こんにちは……
春はすこしずつ新緑の季節がやてきました。先週、友だちといった花見が今年初めてで最後の花見になりました。
通勤途中、つばめが元気に空を飛ぶようすをみるこのごろです。軒下ではどろを集めた巣づくりがはじまっていました。
それから、日の出がはやくなり仕事にいく平日、お天気がいい日は気落ちのいい朝がみられる季節にもなってきました。
さて、今週はどんなことがあったでしょうか。季節は春になり、楽しそうな、うれしそうな日々がもどってきましたが、世の中はなにかきなくさい動きがあるように思えます。
その一つに「消費税8%」がありました。消費税が導入されてなんにつけ高く感じる日々です。これも、世界的にみたら安い方なのだとききます。
ここはじっとガマンするしかにのでしょうか。これも、誰にでもくる高齢を保障す仕組みだと思えば仕方がないかと思います。本当にそうあってほしいもです。
◎59地方議会が集団的自衛権の行使を認める解釈改憲に反対する(7日/493)
「特定秘密保護法案」が成立し、さらには自衛隊の集団的自衛権を行使させるために、自民党の憲法を変えようとしている動きに反対している、ということなのだとう思います。
安倍政権はぞくにいうヤカハ派の動きが日々目立っているように思えます。一方で労働者には「賃金あげろ」というアメを与えては、憲法を変えようとしているニュースが日々、耳にはってきます。また、18歳から国民投票に参加かさせようという動きもありました。本当に憲法の教育を教えているのなら、18歳でもいいと思うのですがこれは危険だろうと思います。また、民法上おおくの課題があがっていてまだまだ、現実的にはなっていませんが。
一方では「憲法9条をノーベル賞に」ろいう動きもありました。
これは賛成です。武力を使わない戦争放棄をうたった9条は大切な一文であると思います。日本は原爆を世界ではじめて使われた国として、恒久平和をめざす憲法だと思います。
集団的自衛権を強化するということは、即武器使用を認める、ということだと思います。さらには、より優秀な武器が必要、となれば「武器輸出」がでてきて、さらには「非核三原則」も登場してくる法律です。
最近、確かに中国の「脅威」など外部からの圧力はよくいわれています。しかし、それが私たちの生活になんの関係があるのかは不明な点が多い。それより、大事なのは浦和レッズのヘイトスピーチともいえる差別的横断幕や四国遍路の書き込みなどのほうがますます心配な事実です。外からより、内側から戦争をあおるような出来事がやつぎばやに起きていることに不安を覚えますが……。どうでしょうか。
戦争は外からの攻撃よりはじまるのではなく、内部でのできごとから始まるような気がします。おおげさかもしれませんが徴兵制も登場するかもしれない風潮ができることのほうが、なにより怖いと思います。
消費税8%で予算がふえるやいなや、これは考えすぎでしょうか。
◎みんなの党の代表が辞任で政治は野党はどこにいる(8日/497)
みんなの党の渡辺喜美代が企業から多額の借りいれで「お金と政治」の疑惑が追及され説明できず「辞任」ということでしょう。
猪瀬東京都知事は議員辞職したが、こちらの国会議員は辞職しない。したたかというか、これが国会議員の本質というか、やめられない理由がまだあるのだろう。いずれにせよ、野党としての責任もあるわけで政治家として議員辞職もあっていいと思いました。
今、日本の野党政党はいったいどこで何をしているのだろうか…と思うことがある。以前は「反対」から集会、デモなどをして野党の存在を市民のまえに表明しがんばっていた。いまは、何をやっているのか。
あげくの果てにこの事態。
あきれてしまいました。だいたい、与党と野党という政治の形は大事な民主主義の形であると思います。与党がすべていいことをやっているわけではありません。与党(自民党・公明党)をえらんだ人のために政治がすすんでいるにすぎないのです。それが、いいと思っている人が正しいということではありません。
一方、野党。野党(民主・共産・社民・みんな等)の支持者のために政治をやっている。与党の提出する法案がどれだけ野党を支持する人たちが納得するか調整をする役目があります。反対の質問もします。いいところは、野党の意見もいれてもらって法案ができます……という流れが国会でしょう。
それが、最近きかない。
「特定秘密保護法案」は強行採決され、「憲法改正」もやろうとしている。そこでの野党の存在がますます大事になってくる昨今です。それが、このありさまでは、先が思いやられます。
安倍政権はこれまでの自民党の保守政権とはちょっと違うような思える。ないがどう違うのか、ちょっと不勉強でいえないが、明らかにこれまでの保守の政治は野党と野次のなかどうにか法案をつくってきたようにみえた。しかし、安倍政権は野党の存在を無視しているか(力がないのか)進んでいるように見える。それが、ことこまかく教育現場や労働現場にアメとムチをうまくやっているように思えるだが……。
※「戦後保守政治の軌跡」岩波書店を読んでみようと思う。
◎ウインドウXPの憂鬱(8日/496)
米マイクロソフトのOSソフトのウインドウズXPのサポートが9日で終わった。これでなにが大変なのかというと、ウイルスや不正アクセスが多くなる…という。ウイルスが侵入するとパソコンが病気になったようになる。ということは、今までのデータが消えたり、使えなくなるということだろう。
パソコンが誕生した段階で、ウイルスはいつもついてきた。不正アクセスも簡単にはいることができるほど技術が高くなってきた。簡単にいえば、どちらも追いかけ、追い抜きの関係にあって今にいたっているようだ。
これを商売にすれば、永遠に利益をあげることをつくったビル・ゲイツは天才で億万長者といわるのもわかる。
さらに、頭をいためることは、新しいOSをいれると、今までのソフトで認識しなくなって、動かなくなるのもある。結局、新しいOSと新バージョンのソフトを購入するしかなくなるという構図。
私のパソコンも携帯電話でいえば「ガラ携」で更新などない。それでも、どうにか動いている状態である。また、パソコンメーカーをもうけさせるために働くなくていけないのかと思う。
便利は危険。危険を回避するためにはお金がかかるリスクを負う。
これかは、ウインドウズでもなくアップルでもなく、独自に動くOSが広く一般に普及する時代がくるかもしれない。初めは安く、だんだん高くなってもそれを使わなくていけなくなる構図ができる時代がまたくるかもしれない。
現在のパソコンも壊れるまで使おうかな、と考えていたがウイルスや不正アクセスのことを考えると変えなくなってくるのは時間の問題なのかもしれない。頭のいたい話しだ。
◎原発回帰のエネルギー基本計画(12日/502-503)
原発再稼働の道筋を明記したエネルゴー基本計画が閣議決定された。
原発事故がまだ修復していないなか、それでも原発は稼働します…と。
あろうことか、地震もあるのに、それでもそんな事実はなかったように、まさに催眠術にかけられたように「再稼働」をするっていったいどうなっているんだと思う。
これまで安倍政権が原発誘致計画でトップセールスを繰り返したきたことが日本の国内ぬむいたということだろう。
避難計画もまだまだ不十分。それでも稼働をするということは、未来を考えた政治だとは思えない。、まさに、「今がよければ」の世界観。
福島第一原発事故によってどれだけの人間が故郷を失い、これからも放射能の恐怖におびえながら生きていく人たちをないがしろにした政治。これは政治じゃない。だれのために政治。それは、原発事故がまた起きたら逃げられることができるための政治だな…と思う。まあ、お金持ちというところ。
それが、昔風にいえばブルジョワ階級の特権といういえるのだろうか。一方、オウロレタアートは逃げず、救われずの構図が浮かび上がってくる。
これが今の安倍政治の本当の姿なのかな…と思う。
エネルギー政策はきこえはいいが、やっていることは、なんの反省もない政治。議員数という数をまるですべてを許される免罪符のようにふりかざした政治がとうとうあらわれた、ということだろう。
誰が、何のためにそうさせるのかジャーナリストの役目は大きい。
最近、「日本奥地紀行」イザベラ・バード(平凡社)を読んだ。1978年(明治11年)5月から12月まで横浜から北海道を旅行した記録である。
蚊と雨に悩まされならの旅でったようだ。道々、あった日本人を観察してみれば当時は汚くて、臭くて、頭にはしらみがいっぱいの日本人の姿には辟易していたらしい。そのなかでも、行くところの風景には感動したようだ。世界一きれいな情景を何度も連発するくらいきれいな風景だったのだろう。
さらに雨で足止めで滞在がながくなると、どうしても旅先の人たちとのかかわりもでてくる。そのなかでは、日本人ほど子どもを大事にする民族はいないだろうと感心している。
昔の日本はのんびりしていて、貧しいなりに子どもは親たちと一緒にすむ形を大事にしていたようだ。親は子を愛し、子どもは親を尊敬していたのだろう。そのなかで、風景もその暮らしをみるたびに「ブラボー」だったにちがいないと思う。
人のいる風景はその土地をみる尺度にもなるようだ。子どもが元気に飛びまわって遊んでいる光景はほほえましい。けんかもすれだろうし、泣き虫の子どももいることだろう。それでも、追いかけては一緒に遊ぶことが大事なことだと思う。
ぼくが35年ほどまえ、東京に来たとき驚いたのは子どもの姿は見えなかったことだった。いったいどこで遊んでいるのだろうか?と不思議に思ったくらいであった。勉強ばかりしているのだろうか、とも思った。だから、当初、学校でみかける子どもはどこで遊んでいるのだろうかとさえ思った。
周りを見渡せば、遊ぶべき空き地がないことに気がついた。どこを見てもビルや商店ばかりだった。
下町や郊外にいってみると、子どもたちはそれなりに空き地を見つけては遊んでいた。
人が息をぬくところが必要だと思う。
それがどんなに狭くても、汚くても大事な空間であるに違いない。そう思うと自分の大事な空間はいったいどこだろうかと考えた一枚だった。
最近、人事異動を人たちの「歓送迎会」があった。
出る人……来る人、それぞれの思いはあったに違いない。まして、50代での異動はきつだろうと思っていた。50代ともなれば、できれば経営者でない限り、なれた仕事を満遍なくこなして日々を送っていきたいと思う。
感想を聞いてみれば「本社より通勤は楽になったが、覚えることがいっぱいある…ので今は大変」といっていた。でも時期なれるだろうととも……。
ぼくにとっては他人事ではないような話しである。なぜなら、5月いっぱいでぼくも異動するはずである……。これも、会社と労働組合の協定できまっていることであり、仕方のないことだと思う。
正直なところ、このこの年であわててもどうにもなることでもないだろうと開き直っている。ほとんどの人間関係は経験して、それなりに自分の仕事の段取りはできている。あとは、そこでいったい何ができるかだけだろうと思う。
環境に合わせるのは簡単でも、そこで自分にしかできない仕事の形をつくるのはまたひとくふうが必要になってくつのだろう。
ぼくは、ぼくなりの仕事のしごとを工夫して定年まで、もうひとふんばりするしかないのだろう。健康に充分注意して……ね。
今年は花見もできたし、さらには春らしいことも聞けた。
やっぱり春はいいね……と思えたこれまでだった。さて、これからどうなるのか。また、始まるんだという思いでいる。
それにしても、原発再稼働のニュースにはあきれしまった。
日本人は忘れっぽいいうけど、これほどとは思わなかった。それも仕組まれたのか、本心なのか……。
連休も近づいている。やっと温かくなってきた。また、山歩きをはじめよう。
それではまた来週。
*読んでくださった方、ありがとうございました。
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