こんにちは。
今日は連休のまっさいちゅうです。新緑が気持ちのいい季節になってきました。 天気がよいことはいのですが、緊急事態宣言下であることが気がかりなところです。さらには、コロナ感染が減る傾向にないとうこともあります。市内のお祭りも昨年同様に中止が告げられていました。ことごとく身近な楽しみも消えていく連休中のできごとです。そんな中で「神頼み」になるのも不思議なことではないのかもしれません。近所の神社にはけっこうな人がいました。最近では、こころ落ち着ける場所を探しているような連休の半ばでもあうるようにも思えます。
さて、どんな連休を送っているのでしょうか。
私も高齢になりました。
4月も終わりごろ、市から接種予約の通知がきていました。日本のワクチン接種の順番は医療関係者から高齢者への順番で接種するそうです。東京五輪も100日を切っている状況の中で、少しはあわてる必要があるのでしょうか。
ところが、現段階では、ワクチンの数も接種する場所も少ないようです。
さっそく、平日に電話をしてみたところ9時過ぎでもなかなかつながらない状況でした。30分間、家族にも手伝ってもらって固定電話と携帯からもかけてみたのですが「混雑している」状況でつながりませんでした。
あきらめて、散歩から帰ってきて午後またかけてみたところ、つながりはしたのですが「今日の受け付けは終了」とのことでした。これでは、本当にワクチンが接種できるのはいつになることやら・・・と思いが残りました。
そんなこんなで「いったい世の中の接種状況」を新聞などで読んでみたら同じよう状況のようです。新聞の投稿にも「回線が混雑しておりますのでしばらくお待ちください」のコールが多かったようです。ちなみに、都内の65歳以上の人口は311万人。そして、ワクチンが全員に届くのは6月末頃だともいわれている。
とはいえ、コロナウイルスもワクチンよりもはるかに早く、変異していっています。新しいウイルスが人々の体に侵入し、あたらしい形に変わって生きる場所をつくっていくようです。環境に合わせてかわっていく変異ウイルスもまた、生き物だということを思います。ワクチンが先かウイルスが先か・・・。時間との関係もあるのだと思います。こんな状況なのだから、東京五輪開催に医療関係者を派遣するのも大変な状況なのだと思います。だから、いっそ中止にして、コロナに対応することに専念してほしと思います。
これで本当に、ワクチンが接種できるか・・・と思うのが正直なところです。こんな思いがあるのは、一年経ても、コロナ対策と東京五輪もうまくいっていない状況は少しもかわっていないようです。
月日は流れて・・・。今月とうとう「65歳再雇用」が終了しました。普通であれば、これで年金生活になるのですが、私、貧しくさらに編集の引き継ぎ者がいまだに決まっておらず、「3ヵ月間期間契約者」になりました。そして、私のやるこ仕事はこれまでの仕事と引き継ぎ者(誰?)に仕事を覚えていただくことになりました。
とはいえ、「3ヵ月間」とは口頭で話し合ってのことですが、その契約書がいまだ見ておりません。ただ、定期券の購入金は振り込まれていました。
おそらく、連休明けに契約書を見ることになるのでしょうが、なんともアバウトな仕事をしているとも思います。それでも、仕事がこれまで通りできることはありがたいことだと思います。職場を見わたせばいつのまにか、みんな若者ばかりでした。機械も新しくなったものもあり、これまで通りのものもありました。私は新しいものには関係なく働くことになるのでしょうか。
まあ、遊んでいるよりはいいか・・・くらいの気持ちですが。少しずつ働けなくなる体もある中で、どうにかできたらと思います。
今年の連休も「不要不急」「自粛」の連休が昨年同様に続いていますね。
どこいくにもマスクをして・・・手洗い、消毒などが生活の習慣になってきました。そんなことを考えていると、ますます人間の体だ弱体化しているように思えます。あまりにも体をきれいすぎて、逆にウイルスに対応することに弱くなっていくような気がします。「インドでは一日感染者が30万人を超える」というニュースには驚いてしまいます。30万人といえば、一つの市全部が感染状況というところです。日本でもインドほどではないにしても、減らない状況は同じだなと思います。
そんなかで、慣れもあるでしょうか。人の流れは少なくなっていないということもわかるような気がします。横浜港から出港した「飛鳥Ⅱ」というクルーズ船から感染者が一人出たそうで、即刻、運行は中止になったそうである。渋谷の人の混雑も、クルーズ船も同じようなものでしょうか。「緊急事態宣言」の出ている中でも、こんな状況には驚きでもあります。いったい何が足りなのでしょうか?。
なにか、なんでも「しりつぼみ」状態になっている。時代的には「時代閉塞」ともいえるのではないのでしょうか。都知事が首相が新型コロナ対策にいろいろと苦労していることはわかっているのですが、それなら、本腰をいれて「東京五輪」を云々している時ではないということをもっと深刻に受け止めて欲しい気がしますが・・・。
またしても、宮城沖で震度5の地震があり、静岡では竜巻があり・・・被害のニュースがありました。自然の猛威は止められない。
人間社会ではコロナ感染。日々、コロナ変異が世界中に感染を広げていく。人類は年々のしかかってくる、まさに地球は病気で瀕死の状態のようにも見える。
そんななか、2年目のコロナ禍の連休である。今年は、昨年より元気がない。慣れるより、疲れた高齢者というところだろうか。もう、跳ね返す気力などなくなっているようになっている。昨年は、毎日、近所の都霊園を散策していたように思う。
少しずつ、遠出もできない感情(自粛・不要不急)が現実味を帯びてくるようななったのは事実だろう。この更新も、ちょっと元気がなくなってきたようにも思う。
それでも、家族がいてどうにか、何かを見つけ、考え、一歩でも歩くことや行動することが大切なのでしょうか。
今年は憲法施行74周年だそうだ。コロナ禍のなか、憲法はいったいどんな力を発揮しているのだろうか。いま一度、国の屋台骨でもある憲法というものを読んでみることが大事な時期になっているようにも思えます。こと、日本では憲法や労働法は深く教えてくれる教育方針ではないのが現実です。自力で勉強して社会と向き合わない限り、生かせないのが現実です。「平和」といえでも、ただあるわけではなく、それを守ろうとする人がいるからどうにかこうにか守られているのだと思います。そんな広告が3日付の各新聞の意見広告が訴えているように思えます。
年々、季節を感じさせる祭りや行事が消えていくことに寂しさを覚える連休です。それでも新緑の季節になっています。人に希望をあたえるものが減っていくなかにあるようです。それでも、一ずつ探していくことが大切な時期なのでしょうか。これまでは、周りの励ましてくれていたような景色が記憶に残しつつ行くしかないようにも思えます。
連休中は、近所の公園や(写真上)や多摩川散歩で終わりそうです。それもこれも、コロナ禍によってでしょうか。そんなこともあるよと思いながら、また始まるのでしょうか。やれることといったらこんなことくらいです。それでも、感染するときは感染するのでしょうね。それが、いつ、どこでかはわかりません。ただ、言えるのは出来るだけ感染しないような対応をしておくことでしょう。
連休明けにワクチン接種の予約をする電話を始めようと思います。
【おまけ】
連休が始まったと思いきや、とうとう最終日になりました。今日は「子どもの日」になりました。子どもの日に思いだすことは、子どものころ利根川と江戸川の合流するところまで自転車でいく途中で、土手で大凧上げの祭りをしていました。
調べてみると、埼玉県春日部市西宝珠花の「大凧揚げ祭り」(江戸川河川敷)というようです。今年はどうだったのでしょうか。なつかしいです。
高尾山いも行きたかったのですが、やはりコロナでじっとがまんしています。
また、時間をかけてゆっくり歩ける日がくるといいのですが。ニュースなどをみると、高尾山は混んでいたようです。みなさん、それぞれコロナ感染に注意しているようです。それでも、やはり不安でしょう。山を満喫するのはむずかしいところでしょう。
はやく、コロナを気にせず歩けるようになるといいですね。
さーてまたボヤキの日々です。ワクチンもあるだろうし、アルバイト更新もあるだろうし・・・。老体にはちょっときついですわ。
では今週はこの辺で失礼します。連休はいかがでしたか。
通常なら、私の年齢なら、「毎日がサンデー」なのですがね・・・。
読んでくれた人、ありがとうございました。