日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

10連休の後に、なにがありましたか・・・。

2019年05月05日 | Weblog

 こんにちは・・・。

  連休もいよいよ今日をいれて残り2日になりました。どんな連休になったのでしょうか。

  連休の間、天皇の退位、即位式とあり、さらにはメーデー、憲法記念日など5月は関係者にとっては休みといったところではなかったかもしれません。「平成」が終わり「令和」ということもありました。取り立ててどうということではありませんが、改元するということは、一時代が終わったとような感じを持たせます(実際はこれまでの日々の延長戦上なのですが・・・)。ということもあって、憲法集会では、安倍首相が「憲法改正」を強く主張もしていました。いったい今後はどうなっていくのでしょうか。まあ、これまでの政治のやり方を見るにつれ、不安ばかりつのります。

 また、10連休によって「働くのが好きな日本人」にとってはお祝いしている場合じゃないこともあったようです。病院が休みに入る前に大変混雑したことや、休まず仕事のなっている人は、子どもを保育園にあずけたいが休みであったとかありました。さらに深刻だったのは、日雇いで働く人たちは収入が減ってしまって生活がより苦しくなるともいわれていました。そんな中で10連休は始まりましたが、身近なところではどうだったでしょうかね。一方で、天皇が即位の仕方が前回とちがう方法であったのはよかったような気がしました。昭和天皇が崩御したときは、毎日が落ち着かず。暗い日々が一週間ほど続いた感じがしました。これからは、生前引退もあってよいのでは思います。ただ。テレビが朝から晩までその放送ばかりには疲れました。実際、10連休を満喫できた人はひとにぎりの「セレブな人たち」くらではないかと思いますが・・・。

 そんな日々が続きましたが・・・。どうでしたでしょうか。

「五月の空に」(とある都立霊園を歩いていて思う)

「改元」という儀式があった。

休みのなかに組みこまれた一つの時代終わりとはじまりだ

「平和」ということが多く聞かれた日々でもあった

「オメデトウ」「二つのお正月のようだ」とか新しい時代に感動があったという・・・

ぼくにとっては いのちのちぢむ時代がはじまっていくだけなのだろう

これまでにいくつもの歴史が繰りかえされてきたことを思った

夢でもなく現実の中にある「平和」である

老いを受け入れはじまる明日である 

誰でもが自分の寿命をいつでも誰かのきっかけで生きていく

それがときの為政者からの「平成」という言葉から「令和」になった

夢をかなえる時代になる人もあれば静かに去って行く人も逝く

これまでを忘れぬように、明日が始まるだけである


 
【「そこに山があるから」なんて言えないけど!山を歩くということ】
 いつごろからだろうか、山に行くことがすきになったのは・・・。「こんなめんどうくさい、疲れる、うっかりするとケガまでするのに」と思いながらも出かけていくようになったは、20代のころだっただろうか。入社してまもなく一部の人たちのあいだで山登りをするブームがあったようだ。今でいう「マイブーム」ということだろう。「〇〇へ行ってきた」という話を聞いいていた。ある日、職場に学生時代山岳部だった人がいた。「もう行かない」ということで、これまで使っていた道具を頂いたのだった。ザック、シュラフ、手袋(冬用)、ダウンジャケットなど、今もときどき使っているものがあるくらい高価なものだった。昔の人は物を大切にするからだろうか、それとも山岳部という本格的なところにいた人だったからであろうか、しっかりしたものが多かったように思える

 そのころ、ぼくも同じ年代の人たちと少しずつ山登りをするようになった。丹沢、奥多摩、秩父。遠くでは谷川岳地と少しずつ遠出もするようになった。独身時代ということもあって、自由気ままに集まっては楽しむようになった。20代は疲れを知らぬ時代でもあったようだ。奥多摩では遭難しそうになったこともあった。暗くなって、やっと林道にたどりついたこともあった。雨の中体を冷やし動けなくなったこともあった。それでも若さだろうか歩き続けた思いでもある。山歩きはぼくたちの間では熱に罹った「マイブーム」であったのだろう。30代から40代は少しずつ遠のいていった。仕事の内容も変わり、これまでいた先輩も辞めていき、ぼくらが職場の中心になるにつれ、休日は家庭サービスや休養日になることが多くなった。とうとう、年1回ぐらいになっていった。通常こんな感じで終わっていくのだろうかと思う。

 さて50代から60代になってから今度は、若い人たちを誘って行くようになった。一緒に歩く山は、自分が若がえったような気がしたのはよかった。若い人の元気な姿は、薬を飲んで治療しているよりもよほどいい薬になるのではないか思えた。そんな中、同年代の人たちは、入院をしたり、亡くなったりと一緒にいけなくなってきた。とうとう、いまでは単独でいくことが多くなった。そうすると、前よりもまして慎重に丁寧に山歩きをするようになった。
 
 まわりを見わたせば、ぼくの20代のころとはぜんぜん違う人たちの山姿の人たちを見るようになった。これが「山ガール」なのだろう。道具も開発が進んで軽くなり、着るものもカラフルになりオシャレな人たちをみかけることもある。頂上でときどき、ゆっくり休んでいると同年輩らしい人と話すことがある。なぜだろうか、最後は自慢話で終わってしまうことが多い。本当は、自分にとっての山の魅力みたいなことを聞きたいと思う。自分の歩いてきた山道をとことん誉めるような話ができるだろうか・・・。森のなかにはいって静かな木々に風があたり音をだしたり、小動物がきれいな鳴き声でいたり、春先では小さな花が咲いていたり、と一本の山道にはいろいろなことがある。それを、聞くのも最近の楽しみである。一生つきあえる山を逍遥する日々が年々減っていくなかで少しでも自分の体にあったところを歩いていきたと思う。実際に歩いては「寒い、暑い、疲れた」という後悔もあるのだろう。それでも、下山には「来てよかった」と後悔しないようなものにしたいものである。正直なところ、そう思える下山はなかなかないところでしょうか。それでもまた歩き出すことも大切なころでしょう。

※いつも手元に置きたい山の本は『低山を歩く』『新編・登山読本』横山厚夫(山と渓谷社刊)、『新編・単独行』加藤文太郎(同)です。若い人へのおすすめ本は『氷壁』井上靖(新潮文庫)、『孤高の人・上・下』新田次郎(同)もおすすめです。

 とうとうながい10連休が終わります。いかがでしたか。ゆっくり楽しめましたか。ぼく方はどこへいくでもなく10連休が終わります。連休にはいる前に10日間のスケジュールをつくってみました。そして実行できたのは6割程度でしょうか。「あれもやろう、これもやろう」というスケジュールではなかったのですが、実際に休みになってしまうと、めんどうなものが「明日へ」と遠回しになっていくところが現実だったように思います。そんななかで、唯一頑張れたのが「1日50ページ読書」でした。どこへいくにも、時間をみつけては本を開く・・・という習慣をつくっておきたいと考えてみました。山にいくときも、散歩にいくときもすぐ出せる文庫本をもっていました。大事なことは、「一日の始まりをまずは読書から」という休みのなかで習慣ができればいいかな、とやってみました。気づいたことは、そんなときの本はやっぱり文庫本がいちばんいいですね。暑い単行本は荷物なってしまいがちです。そして図書館で借りた本は汚せませんしね。10連休ボーっとしているとチコちゃんに怒られちゃいますよ。

 もう一つ強いてだせば、2回山歩きにいきました。それも、ほぼ同じところを歩き、2回目のときは距離を伸ばしてみました。さすがに10連休だからでしょうか、登山者がたくさんいました。その分、落し物もたくさんみかけました。地図、タオル、スタッフバッグ、手袋、ボールペンなどでした。おそらく、リュックにちょっとひっかけたり、入れたりしてつもりがこの結果になったのでしょうね。へんなところに思いがいって、これでは財布も落ちていたら最高!と思ってもいましたが、ありませんでした。残念??

 さすがに2回目から帰ったあとは、体の節々がガタガタになっているようでした。こことちよさより痛い日々でした。やっぱり年ですか・・・。

 日々できなかったことをやろうと決意しつつ突入した10連休でしたが、フタをあけたらほぼいつもと変わりませんでした。大事なことは、言うまでもなく、資金と計画性と自分の対応度のようなものが全然たらないことがわかりました。そして、きっと人は、計画しているときがいちばん楽しいのかもしれませんね。おおよそ、計画と同じようにことが運ぶとは思っていないですし、実際はうまくいくことなどあまりないことが、変な自信となって終わります。それでも、少しずつやれることを計画してやらないと楽しくないこともわかります。

 何であれ、計画と実際はちがいます。そんなことを考えるとそのときどれだけそんな自分を許容できるかということでしょうか。

  10連休という、かつてないほどの休みがありました。

 どんな日々を送ってきましたか。ぼくのほうは。スケジュール倒れを反省しつつ明日からはじまる日常を考えていました。いつでもそうであるように、休みが始まる前は楽しくて、始まってしまうと流されて、終わったときに後悔みたいなものが残ります。これまでもそうであったように今回も同じでした。ということは、少しも進歩がないのかなーと思います。これが「現実」なのだろうか・・・と素直に受け入れないければいけないのでしょう。それが、ぼくの人生をつくってきのですからね。

 さて明日から、再雇用の日々がはじまります。5月は「契約更新」の月でもあります。これまで更新のとき考えていたことを少しでも反映してほしいことを盛り込んでくれるようにするだけです。「働き方改革」なんていっても、誰でにでも反映しようなどとは考えていないでしょうから・・ね。

 連休中に二度の山歩きはきついようです。いまでも体の節々が痛みます。一か月に一度がいいペースなのに無理があるようです。少しずつ痛みもとれていくことでしょう。

 さて、今回はこのへんで失礼します。5月が始まったようです。

 連休中に、近所の都立霊園を訪ねてみました。東京ドーム何十個分・・・という説明には驚きながら歩いていました。本当に広いということを感じていました。この霊園にはこれまでに歴史の舞台に登場した人物が多く眠っているそうです。おもいしろいと思ったのは、生きて時代には立場も思想も相反する人々が、結局同じ地面のなかにいるということでした。生きていれば、きっとあいかわらず批判したりしていたのでしょうかね。死んでしまえば同じ穴の中・・・。どうしてこうなってしまうのでしょうかねえ。ある意味、人間は愚かなものはいないのでしょうかね。きっと、生きているときは必死に生きている証(印)を求めていたからでしょうか。まさに平家物語の冒頭にある「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」ということでしょうかね。お疲れさいまでした。

明日から日常が始まります。満員電車に揺られ、またしても他人の背負うデイバッグにこずきまわされ、鼻先にスナホをつきつけられ、痛い視線を浴びて、またしても、愚痴の日々が始まりますかね。365日連休はいつ来るのだろうか思いながらはじまりますか・・・ね。

 今回は「10連休」の連発でした。休めない人のおかげでもあります。もう、こんなことはないでしょうかねえ・・・。あとは「忌引き」のとき。日本人は働くすぎです。働いているときが一番、平常心なのだろうかと思います。休暇のときの使い方をもとうまくできれば、もっと楽しいはずですが。

読んでくれた人、ありがとうございました。