日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

4月後半。連休が近づいていますが…

2018年04月22日 | Weblog

 こんにちは。
 気温は日々上がっていくようになってきました。寒いと思っても日が昇るはじめると汗ばむきせつとなってきました。
 通勤路ではツバメが少しずつ巣作りの準備をはじめていました。今年も昨年同様の何カ所に巣をつくるのでしょうか。風も光も柔らかな季節です。こんなときは、なんにつけ外へ出て光をいっぱい浴びておきたい季節です。

 さて、今週は「辞意」と「辞職」ということばがセクハラという言葉を間によく聞かれました。この国の政治はもう国民のための政治というよりは、まずは自分らのおかれている足場をみつめなおす時がきているようです。それを、全部任せてきた首相の責任は重いのではないかと思えます。最近では、支持率が低下してきて、その穴埋めのために訪米をしたり(こんな時期に訪米じゃないだろうと思うのに)、政治日程を追いかけては支持率低下の歯止めをかけようとしている姿があります。
 それでも、これまでの「一強多弱」というなかで行なってきた権力政治の傲慢さがあちこちでほころびを見せているということも事実ではないのでしょうか。さてさて、今後はどんなことを強行していこうといのでしょうか。




 女子アジア・カップの最終日(20日)、日本代表はは決勝でオーストラリアを1―0で破り、2大会連続2度目の優勝を成し遂げた。試合内容は、オーストラリア22本のシュート数の対して日本は5本。さらに、ゴール前のハンドでPKになってが、キーパーの山下が頑張って止めた。高倉監督のコメントでは「非常に厳しい戦いになる思っていた、苦しい時間帯が長く続いたが、粘り強く戦って勝利した選手たちにおめでとうと言いたい」と語る。

 相撲界では土俵に女性があがってはいけないアナウンスがあったり、ボクシングでは計量に失敗するチャンピオンがいたり、どこかスポーツがきびしいことなど忘れたり女性差別がまだあるのだと、いやな感じがあった中だった。そんな中でのスポーツ界あってはとても明るいニュースだった。
 ライブでの中継では夜中になってしまったので録画をしておいたものをみたが、ほとんど防戦一方だったのでこれは負けるだろうと思いつつみていた。ところが、ワンチャンスをものにして1点をもぎ取っての勝利だった。まさの決定力の差だった。(男子もこれだけの決定力があれば…)

 そんなな中で目立ったのがディフェンスがよかった。相手に攻め込ませながら最後は相手選手のボールを取り囲んで、相手のスピードを落とさせるなどチームプレーができていたように見えた。そして若手選手の台頭である。
 そして身長のさを埋める背後へのスピードある攻めがよかったように思えた。これで、ワールドカップもがんばってほしいものだ。
 ガンバレなでしこジャパン。それでも、宮間選手や大野選手の復帰を期待したい。


 今年のピュリツァー賞はセクハラ追及したハリウッド映画界の大物追うものプロデユーサー、ハーベイ・ワインスタイン氏をセクハラ疑惑で追及した雑誌ニューヨーカーと有力紙ニューヨーク・タイムズを選んだ。この報道をきっかけに「#MeToo運動」にさらに拍車がかかりそうだ。

 どこでどうまちがえたのか、女性に対するセクハラ行為で政治家があいついで「辞任」「辞職」に追い込まれているシーンがよくニュースになった週だった。あろうことが、女性記者にセクハラをしていた財務次官ということも驚きだ。真実を伝えるべき報道関係者の自分の意のままに記事を捏造させる気でいたのか、これは恐ろしいことだ。まさに「独裁者」の気分だったのではないか…とも。これも、いまの政治のありかたがよく表現された事実だろうと思える。法律をつくるべき公僕の行動は、それを任命した人、麻生太郎副総理兼財務相の責任問題も追及されても仕方がないうようだ。

 これが今の政治の中心議題。国民そっちのけでの国会をつくっているのは誰だろうか。訪米も大事だろうが、まずは自国の政治家たちのふるまいを正すようにしてほしい首相の仕事だろう。だから、自衛官に暴言まで浴びせられる国会議員も出てきてしまうのではないか。そのうち、言葉だけではなく、武器を向けられるのではないか…。今の国会のありかたに不安を感じる日々がまた増えたように思えた。


 最近、退院して職場復帰をした人といっしょに仕事をするようになった。彼はがんでしばらく休職していた。さらに、声帯を手術でとってしまっているために話すことがうんまくできない。時々、職場では他の人の協力をしてもらっている様子だった。それでも、相手にうまく連絡ができていないことに日々ストレスがあるようにも見えた。一緒に仕事をした私もそのことがあった。連絡がうまく伝わらないという事実がたくさんあった。

 これまで、一緒に仕事をした人の負担は増えるのだろうなあ…。だから、あまり語らないが「一緒に仕事をしたくない」という雰囲気もでているように思う。正直、わたしも現実そのことと向き合うと仕事の歯車(自分がやろうとしていることに対して)がずれてきていくようにも思えた。例えば、一つの商品が必要な時の、その商品担当の彼がうまく連絡をとっていなければ、私のやっている仕事にも影響を及ぼしてくる、ということ。そして、その仕事を何分の一か手伝っていくのうちに、自分のペースがくるってきてうまく流れない…という現実になってしまうことがでてくる。

 どれも、自分が伝えたいことがうまく表現できていないことにストレスがたまっていくように思う。健常者は自分の表現をやろうとしたとき、障がい者の人の表現とうまく一致できていけるかなとも思う。
 結局のところ、うまく表現できる工夫が必要なのだろう。これは仕事以前の生活の中でのことでもある。自分であればこう表現したい。それにはこの道具をつかうとか、だれだれの助けを受けるとか…、はっきりした準備が必要なのだろう。とくにその準備は障がい者の方が必要にになってくるのは間違いないことだ。差別ではなく、ちゅんと自分の体と向き合った自分の表現を工夫することでお互いの負担を軽くすることが障害の理解もできてくるのではないかと思う。それには、「助けてあげたい」という気持ちは捨てた方がいいように思える。なぜなら、一生助けを借りることを期待されても困るからだ。要はお互いの工夫を出し合いながら、伝えていくことが大切なように思う。

 とはいえ、「言うは易し、行なうは難し」どうしていくのか、考えて行動しなかればお互いが不幸だろうと思えた。できれば避けたいが、世の中「2人1人ががん」といわれる。他人事とは思わないが、いまの老体にはきつい日々になっていることはますます現実味をおびてきている日々だ。ボチボチ初めていくしかないと考えた週だった。




【吉祥寺駅】
 通勤時、中央線では降りる人より乗る人の方が多い。あさのラッシュ時には目の前の人がうまく立って降りてくれるのを期待する駅でもある。そんな期待があるような駅でもある。吉祥寺は通過するだけの駅。

 むしろ自転車や徒歩で歩く地域というところだ。
 30~40年前はこんなに人も多くはなかった。駅前も静かだったし、井の頭公園も静かであった。さらに歩けば、山本有三館というところもゆっくり休めるところだった。有三館は三鷹の図書館の分室のような存在だったのだろうか子どもを自転車の乗せて動物園の帰りによくよったところだ。絵本ばかりがとても多くて立ち寄っては借りたものだった。係りのおばさんもゆっくり子どもと話しをしてくれたものだった。とくに、小さな子どもとはなすことに慣れていた人だったので面白かった。今は、有料になってしまった。まずはお金を払ってから始まる地域になってしまったのは残念である。第一に子どもにとっては遠ざかる有三館になってしまったように思う。今ごろは、庭先で子どもたちが遊んでいる姿をみかけなものだった。子どもがいなくなって静まりかえったあとはカジカカエルだろうかきれいな鳴き声が池の方からした記憶も遠い昔になってしまったのかなあ…。
※ちなみ入館料300円。年間パスポートは1000円。午前9時から午後5時(月曜日休館)です。



 井の頭動物園もよかった。
 一枚の入場券で動物に会える、奥へいけば彫刻家の北村西望の作品も見学できることもできた。さらには、道路を渡り水族館にも行けた。「一石三鳥」の経験ができるところでもあった。私がすきだったのは、象のはな子さん(もう死んでいない)と水族館だった。水族館では淡水にすむ身近な生物がいておもしろい。こんな身近な生物は子どもの頃はどこにでもいたんだ…ということをつくづく感じる水族館だ。そして、つかまえては食卓にもあがったことを思いだす。ドジョウなどは高級になってしまったが、子どもの頃はちょっと頑張れば食べられた…とも思う。いまでは貴重な生物ということを聞くたびになんとも人間とは、なんとあさましい生き物だなと反省してしまう所だった。

 最近では昔よりも人の多さは何十倍にもなっているのだろう。現在のヨドバシカメラには近鉄デパートがあって、よく四国そばを食べにいきました。ハーニモニカ横丁を抜けると丸井があったようで、今はそれぞれ違うお店のテナントがはいっているようです。
 今は亡きフォーク歌手の高田渡さんが焼き鳥を手に酒を飲んでいる井之頭の「いせや」あたりの光景がなつかしい…。今は幻になってしまったのが残念だなあ。政治家の答弁を歌いあげた「値上げのうた」がなつかしい。さらには、もう時効になったのか「井の頭公園バラバラ事件」のことも人の記憶からうすれてしまったのだろうか。そんな怖い事件もあった時代は遠い昔のことではあるまい。おそらく、当時は人気がなく静かな公園だったのだろうと思う。そして近くには玉川が流れている。万助橋からのずむ川の深さは大人のヒザくらいである。太宰治が1948年6月13日に東京都三鷹市の玉川上水にて愛人(山崎富栄)と身を投げて自死しなことは有名である。当時はもっと水があったのだろう。



 
 「働き方改革」を目玉に始まった国会論議だと思いきや厚生労働省の資料データのでたらめぶりにはじまり公僕者であるはずの人たちの私利私欲のスキャンダルに染まり、あげくの果てに公文書改ざんとなり、いつの間にか国会が権力者対野党との紛糾ぶりを見せた日々になっていた。原因は全部、当事者たちがなかなか本当のことを語らず、出ず、さらには逃げている構図が出来上がっていた。
 唯一、政治の場で歓迎できるのは「北朝鮮の核開発中止」という話題。それでも日本などは、あいかわらず北朝鮮を煽ることばかり政治日程にあげているようだ。「用心にこしたことはない」のはわからないでもないが、一度、相手のテーブルについて食事を囲んで話すくらいの余裕があるといいのに…。
 要はこちらラ側の構えの問題なのだろう。「拉致被害者問題」を出してきてまたしても未解決のなるのだろうか。本気で考えていれば米国に行く前に北朝鮮に行くくらいの勇気と外交力を見せてほしいものだ。
5月の連休が近づいてきました。
 さて何をやるやら…、いまだ予定なし。途中メーデーに参加しようと思案中です。それから、連休前の仕事(新聞2回分)の作成の手伝いかね。ことらは、前の職場(一人職場の時代)の人たちとの作業となる。板橋から中央区まで出かけての作業である。考えてみれば、本社より楽しいような気さえする(移動がめんどうなのだが…)。では、なぜ今の職場は楽しくないのだろうかと考えてみると、会話がないのが一番だろうか、合わないのいうのか、世代が違うのいうのか…。

 今年は本気でごみの部屋を片付けないと体力もなくなってきた気がする。それと、年金受給書類の作成に手を付け始めた。なんとも面倒な言い回しが多くて四苦八苦している。結局、年金事務所にいって質問して答えてもらうしかないようだ。それにしても、こんなに意味不明な日本語をどうやって解釈すればいいのか分からないところが多い。公文書というのはこれほどわかりずらいのだろうかと思う。それとも、わざと専門家にしかわからないようにできているのかねえ。よく訴訟の文書や判決文がわかりずらいようになっていることがありますね。
 まあ、そんなところでしょうか。
 今週はこの辺で失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

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