こんにちは・・・。
連休もいよいよ今日をいれて残り2日になりました。どんな連休になったのでしょうか。
連休の間、天皇の退位、即位式とあり、さらにはメーデー、憲法記念日など5月は関係者にとっては休みといったところではなかったかもしれません。「平成」が終わり「令和」ということもありました。取り立ててどうということではありませんが、改元するということは、一時代が終わったとような感じを持たせます(実際はこれまでの日々の延長戦上なのですが・・・)。ということもあって、憲法集会では、安倍首相が「憲法改正」を強く主張もしていました。いったい今後はどうなっていくのでしょうか。まあ、これまでの政治のやり方を見るにつれ、不安ばかりつのります。
また、10連休によって「働くのが好きな日本人」にとってはお祝いしている場合じゃないこともあったようです。病院が休みに入る前に大変混雑したことや、休まず仕事のなっている人は、子どもを保育園にあずけたいが休みであったとかありました。さらに深刻だったのは、日雇いで働く人たちは収入が減ってしまって生活がより苦しくなるともいわれていました。そんな中で10連休は始まりましたが、身近なところではどうだったでしょうかね。一方で、天皇が即位の仕方が前回とちがう方法であったのはよかったような気がしました。昭和天皇が崩御したときは、毎日が落ち着かず。暗い日々が一週間ほど続いた感じがしました。これからは、生前引退もあってよいのでは思います。ただ。テレビが朝から晩までその放送ばかりには疲れました。実際、10連休を満喫できた人はひとにぎりの「セレブな人たち」くらではないかと思いますが・・・。
そんな日々が続きましたが・・・。どうでしたでしょうか。
「五月の空に」(とある都立霊園を歩いていて思う)
「改元」という儀式があった。
休みのなかに組みこまれた一つの時代終わりとはじまりだ
「平和」ということが多く聞かれた日々でもあった
「オメデトウ」「二つのお正月のようだ」とか新しい時代に感動があったという・・・
ぼくにとっては いのちのちぢむ時代がはじまっていくだけなのだろう
これまでにいくつもの歴史が繰りかえされてきたことを思った
夢でもなく現実の中にある「平和」である
老いを受け入れはじまる明日である
誰でもが自分の寿命をいつでも誰かのきっかけで生きていく
それがときの為政者からの「平成」という言葉から「令和」になった
夢をかなえる時代になる人もあれば静かに去って行く人も逝く
これまでを忘れぬように、明日が始まるだけである
とうとうながい10連休が終わります。いかがでしたか。ゆっくり楽しめましたか。ぼく方はどこへいくでもなく10連休が終わります。連休にはいる前に10日間のスケジュールをつくってみました。そして実行できたのは6割程度でしょうか。「あれもやろう、これもやろう」というスケジュールではなかったのですが、実際に休みになってしまうと、めんどうなものが「明日へ」と遠回しになっていくところが現実だったように思います。そんななかで、唯一頑張れたのが「1日50ページ読書」でした。どこへいくにも、時間をみつけては本を開く・・・という習慣をつくっておきたいと考えてみました。山にいくときも、散歩にいくときもすぐ出せる文庫本をもっていました。大事なことは、「一日の始まりをまずは読書から」という休みのなかで習慣ができればいいかな、とやってみました。気づいたことは、そんなときの本はやっぱり文庫本がいちばんいいですね。暑い単行本は荷物なってしまいがちです。そして図書館で借りた本は汚せませんしね。10連休ボーっとしているとチコちゃんに怒られちゃいますよ。
もう一つ強いてだせば、2回山歩きにいきました。それも、ほぼ同じところを歩き、2回目のときは距離を伸ばしてみました。さすがに10連休だからでしょうか、登山者がたくさんいました。その分、落し物もたくさんみかけました。地図、タオル、スタッフバッグ、手袋、ボールペンなどでした。おそらく、リュックにちょっとひっかけたり、入れたりしてつもりがこの結果になったのでしょうね。へんなところに思いがいって、これでは財布も落ちていたら最高!と思ってもいましたが、ありませんでした。残念??
さすがに2回目から帰ったあとは、体の節々がガタガタになっているようでした。こことちよさより痛い日々でした。やっぱり年ですか・・・。
日々できなかったことをやろうと決意しつつ突入した10連休でしたが、フタをあけたらほぼいつもと変わりませんでした。大事なことは、言うまでもなく、資金と計画性と自分の対応度のようなものが全然たらないことがわかりました。そして、きっと人は、計画しているときがいちばん楽しいのかもしれませんね。おおよそ、計画と同じようにことが運ぶとは思っていないですし、実際はうまくいくことなどあまりないことが、変な自信となって終わります。それでも、少しずつやれることを計画してやらないと楽しくないこともわかります。
何であれ、計画と実際はちがいます。そんなことを考えるとそのときどれだけそんな自分を許容できるかということでしょうか。
10連休という、かつてないほどの休みがありました。
どんな日々を送ってきましたか。ぼくのほうは。スケジュール倒れを反省しつつ明日からはじまる日常を考えていました。いつでもそうであるように、休みが始まる前は楽しくて、始まってしまうと流されて、終わったときに後悔みたいなものが残ります。これまでもそうであったように今回も同じでした。ということは、少しも進歩がないのかなーと思います。これが「現実」なのだろうか・・・と素直に受け入れないければいけないのでしょう。それが、ぼくの人生をつくってきのですからね。
さて明日から、再雇用の日々がはじまります。5月は「契約更新」の月でもあります。これまで更新のとき考えていたことを少しでも反映してほしいことを盛り込んでくれるようにするだけです。「働き方改革」なんていっても、誰でにでも反映しようなどとは考えていないでしょうから・・ね。
連休中に二度の山歩きはきついようです。いまでも体の節々が痛みます。一か月に一度がいいペースなのに無理があるようです。少しずつ痛みもとれていくことでしょう。
さて、今回はこのへんで失礼します。5月が始まったようです。
連休中に、近所の都立霊園を訪ねてみました。東京ドーム何十個分・・・という説明には驚きながら歩いていました。本当に広いということを感じていました。この霊園にはこれまでに歴史の舞台に登場した人物が多く眠っているそうです。おもいしろいと思ったのは、生きて時代には立場も思想も相反する人々が、結局同じ地面のなかにいるということでした。生きていれば、きっとあいかわらず批判したりしていたのでしょうかね。死んでしまえば同じ穴の中・・・。どうしてこうなってしまうのでしょうかねえ。ある意味、人間は愚かなものはいないのでしょうかね。きっと、生きているときは必死に生きている証(印)を求めていたからでしょうか。まさに平家物語の冒頭にある「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」ということでしょうかね。お疲れさいまでした。
明日から日常が始まります。満員電車に揺られ、またしても他人の背負うデイバッグにこずきまわされ、鼻先にスナホをつきつけられ、痛い視線を浴びて、またしても、愚痴の日々が始まりますかね。365日連休はいつ来るのだろうか思いながらはじまりますか・・・ね。
今回は「10連休」の連発でした。休めない人のおかげでもあります。もう、こんなことはないでしょうかねえ・・・。あとは「忌引き」のとき。日本人は働くすぎです。働いているときが一番、平常心なのだろうかと思います。休暇のときの使い方をもとうまくできれば、もっと楽しいはずですが。
読んでくれた人、ありがとうございました。
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