難なことに思えた。
■p88『大義』の世界は仮構でも空虚でもなかった。柿見たちがあれほど、烈しく身命を投入した時期にたしかに応えるもの、少なくとも裏切らないものを、あの素朴な少年は持っていた。呪縛されそうな硬質の親愛感――それは正しく『大義』につづくものであった。いま、あの皇太子に危難が迫れば、身を賭けるかも知れない。理屈ではない。それは目前で無心な子供の溺れるのを見逃しできないのと同じ気持ちだった。
■p143「考えてみれば、ぼくたちはみじめな時代に生きてきたものです。人間は幸福を求めて生きるんだというそんな単純なことを、教師だって親だって誰一人教えてくれていなかった。ただ大義とか忠君愛国とかで…。ぼくたちはそれだけをまともに思いつめていた」「~愛国心などと言い出す人を見ると、そんな人は戦争でただ得だけしてきた人じゃないかと、にくくてなりません。どれだけ兄のような犠牲を見れば気が済む人なのかと…。みんな幸福にくらせる国をつくれば、黙っていたって愛国心は湧いてくるじゃありませんか」(柿見)
■p173 柿見!そうだ。天皇というものは、支配権力にとって実に便利な存在だからな。国民の総意を代表し、それを超えた存在ということにしておけば、たとえ自分たちが不都合なことをしても、天皇の意志だと責任を逃れられる。国民の批判を無視することができる。世論にすり代り、世論をおさえつける権威――天皇元首説がまた出てくる筈だ。しかも、憲法改正ということで再軍備と結びついて…国防などと言って、結局、そのとき政治権力を守るだけ、国民は狩り出され殺される。そんなとき、一番適当な冠が天皇制だ。
■p272 「あとがき」より
これは私小説ではないが私の青春もこれに近い。体験の中に在った。ただ、それが、私個人のものというより、程度の差こそあれ、同時代のひとびとに共通した体験であり、また同時代の証言にもなると思うと、私はこれといつまでも語り伝えねばならぬ義務のようなものを感じる。
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■p62 大西中将の訓示「日本はまさに危機である。しかも、この危機を救いうるものは大臣でも大将でも、軍部総長でもない。もちろん自分のような長官でもない。それは諸子のごとき純真にして気力に満ちた若い人々のみである。したがって、自分は一億国民に代わってみんなにお願いする。どうか成功を祈る。命令するというより、頼む、お願いするという形で話しはじめ「みんなはすでに神である。神であるから欲望はないだろう。が、もしあるとすれば、それは自分の体当たりが無駄ではなかったというか、それを知りたいということだろう。」
■p63 「日本もおしまいだよ。ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて。ぼくなら体当たりせずとも敵母艦の飛行版に五〇番(五〇〇キロ爆弾)を命中させる自信がある」。「ぼくは天皇陛下とか日本帝国のために行くんじゃない。最愛のKA(家内)のために行くんだ。命令ともあれば止むを得ない。ぼくは彼女を護るために死ぬんだ。最愛のために死ぬ。どうだすばらしいだろう!」
■p103 「いまや戦争に勝つということは考えられなくなった。軍人として名誉ある対処を静かに考えるべき時間が来た」
■p131 身も裸、心も裸になる。~きれいごとの世界を踏みにじるように。隊員たちは白刃をかざして踏み込む。世界も世間も、真っ二つに裁ち割り、世界も世間も消える。残っているのは、妻の顔、婚約者の顔、親兄弟の顔…。おれは死ぬ。死ぬなんだよ、お母さん。こんなに元気なのに。ごめんね、お母さん。おれの分まで達者でね、お母さん…。
■p145 人間爆弾「桜花」(一一型)「橘花」人間魚雷「回転」「震洋」
■p147 少年兵の命など花びらよりも紙きれよりも安しとする日本軍ならではの発想である。そういえば私たちは、「きさまらの、代わりは一銭五厘でいくらでも来る」と、幾度聞かされたろうか。
■p165 日本陸軍の上層部には、それがまた狙いで、たとえ負けるにしても「一億玉砕」をかかげて、最後の最後まで特攻をかけ、米英から譲歩を引き出すべきだとの声も強く、このため元首相広田弘毅と駐日ソ連大使マリクとの間でひそかに進められていた交渉などもつぶされるなど終戦工作はおくれ、広島・長崎に膨大な犠牲を出す。
【感想】
2冊を読み終えて、ふと思うことがあった。
”戦争”という行動は、日々の延長線上にあり、それは政治の混乱でもあり、兵士は家族へ知人、友人という最愛の人のために・・・が最終目標になっていく。しかし、その本質は国家安泰、一部の権力者・資本家の未来永劫でもある。
そして、「誰のため?」を問いつづけることを忘れさられることなのだろう。
「誰のために」を問いつづけた人たちは『大義の末」では、刑務署の牢獄で口をふさがれていたことが描かれている。その間、人々は戦うことが唯一夢の実現あり国家のため、最愛者のためだと脳は支配されていた。それ以外は人間にあらずという「非国民」として差別されていた。戦争は何に対しても「問いつづける」ことを拒否してしまう日常がつくりあげた結果かもしれないと思う。
簡単に拒否してしまう日常になってはいまいか、あるいはパニックなってはいまいか、今一度ふり返ってみることが大事ではないかと思った。
ながい梅雨だなーと思っていたら梅雨があけた8月。8月のお盆休みでは「自粛」で帰省がかなわなかった人も多くいた。「GoToトラベル」が東京都除いて感染も広がるだろうと心配した。あんのじょう、感染者が過去にないほど多く出たのも8月だった。
そうこうしているうちに8月も終わりになった。
「毎日あついですねー」というかけ声も少しずつ、ときおり吹く秋風が忘れさせてくるようになってくるだろう。どうもコロナウイルスは暑さにも強いらしい・・・といまさらのように思えたのも8月だった。
それにしても、この新型コロナウイルス殿はいつまで停滞しては、人間を苦しめていくのだろうか。
毎日通勤していて思うことは「感染したらどうしよう」ということだ。そんな思いでいつまで続くのかと。
とはいえ、今年初めから少しずつへんな話であるがなれてきてしまっているのも正直なところだと思う。
新型コロナウイルスで何がどう変わっていくのだろうかいうことを考えると、わたしの周りのことをみれば少しも変わってはいないともいえるのではないかと思う。
普通に出勤しているし、普通に残業もある。
コロナでは多くの派遣や非正規の人たちが解雇されたという。これは今にはじまったことでもない、労働者いじめはコロナ前と変わっていない。
本当に変わるべきは私たちではなく、企業や政治家かではないのだろうか。
そんなことを思った8月の終わりだった。
まだまだ暑さは続きそうです。台風も発生して甚大な被害も起きそうである。いったい、台風、コロナに巻き込まれたところはどうしたものだろうか。少しも「いいことがない!」と落胆する日々が重なっていくようだ。それでも、誰かに支えられ明日をむかえる日々であるからこそ今日があるのだろう。人との距離がコロナ禍によって遠ざけられている日々ですが、少しでも近きによりて、ちょっとした話でもできる日々があるだけまだいいのかもしれません。
過日、新聞の投書欄を読んでいたら「余命3カ月」と医者に宣告されたという人のはなし。では、残り3カ月の間にいろいろとやりたいことを妹の協力のもとがんばった。自分が本当にやりたかったことをしんどいながらも片づけているうちに「6か月」になった、と。この投書を読んでいたら、そーだった自分のやりたいこと、楽しいことは何だったっけ? とふと考えてしまった。読者のみんさんはなんだったのでしょうかね。
コロナ禍と暑さで、日々忘れていたものが多すぎたかと思う。無理は禁物だが、出来る範囲で、誰かの手助けをしてもらったり、と送っているありがたさをもういちど考え直す日々があったように思う。老いてくると、そんなことも忘れてしまうのかもしれないなー。
読者の皆様もくれぐれもご自愛ください。
では今週はこの辺で失礼します。
読んでくれた人、ありがとうございました。
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