日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

梅雨が関東にも近づきつつあります。

2019年05月19日 | Weblog

 こんにちは。

 今月もあとわずかで終わりです。10連休ということもあって、月日の感覚も早いのかもしれません。1カ月の速さを何でいちばん感じるかといえば、仕事と休日の差で決まっているようなところがあります。休日の多い場合は、1日がはやく感じて、仕事が多いとなかなかすぎていかないような気がします。同年齢の知人にとっては退職して田舎に帰って「365日休日」の人にとっては、さぞかし1年単位の速さがはやく感じられるようです。気がつけば、年をとっていると気がつきます。高齢者にとってどちらがいいのかといえば、仕事をしているときより、自分の好きなことをしているときの方がいいと思いますが・・・。

 休日の一日は週末は予定のないかぎりは多摩川に散歩に行くようにしています。この時期が一年でいちばんいい季節だと思います。足元には花や虫たちが自然の息吹を感じさせてくれていますし、川にめをやれば鳥や魚もたくさんみることもできます。それらを見るたびに自然のサイクルの中に生きている人間という動物なのだなー、と思います。ツバメが巣をつくり始めた家々の軒下を見るにつけ、ことしも始まったような気がします。日本はやはり4月が始まりだという国だなー思います。

「戦争をしないと、どうしようもなくないですか」という議員

 北方領土返還を求めて訪問先での日本維新の会の丸山穂高衆院議員が「戦争をしないとどうしようもなくないですか」発言には唖然としました。政治家は戦争を食止めるためにいるのでしょう。それが、戦争をけしかているような暴言にはあきれます。最悪なのは、これは「表現の自由」といういう。国会では議員辞職勧告決議案提出の動きもあるようです。どうしてこうもでも、おろかな発言をする議員が最近増えているのでしょうか。だいたい、与党の首相自身の発言の「福島の放射能汚染は完全にブロックされている」とか「私や妻が関係していたら総理も国会議員も辞める」も危ういが……。それに準じてすなっているのか国会議員の質が問われ…いるように思います。これにはどろきよいうより、あきれた。「チコちゃんに叱られるよ「。

  最近NHKが変容しているという思い過ごしか・・・

 最近読んだ新聞で番組への投書が「なるほど」と思うものがあった。「チコちゃん叱れる」という番組への投書だった。投書をした人は5月3日(金)「憲法記念日」の日にあった「チコちゃんに叱れる」の放送についてであった。投稿によると、3日(金)の「憲法記念日」の夜放送の「チコちゃんに叱られる」の番組を楽しみにしていたそうだ。「憲法記念日」にちなんでチコちゃんがどんな含蓄を披露してくれるのか楽しみにしてところ、どうでもいいことばかりでガッカリしたという内容だった。これまで記憶しているのは「NHKなら、時事を読んでそれに関係する放送をしては広く国民に世の中のことなどを放送していたはずなのに」・・・と思っていた。ところが、いつからこうも変容してしまったのかがっかりしたと思うのも無理はないだろう。まして受信料+税金を納めている側からみれば、今日のいちばん大事なことくらいはわかってはずだろうなあと思うがどうしたことだろうか。これも、安倍首相への「忖度」だろうなーと思えてしまったのは考えすぎだろうか。

 ちゃんと憲法を世に理解させないと、丸山議員みたいな人が出てくるのではないのだろうかという危惧を覚えた。そう思いませんか。

【いずれは、みんな土の下(都立多磨霊園)】
 散歩を通していろんなところに迷い込むもの。今回は、大きな都立霊園に迷い込んだ午後だった。とにかく広いことには驚く。なんせ、霊園のなかをバスの停留所まであるほどである。一つひとつ見ていくには一日あっても無理だろう。大きな墓石に刻まれた名前をみてまた驚く。名だたる戦犯の人もいる。芸術家や作家もいるとのこと。歴史の中にその名を残した人たちが活躍した時代の様子を、教科書の歴史で習った程度の知識が思いつく。みんなそれぞれ社会のなかで確かに良かれ悪かれ歴史の一シーンをつくった人たちなのだろう。その結果、今があり、僕がその最後の地にたっているという現実をつくってくれた人たちだ。感謝していいのか、うらんでいいのかその人なりをよく理解して立つべきところなのかもしれない。
 
 最近本で読んだ「ゾルゲ」というスパイの墓もあった。ふり返ってみれば、ゾルゲの生きた時代には戦争がほとんどの人の日常だったのではないかと思う。食糧不足、貧困が世界中に蔓えんしていた時代だ。とくに日本は資源不足のために、ほとんどが戦争という覇権争いをしていた。結果として、戦争に負けて落ち着いたときに考えるようだ。戦争のど真ん中にいるときは、勝つことだけを念じていたのかもしれない。なぜななら勝てばどうにかなるという時代だった。そして支配する者と支配されるものが当たり前の時代だった。それをなるねく小さくしたいと思ったのはゾルゲかもしれない。だから、日本が戦争に負けた時にも生きていたら、彼は英雄だったかもしれない・・・。そう思える。ただ、戦争が不利になってきたため、秘密ファイルと生きた証人まで消してしまおうと軍が動いた結果、尾崎秀実もズル下も死刑になっただろうと思う。だから、残念なことにこれまでの死刑の本当のところは現存する資料では解明できないだろう。それでもわずかな現存した資料をみるかぎりで、その人なりを解釈するしかない。そんななか、人びとにとってはお墓は歴史の宝庫なのだと思うえる。
 
 とはいえ、人は寿命によっていずれ土のなかに消える。大事なのは死んで思われるより、本人が生きていた時間どれだけ楽しかった(苦しみの中から)かが大事なのかもしれない。そんな気がした。

 今週、今年の1年間の「再雇用」の契約更新がありました。

 内容は「賃金」に関しては(ここが大事なのですが)は変わらず、最低賃金のままでした。ちがっていたところは休日で、これまで正社員とはほぼ同じようになりました。これからまた、65歳までの年金満額支給年齢まで働くことになります。ぼくが、入社した当時は60歳定年、それからは好きなことをして暮らそうと考えたいたのですが、現実はそうはさせてくれませんでした。まずは政治で年金支給年齢が上がり、それにともなう賃金規定がきまり、最近65歳定年と年金支給は70歳までのばされようとしています。契約時に担当者との話では、今後ますます高齢者の増加があるとのことでした。極端なはなしですが、職場は派遣社員と高齢者の契約社員ばかりの時代も遠い世界の話ではなくなるのでしょうか・・・。事実、ぼくの職場では約4割が外部派遣社員でもあり、ぼくのような高齢者再雇用2割の割合で動いているところです。少子高齢化対策は外国人でつなぎ、あとは年金支給者をいかに減らすかというところが政治家の考えているところなのでしょうか。

 政治はあの手この手で、人件費をやすくしてこの場を乗り切ろうとしているようです。そして、企業の利益をあげようとしています。さらには法人税のなどは上げないようですからますます利益が上がるはずのなのですが、その分配は労働者にはこない政治があるようです。さらには、今年10月には消費税10%にするということです。賃金は抑えられ、削られるなかでの10%消費税は大きな負荷がかかります。これがいま与党のやっている政治なのでしょう。

 その流れの中で「働き方改革」といっています。その中の目玉が「同一労働同一賃金」という政策があります。本当にそうかといえば、現実は違うようです。この政策はとりあえず、賃金には盛りこまず、労働条件(休日、交通費など)が同一になるようです。これも、実際のところは「努力義務」となっていれば、現実にはなっていないとこかもしれません。

 そんなことを更新のあとに考えました。これからいったい日本の労働者はどこへむかっていくのでしょうか……。

 とはいえ、最近の再雇用労働は少しもモチベーションがあがらずの日々になっているような気がします。その最大の理由は、これほど世間では「働き方改革」(机上の)とワイワイとはいうものの会社は知ってか知らないのか無視しているようなところあるようです。さらには、現場の正規社員の人たちはまだ「高齢者」とか「65歳定年制」だとかという話は雲の上の話とでも思っているのでしょうか、この話題は少ないようです。「働き方の多様化」などという美辞麗句のなかに忘れているのでしょうかねえ。思い返せば、昔ぼくも定年退職者のことを去りゆく人ばかり思っていました。それが、自分のこととなると譲れないものが出てくるようです。まあ、「自業自得」といえば、そうなのでしょうか。労働組合も、今のところ、笛吹けど踊らず……というところでしょうか。

 「再雇用」を機に今年はそんなことを考えていきたい1年しようかと思います。ちょうどこの時期「働き方改革」のニュースも多くなってしました。そんな記事も参考に考えていけたらいいのだろうと思います。

 今週うれしいことが一つありました。

 出向先の人が4月末頃の入院から人が職場復帰をしました。職場での上司でもある人が入院してから職場は、担当を決める人の配置やお客への対応で大変であったようです。ぼくとしても、少しは協力していかないといけなくなり負担も増えていたほでした。お互いがなるべく負担をかけないようにとやってきましたが、それでも最後に責任をとる上司がいないということは大変です。まして、一字一句と言葉づかいを大事にする月刊誌や新聞編集の職場では「編集長」のような人がいなくなると困ってしまいます。まだ完全復帰はむずかしいようですが……。よかったですわ。

 同年輩が病気やけがなどをしてしうまうと、年が病を増幅させるようで無事であることがむずかしく、即入院ということが多いようです。揚句のはてに、体のあちこちにガタがきていることで回復もままなりません。それは、他人事であっても不安が自分にものしかかっているようです。最近、身近な人が鬼籍にはいってしまったことなど思うとなおさらです。

 「無事がなにより」ということがいちばんこころにいい薬です。正直、ぼくは本社の人たちより出向先の人とのほうがよく話もできることに驚いているくらいである。少なくとも、人が話をしようとしているときスマホばかり気にしている本社の若者よりはいい。明日も出向先で仕事です。のんびりいきまーす。

 今週はこの失礼します。読んでくれた人、ありがとうございました。