日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

いい一年をつくろうや!!…今年もよろしくお願いします

2014年01月05日 | Weblog



 毎年の恒例の行事、初詣。
 この日どこの神社も有名所は多くの初詣でにぎわっているだろう。明治神宮などは多数の宗教関係者がこの日だけは友だちと一緒に初詣をしているんだろうと思う。無茶苦茶だがそんなもの……だと思えてしまう。
 実際、宗教などは実際に必要に迫られもでは無宗教の顔をしているように思う。近隣者に不幸があったり、自身が必要にせまられなければ考えないのが宗教のように思う。

 でも、宗教は幾多の時代にも市民権を得るためには相当の弾圧があったり、まさに命がけの社会もあったことはわすれないようにしたいものだ。
 わたしの好きな作家の遠藤周作の「沈黙」では隠れキリスタンが描かれていた。まさに死をもってもすてがたい宗教がえがかれていたように思う。
 まさに、宗教か命か世界だった。そんな中でいまでも延々とつながっているということは、何かがあるはずなのだ。それを、真剣に考えてみるのもいいかもしれない。

 賽銭をいれて拝んで、はい終わり……というものではなかったのだから……。



 新年あけましておめでとうございます。
 今年の新年は天気にめぐまれ初詣も家族でのんびりいくこともできました。そして今年は長い休みになっていたのでのんびりできたのではないでしょうか。
今ごろは、故郷から家路に急いで帰っている光景が浮かびますが…。故郷ではどんな正月を送ってきたのでしょうか…。

さてさて、新年も松の内。
 今年の正月は、ふりかえってみれば昨年よりは「倍返し」ではありませんがいい正月であったと思っています。
 なぜなら、一年に一度くらいは仕事を忘れて家族がのんびり過ごせる時間があっていいと思います。そう、考えると正月は大事な年中行事の一大イベントであるのではないのでしょうか。

 昨年暮れから休みがカレンダーとおりにきた結果長い休み(9日間)に思えていましたが終わってみれば短いものですね。
 なにかしたかといえば、家族での初詣、墓参り、山歩き…となんとかあきそうな日々をどうにか送ってきました。
 休みが終われば、日々仕事に追われる日々が待っているだけですが、それを忘れてしばし家族の時間をもてたことはよかったと思えます。
 
 今年も、昨年同様に一週間に一度ブログを更新していく予定でいます。
 仕事のこと、世間のこと、家族のこと、そして自分のこようまく更新できるかは疑問ですがまあ「ボチボチ」とはじめます。
 無理なくやれることがいちばんです。



新年に……
一年を数えてみれば365日
1月1日24時間
時間よ終われ、人に終われ
こんな日々が昨年同様はじまるだけだ
なにもかわらない日々ではないか
変わったことといえば
わたしの命が日々小さくなっていくこと
さらには
聞いたこともない音に
見たことも景色に
明日を考えていることくらい
ことしも「地震速報」の音を聞くのだろう
こころも建物も揺れる
それでも逆らえないものに納得させる
日々の形をこしらえていくのだろう
それでもあがなうわたしでいてほしいと…
どんな一日をさがすのだろう
どんな私がいるのだろう

※今年も下手のよこ好きで「詩」を書いていきたいと思います。気持ちがぴったりと表現できればと思っているが、言葉がすくないせいで表現できな!ではなく、今の私の言葉で状況を伝えていけたらいいのではないかと考えています。



 ◎コース:陣馬高原~明王峠~景信山~小仏~城山~高尾(稲荷山コース)
  時間;午前8時~午後4時(休憩1時間)

 今年の最初の山歩きにいってきました。
 この日の天気は曇り空。雨でなかったのはよかったのです。その分、温かい一日でした。
 登山者は天気がいまちょっということめずらしくで少なくて静かな山歩きができました。
 山道は所々が霜柱が溶けてぬかるんで歩きずらいところもありましたが、この時期は仕方のないことだと思います。
 雪も上のほうはちょっと積もっていましたよ。


残念でした……曇りで富士山がよくみえません。天候のせいにしても仕方がないのですが、できれば、よく晴れた冬の朝はもっときれいです。


登山道は足をとられるほどのぬかるんだ道も所々ありますのでころばぬよう注意が必要です。ズボンや靴が泥だらけになるので工夫が必要です。スパッツなど足もとにつけるといいのです。1月~3月ごとまでの高尾の登山道は、ころばないように注意がひつようです。



こんなにすいている高尾山口はめずらしいです。いつもは超満員です。
おかげで名物「高尾まんじゅう」もありました。



「高尾まんじゅう」……シンプルでやさしい甘さがいいです。
毎年、山歩きするたびに買い求めて帰ってくるのですが、昨年はほとんど「ソールドアウト」でした。家族もみんな好きでおいしいです。値段も安いしいいです。おすすめの一品です。いつも、年始に「お箸」もいただいているのですが、今年はありませんでした。



 
 2014年をむかえてみれば、昨年よりはいい正月だと思っている。なんせ、昨年は妻が入院していたのだから。それを思えばずっとましな新年だった。
 思えば長い正月休みと思っていたら、終わってしまえば短いとわがままが顔を出す。どこまでいっても、できないことに悔やんでは「もうちょっと…」がる。もうちょっと自分のわがままが通ればできるのか…?、といえばできるかもしれないが、まあいいものは無理かもしれない。

 そんなとき水戸黄門の主題歌を思います。「……人生楽ありゃ苦もあるさ……」いう歌詞だ。なにをするにも本当にいいもの、納得するものをつくろうとすれば「苦」はつきまとうだろうと思う。そしてできないと「もうちょっと…」というわがままが顔を出し反省が繰り返される。その連続が人生なんだろうと思う。今年もそんな繰り返しを何度もあって送っていくのだろうと、年の初めに思う。

 また、誰かが笑える日々をつくるには、いっぽうで誰かが苦労しているのが世の常だと思える。それが、自分が許せる範囲ならちょっと苦笑いで終わる。
 しかし、理不尽でだれがみても自分におかしいと思えるとやりきれない。かといって、どうしようもできないことがある。例えば政治。憲法問題、原発問題、TPP問題など……。
 自分ひとりではどうしようもないことだ。世論がつくりあげてしまったこと。今年はそんなことがきっと多く顔を出す年になるだろうと思う。

 考えてみれば、世論であれ、一人ひとりの判断の結果だから仕方がない。しかし、そんななかかで笑っているというより「ほくそえんでいる…」人たちはいる。最後は、自分がどちらの側にいるのかが、生き方を大きく変わる。
 私は、少なくとも「ほくそえんでいる」側にはいたくないと思う。
 
 「終わってみれば短い休みだった」とわがままを言いつつ、2014年がはじまる。どんな年にするかは……、自分と自分の周りの人たちとの関係で決まるのだろう。そんなことを思うと、いろいろな人にめぐり合う中、少しでも納得できる日々を送っていきたいと思う。なんせ、もうふりかえるほどの余裕がある年齢じゃないのだから……ね。

 日曜の朝、新聞を読んでいたら「本音のコラム」(東京1月5日)におもしろいことが書いてありました。
 「……五十代を半ばを過ぎると、人生の残りの時間を考えるようになる。また、人生の幸福と地位や役職などの外形は必ずしも関係ないこと。幸福とは内なるものであることを実感するようになる」」(山口二郎)
 フムフム……そうだなあ、と思う。まだまだ、莫大なローンをかかえて、職場では上司になんだかんだといわれても、自分の膨大な人生のほんの一部分だろう。これで考えることが変わるほど若くないし……ね。まあ、自分流に考える年齢だということなのだろう。

 思えばいろいろと悔しいことや楽しいことが繰りかえされる一年が始まったということでしょう。できるだけ、楽しく、笑いの多い日々をつくっていきたいいものです。それには、ちょっと工夫をする日々が大事です。そんな工夫を今年も更新していけたらと思います。

 今年もできる範囲で更新していきます。焦らす、怒らず、おごらずで一年がんばっていきます。投稿もお待ちしています。
 では、皆さんもいい年にするように頑張ってください。
*読んでくださった方、ありがとうございました。


 

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