日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

5月が始まってみれば・・・もう下旬へ

2019年05月12日 | Weblog

 

 こんにちは。そよ風がとても気持ちのいい季節になってきました。散歩をしていても足元にたくさんの花が見ることもできます。やっと初夏の季節になってきたようです。ツバメも巣作りを本格的にやっていました。人の住む軒先にどこからか泥を運んできては一日中、忙しい日々のようすです。それでも、以前よりは少なくなってきたのには心配しています。昨年よりは1件少ないようです。

 さて、10連休が終わってから1週間が終わりました。早い毎日がすぎていったように思えます。火曜日からでしたからそう思えるのもありますが、満員電車に乗って、印刷まじかの月刊誌の編集が1週間おくれで始まったということもありました。さらには、重なっているものが多すぎて朝から夕方まであわてている日々でもありました。とかく、人間はあわてているときがいちばん危険なときのようで、電車の飛び乗り時、あるいは早急な仕事の始末・・・余裕がなくなった先はきまってけがをしたりミスが続くものです。そして「余裕」がなくなり、他人を思いやることもなくなり殺伐とした空気がつつむようです。そんなことはわかっている!!、としても人間の悲しさでしょうか繰り返し日々があるようです。休日の日、多摩川の散歩道を歩きながらゆっくり流れる川も雨がふれば水が増して流れが速くなり、いろいろな災害をつくるようにも似た景色だな、という思いがあります。

 さて今週は、10連休後のニュースで多くの悲惨な自動車事故が多く耳にはいりました。4月末には、東京池袋で83歳の男性する乗用車が暴走し、女性(31歳)とその子ども(3歳)を死亡させてた報道がありました。5月初めには、大津市では交差点で1台の車が保育園児の列に突っ込み、園児2人が死亡しました。いまや車は便利なものではなく、「走る凶器」と化しているようにも見えるともコラムにもありました。傷ましい事故が続きました。全国的にはもっとたくさんの自動車事故が起きているのだと思います。運転手は誰もが事故を起こそうと思って運転はしていないでしょう。そして歩行者もまさか、自分のところに自動車が突っ込んでくるとは思ってもいないのでしょう。それでも、多くの事故が起きているのには何か原因があるのでしょうか。

 いっとき「アオリ運転」というのが話題になりました。こちらは、運転手が故意に事故を誘発しているようなところがあるようです。連休中で渋滞が予想される道路です。それを知って車を利用しているはずなのですが、いざその現場になってしまうと、個人的な怒りが他人にぶつけられてしまう理不尽な世の中です。とはいえ、バスも電車もないところでは、車は大切な移動手段であることも見逃せません。とくに、地方では国鉄民営化になって赤字路線は次々に廃線になっていくのを見るにつれ、ますます移動にことかきます。知人に親の介護のため病院までつれていくのに車を利用してしまう・・・。自分が高齢者で免許返納の時期だとしりながらも利用しているそうです。いっそのこと、そんなに事故が多いのであれば、病院が近くにきてくれないかと思うこともあります。あるいは、介護の必要な場合は、自治体が細かなケアーをしてくれる政治をしてくれればいいとも思えます。税金は、公務員の人件費にだけあるのではないのでしょうからね。それが社会保障ということなのでしょう。

 こんなことを考えていたら、ますます老人は一極手中で異動に便利な都会に住みたくなるのもわかります。それは、経済的に余裕がある人だけでしょう。若者が、都会に集中する気持ちはわかるような気がします。それは、お金もかからないくてもいい若い時代だけのことだけです。

 もうひとつ。新聞で消費税10パーセントで賄う予定で「幼児教育・保育無償化」について読みました。これは、認可・認可外にかかわらず無償化するようです。国の将来をつくる子どもたちのことです。できるだけ、低賃金の親にとってはありがたいこだと思います。でも、以前、待機児童が問題になっていましたが、それは解消できる見込みがあるのだろうかという疑問があります。無償化になるのは、認可・認可外のところにはいれたときのことでしょう。だから、まず初めにやることは待機児童の解消ではないのでしょうか。いまや、共働きはあたりまえの時代です。安心して、働いている時間は保育所なりにあずけなくてはなりません。その入り口のところが解決できているのかということが疑問に思います。各自治体へ予算を振り当てで保育所を増やすことが大事なことだと思います。まずは入れる場所がなくては無償化といわれもなんの解決んもならないような気がします。

 そして、疑問に思うのは誰でも無償化となれば、高額・低額所得者も同じにということでしょう。なにか不公平にも思えます。これは、ある意味高額所得者だけ優遇するような気がします。大事なことは低賃金者への大変な生活のカバーでもあっていいのではないかと思います。高所得者にとってはいいでしょうが・・・。本来やるべきことは生活に大変でも子どもを育てることへ希望がもてる政治ということであれば所得なども考慮する必要があるようにも思えます。本来、お金がなかなか生活に追いつかない人への社会保障なのでしょうから。

【ときには旅にいきたい・・・】
 10連休が終わったと思いきや、毎日はそのつけがいっぱいあった週。
 一週間が終わる。そうと思ったら、どこかにゆっくり旅行にでも行きたくなったと思う。独身であれば、家庭のことも心配せずに<ポット>とどこかに旅行しているのではないのだろうか。それが独身者の特権化のように行動してたかもしれないなあーー。

 松尾芭蕉の句に「月日は百代(はくたい)の過客(くわかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり」ということもある。知らない町をゆっくり温泉にでも入って、見知らぬ人と故郷のことを話したりするのもまた旅でもある。お互いの心境は言葉のなかにはわからない。ただ、こうして道行く人の会うのも何かの縁と思い話すことが大切な時間だと思うのだろうなあ・・・。そんな余裕を手に入れたく旅にいきたい・・・と思う。
 と思いつつ「四国遍路」に思うをはせる日々である。無理でしょうかね。

 気がつけば今月、誕生日でした。63年間もよくい生きて来たな・・・と思いつつ過ぎて行きました。職場では、2番目にふけたオジサンになっていました。こんな日が来るなんて思ってみなかった若いときでしたが、現実はちゃんとついてくるんですね。これからの目標など考えてはいないのですが・・・。強いていえば健康でしょうか。とはいえ、年々、足腰が弱くなっていくのが自覚できるほどになっています。階段をあがるのにも大変です。いずれは、歩けなくなるのでしょうか。年をとるということはまずは動きがにぶくなるということ。「生涯現役」なんてウソくさいことはいいませんが、健康なときぐらいは働ければいいのではないのでしょうか。体が動くうちは行動して日々を送れることが大事だと思います。悔いが残らないようなどとも思いません。いっぱい残せるほど、好奇心を持てればと思います。この年になってからは、どんなところでも「死」はそんな遠い存在ではないようです。

 年をとるのは必然ですから仕方のないことだと思います。でも、できるだけ若ぶらない、欲張らない、怒らない、という日々を送りたいものです。 あとは風任せかなー。来週はどうでしょうか。1カ月も担当の月刊誌が終わると「終わった」といつも思います。そんなわけでやれるところまでやってあとは、のんびりいきましょうか。「契約更新」の月でもありました。なるべく公平な気もする契約内容に近づけてみたいものですが、現実なんともなせけなるくらい安い賃金です。なにが「同一労働同一賃金」だよと思いながら日々ですね。それは今週はこのへんで失礼します。

 読んでくれた人、ありがとうございました。