こんにちは。
とうとう5月も終わりです。「緊急事態宣言」も再延長になっていました。ダラダラとつづく宣言です。少しも感染が減少しない状況では仕方がないのでしょうか。なかなか収束しそうにもありません・・・これが現実なのでしょうか。
季節は、梅雨にむかっているようです。街路地にはアジサイの花をみられる日になってきました。毎日、空を眺める日がやってきたようです。
それにしてもなかなかコロナ感染者は減りませんね。こうなってくると、「明日はわが身」と、ふと考えてしまうのではないのでしょうか。見えない、匂わない、なんとも怖いものです。唯一、わかっていることは大勢の人の中にはできるだけ避けるということぐらいでしょうか。マスクはもちろんできるだけ清潔にすることぐらいしか身を守る手段がないというのは、さすがに頼りない日々でもあるのでしょうか。ワクチン接種といっても、はるか先にあるいは霧の中を歩いているような状況には変わりません。
コロナ感染は猛威をふるっている。またしても政府によって「緊急事態宣言」が再延長された。これまでの感染よりより強力なウイルスがあるようだ。政府はワクチン接種の拡大をしようと奮闘しているがなかなかワクチン接種が進まない状況だからだろう。事実、日本のワクチン接種は、これまで報告によると最低な基準になっている。ウイルス感染にワクチンが追い付かない状況になっているのが現実なのだろう。
当然、こんな状況では「東京五輪・パラリンピック」も中止と思いが出てくるのも当然だろう。事実、アンケートなどでも「中止・延期」の選択肢が「開催」を上回っている報道がめにつく。朝日新聞などは「中止」を言い始めていた。
シンプルに考えて、人の移動によって飛沫をまきちらし、さらには目に見えないウイルスである。どこでどんな形で感染するか分からない。分かっているのは、人の移動によってウイルスが運ばれるということだ。ということは、たくさんの五輪などのイベントこそ「自粛」「不要不急」の部類にはいっていくのではないかと思える。
昔、東京五輪が行われた1960年代。私は子どもだった。東京で五輪が騒がれていたのだろうか、田舎にいる私の気持ちはそれほど騒がしい気がしなかった。オリンピックはテレビで見るくらいであった。だから遠いところの存在であった。
テレビでみているくらいでならウイルスは感染しないだろう。
ほとんど感染するとしたら東京に住む人たちがほとんどだろうし、近郊のイベント会場も含め、会場に近辺なのだろう。
今、東京に住むほとんどは、おそらく地方出身者。東京で知らないうちに感染し、自覚症状のない人が地方に帰るたびに、新しい感染者をつくる・・・、という現実が起きてくるのだろう。
そう考えると、今回の東京五輪は開催中はいいが、終わってからがいちばん怖いのかもしれない。
こんないたちごっこ状態になる、コロナ感染を考えれば、2~3週間の五輪によってさらなる感染拡大は起きると思えるのが当然。
最近、多摩地域の市議会委議員の人たちによって「五輪中止」の要請書を首相と都知事に送ったいう。なんと返答が返ってくるのだろうか。
開催を強行して、感染拡大が起きたら誰が責任をとってくれるのだろうか。ワクチン接種でこんな低いなかで本当にやる気がしれない。なんにつけ、責任をだれもとらない時代。いったい何のために政治家になったのだろうか、と思う。
▲陣馬高原下(午前8時)たくさんのマスク姿の人がいました。
▲この時期、緑が美しく感じられる季節。
▲陣馬高原頂上。頂上のお店の閉店していました。
▲陣馬高直下(午前10時すぎ)緑のまぶしい瞬間です!!。
▲陣馬高から景信へ(午前10時すぎ)天気も良好。
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昨年から始まった新型コロナ感染によって、「今年も無理かなー」と思っていました。これから梅雨にはいりますます難しくなるといく機会もなくなっていくのでしょうと思っていました。今回はそんな「不安」もありましたが、そんなことをふっきっての久しぶりの山歩きでした。コースは毎度おなじみの陣馬高原から景信、さらには小仏に降りるコース。天気は快晴。結果的に天気もよくなり、よかったと思います。
いちばん印象に残ったことは「コロナ禍」で「自粛」してあまり人がいないのかなと思っていたのですが、いつもと変わらないほどのにぎわいでした。ただ違うのは、それぞれマスクを着けてのいたことでした。
そしていちばん怖かったのは、山の中ではなくバスの中? でした。それは、通常と同じような人がいるということはバスの中は満員状態になるはずです。中央線の通勤状態になるのか・・・と思いきや、臨時バスも出た結果、混雑は避けられました。
ところがです。
これは乗客のみんさんも私と同じで久しぶりの山歩きなのでしょう。楽しくしたいのは当たり前です。バスの中は、会話あり、笑いあり・・・おしゃべりがたくさん聴こえてきました。一方で「感染は飛沫によって」と頭に浮かんだ瞬間からこれはまずい・・・と思いつつ「恐怖」も感じていました。
今日の山歩きでいちばん恐怖を感じた時間でもありました。
人が山に入ってしまえば、自然のなかでは豆粒のようの小ささなのですが、バスの中では「密状態」です。「大丈夫かなー、大丈夫かな!」と思いながら時間でした。
「不要不急」が叫ばれる世の中になっています。
とはいえ、こんな毎日では息苦しい日々になってしまうのでしょう。時には、混雑をさけながら、自然のなかの空気を吸う時間が必要だと思います。汗もかきながら体を動かすことが大事だと思いました。
今回はブランクもあったせいか、年をとったせいか大変疲れた山歩きになりました。次回はいつになるのか・・・わからない。
【追記】
久しぶりの山歩き。梅雨空を気にしながらでした。登山口に着くころは天気がよくなり、暑さはこれまでになかった暑さので体中に汗まみれの状態での山歩きでした。
それでも頂上に着くと、風がここちよく、これまでの苦労が吹き飛んでいきます。
さて、休憩のあいだの軽食をと思いパンに手にやった瞬間「大丈夫かな?」という不安がよみがえりました。携帯消毒スプレーを手にかけて食べたわけですがあまりうまく感じることができなかったと思います。
昼食のときもその気持ちは消えませんでした。コロナ禍のなかの山歩きのリスクということになるのでしょうか。
ちょうど今夏の五輪代表選手もそんな気持ちなのでしょうか。コロナウイルス感染対策は完璧と言われていても疑心暗鬼のなかのスポーツとなっているのでしょうか。
勝負に勝ってコロナに負けては命とりでしょう。本来は、スポーツは楽しいはずなのです。もちろん山歩きも楽しいはずなのです。その楽しさを根底で不安にしているのは何なのでしょうか。コロナでしょうか。
私は、コロナウイルスよりもその対応があまりにも不安定であることが一番だと思えました。山歩きの中、楽しくなるはずのものが、それをつくる態勢がまりにも不安定の中でいきていることが一番の原因なのだと思えました。
「不要不急」っていうのは、誰にとってということをいつも考える必要があるのでしょう。政治では今夏の東京五輪と国民の生命をバーターにしているようなところが見えます。なにか「国策」としての五輪にも思えてしまいます。「復興の証としての五輪」とか「絆を取り戻す」という抽象的な言葉に惑わされず今後を見極めていかなければならないでしょうか。
久しぶりの山歩きを実行して思うのは、本当に楽しく歩ける日が来ればいいと思います。現段階では、誰も誘ってところで気持ちよく返事が返ってくる時期ではないようです。ただでさえ、飲食店の休業は続き、安心して飲める時間もないのです。政治は「緊急事態宣言」を連発するするうちに、人はいやけを出してあきらめムードになってくるのを期待しているのでしょうか。
そして来月からはアルバイトの身分で働きはじめます。アルバイトですから「責任」は問われません。ただ、自分の仕事だけはちゃんとやらないと、と思います。お客も再雇用で、それを仕事にしているところもアルバイト・・・。なんか世の中正社員という身分は何をしているのでかな、とも思います。おそらく、安全弁としての人として考えているのではないのでしょうかね。
それでは今週はこの辺で失礼します。
読んでくれた人、ありがとうございました。