こんにちは……
今月も終わりですね。楽しいことがありましたか?
今月は下旬から、ブラジルでサッカーワールドカップ大会は始まりましたね。今週、日本代表は一次プリーグ戦で早々と負けて帰ってきていました。日本代表が空港に到着したとき報道された写真には疲れた表情が印象的でした。
日本はまだまだ世界標準のサッカーには遠いということなのでしょうか。
日本代表は過去4度ワールドカップに参加しています。決勝トーナメントし進出は、2002年度日韓大会、20010年南アフリカ大会の2度、1次リーグ敗退では、1998年度フランス、2006年度ドイツ大会の2度となっています。今回の試合内容は発出場のフランス大会の内容と似ています。どう、あがいても決勝点が決まらない。焦ってしまって自滅……というパターンでした。
今回はヨーロッパのリーグで活躍する選手もたくさん出て「今年はいける」と期待した選手布陣だと思ったのはわたしだけでしょうか。
しかし、世界のサッカーはその上をいっていたようです。
元日本代表監督のオシム監督の「期待があったから失望があった。現実を見なければならない」(天声人語6月28日)という言葉が思い出された。いい選手が揃ってもいい試合結果は期待できない…。大事なのは、その時々の試合の流れを読みきり、イメージしそれをプレーに活かせる日々の練習の延長線上のプレーだということがわかったような気がします。
今回のワールドカップの優勝国はどこになるのでしょうか。
主催国でもあるブラジルもネイマールを中心に調子がいいようです。コロンビアやメキシコ、アルゼンチンという国も点を確実にとる形ができているように見えます。ヨーロッパでは早々とイタリア、スペイン、ポルトガルが一次リーグで敗退し母国に帰ってしまいました。残っている強豪国ではドイツ、フランス、スイスが強いように見えます。今年の特徴は南米の代表国の組織的なディフェンス面が強くなったように見えす。そして、あたりも強い。ラグビーではありませんが、危険なゾーンに入ってきたときの対応がすばやく、一発で反則すれすれに倒す強さが印象的でした。日本代表もこのプレーによって、ゴール前のシュートはことごとくはずしていました。(そう見えました)
今回、ぼくが一押しで見ていたのは、クロアチアとボスニアヘルツュゴビナの代表でした。とくに、ボスニアヘルツュゴビナは初出場。どんな試合がみらるのか注目していました。さらに、この国はボシュニク人、クロアチア人、セルビア人と3民族の集合体の国。以前、民族同士の紛争があり国がバラバラになっていました。昨日まで友だちだった友人同士が突然引き裂かれた歴史をもっています。日本でも名古屋グランパスの選手だったストイコビッチ選手が米国の空爆に抗議したことでも日本人の国の悲劇を伝えていました。
民族の対立……。サッカーも例外ではありません。選手同士がそれぞれの民族の混合チーム。ミスをすればその選手の民族が非難され対立をあおるという現実もあったようです。
そんな中でのブラジルワールドカップ。
ボスニアヘルツュゴビナの活躍は民族の心を一つに結びつける重要な代表でもあったのです。代表のプレー一つ一喜一憂し人々はサッカーによって結ばれていかれるようです。まさにオシム監督のいう「サッカーは人と人を結びつける」ということなのしょう。紛争を二度と起こさないように人びとは、一つにまとまる(応援する)場所がまさにサッカーでったのだと思います。
サッカーはボール一つと、それを相手のゴールいれるまで、人たちの心を一つにするスポーツだということが強く残りました。きっと、代表選手の蹴ったボールがゴールに入った瞬間、これまでの民族の憎しみや悲しみを希望にかえていくような気がしました…。
ちなみにボスニアヘルツュゴビナはF組では1勝2敗で決勝トーナメントにはいけませんでしたが、この1勝はこれまでの勝ちとは意味がちがった思えます。次回の大会も期待してしまいます。
日本代表は最期まで「自分たちのプレー」にこだわった。しかし、一人多いギリシャ戦でも勝てなかった。勝ちきるためには本当に「自分たち……」で勝てなかったのか、ボスニアヘルツュゴビナの戦い方に学んでほしいと思った。
日本では政府主導の「集団的自衛権行使」で政治がゆれていました。
与党の閣議決定に持ち込みたい自民党側と公明党の話し合いがもたれていました。「戦争ができる国」「自衛隊を軍隊」にさらには「憲法9条」の変更をもくろんでいるような気がします。なんでも数の力で強行しようとする権力をもった側の横暴さが日々目立っているように思えました。
だれが考えても、武器にで戦うことは戦争への一歩です。
大事なことは、武器をあつかうより「なぜそうなってしまうのか…」という問いを世界中に発信する国であってほしい。
最近の新聞に「集団的自衛権」の全文が載っていた。読めばよむほど、「誰が」「誰のために」という想像をもって読んでしまう。
自分なりに考えれば「日本が」「アメリカのために」という言葉が浮かんでくる。結局、日本を守るという戦闘はアメリカを守る、ということなのだろう。ということは、アメリカは戦争をしている国である。事実上多くの犠牲者を出している。それに加わるということは、日本も戦争ができることになっていく、ということなのではないかと思う。
戦争は政治の延長線上の失敗である(「戦争論」クラウゼヴィッツ)。外交政策をやろうとしないことが不思議でもある。政治の本文を逸脱してしまっている。外交努力を考えてほしい、強化する政治家をあててほしい。
けっきょく、戦闘が戦争へ変化してくのは時間の問題なのだろうと思う。そこでは、大量の兵器が消耗品として作られ、税金が多く使われる。そんな道を日本人は通ってきたのではないか?
「特定秘密保護法案」といい、今回の「集団的自衛権行使」といい、他人(公明党)をうまくねじふせて強行しようとしているのがみえみえのような気がする。一方、公明党はここはいちばん「平和の党」であるこれまでお、党の歴史をふりかえってほしい気持ちだ。
野党の、特に民主党はいったいなにがしたいのか不明。反対なのか賛成なのかはっきりさせてほしいなあ……。
弱小野党(共産党・社民党・他の議員)ががんばっているだけど、わたしもできる範囲で参加するようにしたいと思うほど、与党の強硬な政治手法にはうんざりしている。
今月はもっと読んだ記憶があるのですが、感想をというテーマでは4~5冊くらいしかない。仕事が変わって、現場から校正(校閲)にまわったため、その関係する本や辞書を読んでいた。「辞書」は読む……? という経験がなかったように思う。1000ページもの厚い本を読むことは大変だな思う。なにか、その内容に自分でテーマを探しつつ読んでいかなかれば続かないように思えた。なんであれ、読むためには「私のテーマ」が必要な気がした辞書のひろい読みだった。「学問には王道はない」という誰がいったのか忘れたが、思い出した。
私たちは幸せになるために生まれてきた/朴慶南(パクキョンナム)/光文社知恵の森文庫
・命を忘れそうになったおかげで、自然を感じることや、何よりも感謝の気持ちが、いっそう大きく豊かになったように思える。いま、自分が生きていて連なるすべてのことが、本当にありがたくてなりません(p20)
・カンボジアだけでなく、どの地域でも、どの時代でも、人間によって同じようなことが起こりつづけています。人間であるある私自身が自分はひどいことをしない、間違いを犯さないと思いこむことなく、内面をつねに確かめ、見つめていかなければと思うのです(p100)
・かつて「無謀すぎて無知すぎて」戦争を防ぐことができなかったのなら、現在を生きる私たちは、無謀なことをしないように、無知にならないように、しっかりと心がけていかなかければと思います。二度と戦争を起こさないために(p111)
・
遺言/川上哲治/文春文庫
※後日載せます!
読むための日本国憲法/東京新聞/文春文庫
※後日載せます!
日本の雇用と中高年/濱口桂一郎/ちくま新書
※後日載せます!
まだまだ梅雨が続きそうです。沖縄県はすでに梅雨明けだそうです。
関東地方もはやくあけないのかなあ…期待している日々です。
それにしても、最近の天気はおかしいことばかり。雷がなって雨ときたら、梅雨明け…とばかり思っていたが、降ってきたのはひょうだった。
先週24日(火曜)の午後、調布と三鷹で大量のひょうが積もった。それも冬の雪のように積もった。ゲリラ豪雨ばかりかではなくゲリラひょうもあるようだ。傘があっても壊れるだけでなんの役にもたたない。むしろ、じっと避難して動かない方がいい状況だ。
ときどき、会社で働いていると豪雨。これで電車がとまらなければと心配する夕立がある。スコールのようだ。そして、ここはいつから熱帯雨林のようになってしまったのか思う。
今週も雨には注意だ……。
*読んでくださった方、ありがとうございました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます