日々徒然に

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台風24号接近、秋が深まる夜長か

2018年09月30日 | Weblog

 こんにちは。
 今月は8月が終わったと思いきや突然の涼しさがきて、おどろいていました。あまりの寒暖の差に老人は追いつけいなくなってしまっていました。
 今年の夏は尋常ではない暑さでしたね。こんな年が毎年続くのかと思うと夏には相当な電気代がかかるのでしょうか。
 またしても、台風接近中という日です。せっかくの休日は台風の状況を聞きつつ、過ごしていることが多くなってきました。どこへでかけるにも傘と電車の運行状況が頭からはなれない日々です。
 散歩をしていたらまだ、セミががんばって鳴いていました。今週が最期でしょうか。なにか、「ことしもありがとう」といいたい気分になりました。


 今月間も終わりです。月末がやってくると「一年が早い…」と思ってしまうのは年齢のせいでしょうか。通勤電車のなかで読む本を物色するだけで一ヵ月が過ぎてしまうような時間の速さです。あれも、これも探しているうちにひと月が過ぎてしまうような感じでもあります。

 今回読んだのは、派遣労働者のことを書いた本でもあります。
 派遣で思い出すのは、「秋葉原無差別殺傷事件」です。彼もまた派遣労働者でした。事件では、現行犯逮捕された加藤智大が秋葉原で無辜な市民が次々に殺傷した事件でした。
 事件が冷酷だといわれる一方で、派遣労働者の実態が多く語られた気がします。ですが、結局、社会の問題という視点よりは彼個人の犯行のように語られているかと思えます。しかし、環境は人を変えるように、大きな原因は働く場所、生活の場所であったのだと思います。そして、それを作っている今の法律であることも見逃せません。派遣労働者が増える理由の根本的なところをもっとさぐれば、企業の体質や政治の本質があぶり出されることだと思います。


 ストーリーは大きな通り魔事件のかげとなってしまった、小さな一人の派遣労働者が「自殺」で処理された「903」という身元不明の写真番号をみつけたことから始まった。903号写真の死人の様子が気にかかる。刑事は「殺人」と断定して、捜査が再開されていく。事件は「毒物」による用意周到な手口によって殺されたという推理をとりながら犯人を捜し追いかける。捜査をするうちに派遣労働者がかかえる現実があらわになっていく。903号という数字からその人間の名前を探し当てる。そこにはよこたわる派遣社員から正社員になりたい人間の葛藤にたどりつく。氏名のわかった被害者の真実を探していく中で過酷に生きた人間の証が浮き彫りなっていく。さらに見失っていった真実がわかっていく。被害者の生活が浮き上がっていったとき、その真実の背景によこたわる「なぜ殺人をしなければならなかったのか…」という今日的社会の表情を見せていく。この小説は、今の働く現実のなかを通過したように思わせる喪物語であったように思います。

■p151 黙って組織に属していたら、定年まで安穏と生活できる時代はとうの昔に終わりとなった。現実問題として、日本有数の製造業のトップと、人材派遣会社最大のカリスマ社長が膝を突き合わせて「労働者をこき使う」相談をしているのだ。
■p63・下巻 「この国の首相は、施政方針演説の中で『世界でいちばん企業が活躍しやすい国を作る』とぶち上げました」
■p86・同 「規制緩和という美辞麗句の実態がこれですよ。労働者派遣法が漸次緩められた結果、働く人の気持ちを踏みにじるようなビジネスモデルが日本中蔓延したのです」
■p114・同 半年先の自分の姿さえ見通せない生活を送ってきた脇田ら非正規労働者が、人並みの暮らしと言った重みは存外大きい。その一言を発するまでに、どんな辛酸をなめてきたか。田川は世間の実態が大きく変わったことを知らなかった。
■p264・同 鑑識課の身元不明相談室で二年以上放置されていた中野が「903」という通し番号だったころの写真だった。竹の塚の暑の若手刑事が撮影した仲野変わり果てた姿だ。
■p307・同 「員が悪けりゃ、人間として扱ってもらえない世の中にしたのは誰だよ。俺と仲野が入れ替わっていた可能性があるんだよ!」なおも清村は続けた。
■p308・同 「しかし、今回尾事件の根っこは、トクダが鋼板をケチって安全性に問題ありの車両を世に送り出したことですよ」



 ぼくの周りにも派遣労働者がいる。その主な理由は「正規社員の産休や病気などで長期休暇」の欠員を補充するためと聞いている。
 ときどき話をすると交通費のうち「電車の定期代は出るがバス代は出ない」とのいうことだった。だから、雨以外の時は会社まで歩いている現実を知ることができた。正規社員の交通費は電車・バス代は支給されている。これはどんな理由があるのだろうかと思う。これは同じところで働いている人つぉてなんとも「理不尽だなあ」思うことがある。かといって、派遣の内実をどれだけ知ったところで解決するための手段を持たないのが現実だ。
 再雇用になったことで僕にも理不尽さを感じることが多い。
 例えば、同じ職場、同じ職場、そして年齢にムチ打ち残業もしている。それなのに「基本給」がものすごく低いのである。まさにアルバイト並みの賃金になっている。それから、社会保険、市民税、介護保険など公的税金というものが引かれるとすでに一桁という月もある実態となる。「なぜ、こうなってしまうのか?」月末には考えることである。
 派遣の人と話すと、そういう仕組みを直接受けているのは「派遣社員」の方はもっと理不尽だということを考えてしまう。「規制緩和」とか「多様な働き方」とか政治の世界でまとまった「労働者派遣法」はいったい誰のために法律なのか…。その根っこはいったい何だ。最近成立した「働き方改革」なのか考えてしまうこの頃である。
 『ガラパゴス』という小説はその盲点をついた作品であると思う。派遣社員がうまれしまう社会状況、現実には正規社員なりたいこと。そのために日々がんばっている現実。とくに製造業では具体的である。派遣労働者の弱みに、たくみにつけこむ派遣会社と企業の利害関係調整。そのはざまで苦しむ派遣労働者を主人公にその実態にメスをいれた小説だったと思う。
 現実に、「経済は順調」という政府の答弁には実感がないように「格差」はますます広がり、順調なのは一部の人だけだろう、と感じている。そして、相次ぐ企業の、隠ぺいの告発はいったい何を意味しているのだろうか。まさに、身近に、『ガラパゴス』の殺された仲野さんがいるのかのようだ。


 今月9月はこれまで読んでみたい本を探していた。『ガラパゴス』は、なかなか図書館で借りようとしてもなかなか回ってこない任期のある本だった。やっと最近借りて読んでみた。これはもう推理小説というより「経済小説」だなと思えた。いま、この現実は遠い景色ではなく、すぐ隣に起きている景色なのではないのかとつくづく思えた本だった。





 仕事で船で遭難。助けられて米国へ。
 米国はゴールドラッシュ時代。繁栄にふくらむ時代。
 日本は鎖国時代。その時代のはざまで生きた彦蔵。人の善意にいっぱいふれながら自分の生をまっとうした漁師でもありました。世の中は、人であふれているが、そこで出会うことがその人を決定づける要因だなと思わせる小説でした。吉村昭の歴史小説。


【旗の台(東急池上線)】
 最近、入退院を繰り返している知人から「食事でもするか…」とい誘いがあり「旗の台」という駅で降りた。
 ここはぼくが二十代のとき過ごした駅。JR五反田駅から東急池上線に乗り換える4つ目の駅。ここから学校に、あるいは草野球の試合によく降りた駅でもある。夜は住宅街でもあることからとても静かな町だと思う。近くには中原街道、環状七号線も走っていて便利な場所だ。最近はこの沿線は世代交代ということなのだろうか若い人たちが多く見られるようになったように思う。
 ここは、ぼくが昔元気に走り回っていたころ、草野球で滑りこみホームインで骨折して通った昭和医大がある駅でもある。足首は腫れ、少しでもぶつかると痛かった骨折。まともに動けることができるまでおよそ1週間会社を休んだ。大変だったのは銭湯にいくときだった。骨折部分をがっちり石膏で固定していたので、かゆいやら痛いやらの1週間はつらかった。それでも、住んでいたアパートの近所には食堂あり、コロッケがうまい肉屋さんがあり、お菓子屋さんありと、食べるのには不自由がなかったと思う。よく通った食堂のオジサンとはよく話した。なんせオジサンに「ねえ、お見合いしてみない」といわれたくらいだ。(そのときは草野球と仕事がお面白くてそれどころではなかったのですが…)アパートの目の前の床屋さんにもよく行った。店員さんが夜中に品川スケートリンク(高輪)に行く理由がわかって、アイスホッケーというスポーツの大変さがわかったお店でもある。
 肉屋のおじさんはいつも大きな声で注文を反復していた。


 食事の帰り道に、住んでいたアパートに寄り道してみた。
 住んでいたモルタルのアパートは鉄筋のアパートに、よく叱られた不動産やじいさんのいたところもなくなっていた。
 肉屋も、おもしろい食堂のおじさん夫婦のいるところも消えていた。ここも鉄筋のビルになっていた。どこへいったのだろうか…。
 ぼくが還暦だとここにいたおじさん連中はもう天国かと思えた。
 人が変われば建物も変わる。建物がかわれば気持ちも変わる…時代も変わったということだろうか。
 何か寂しい思いを引きずっての帰り道だった。



 台風24号が関東地方に向かっている日曜日。「猛烈で非常に危険」な台風ときく。避難、停電の準備をとニュースでもよく聞く。とはいえ、準備しておくのはいいとしても、いちばん怖いのはなんだろうと考えたら停電だろうか。明るさがなくなってしまうと危険を感じるところだ。それでも原発は賛成できない。放射能はことごとく人間とは共生できないしろもので永遠にのこる。そんなしろものはもうゴメンだと思う。
 世の中というか裁判所では原発容認の流れの判決がつづく。いったい何を考えているのか、疑問である。人の命がことごとく犠牲にされるのである。
 困ったことだ。



 週末、用事で田舎にいきました。兄弟が集まって…とくれば「相続」の話でした。世間では大変で「骨肉争い」ともなってしまうことも、聞きます。どうして、人はこうも欲張りなのか…という気持ちにもなってしまいます。御多分にもれずわが兄弟たちも「それは、お金はないよりあった方がいい」と思う正直なところでしょうか。ぼくも正直そう思います。ぼんのうが人の道を迷路にする瞬間でもあるようです。
 年をとると、肉体が動かない分お金で動かしてもらうようになることが現実でしょうか。誰も助けてくれなけばなおさらです。

 そして、平等とはいってもどこでも格差がつけられるように兄弟でもそうなることに理不尽さを感じていました。なんの名案もないなか「欲張りが自分のいうことを聞け!」とばかりの見解も暗黙のなかにありました。いやー、これにはまいった…、というところが正直なとっころでした。亡き両親が遺したものが争いの材料になってしまっているなんて、遺産など残さずきっぱりとあの世に…と思ってしまいます。
 一方でこれが人間であることの証明なのだろうかとも思います。とはいえ、「カネが敵の世の中」とは思いたくないのです。最後は家族が助けてくれると期待するしかありません。さらには、兄弟が…と思います。それは日常の中ではぐくまれることだと思います。いかに日々の行動が大事かということを身につまされることです。「いまさら水くせえ!」と言える関係を作れるのも人間です。そして「平等にを」考えるのも人間なのでしょう。そこが大事な世の中なのではないのでしょうかね。それがなくなったら「争い」が始まるのでしょうか。子どものころ真っ黒になって一緒に遊んだ日々が懐かしい気がします。なんかやるせない気持ちで帰ってきました。さてどうなることか…。少しずつ前へ進めていきたいものですがね。
 今月いちばん疲れた一日でした…。



 明日から10月です。来月こそは身辺整理をと思案中です。捨てるものを探しては思案中です。それから、紅葉をもとめて山歩きもやりたいものです。NHKの朝ドラも新しくなります。これまでやっていた『半分青い〇〇』は見ませんでしたが明日からは『まんぷく』は面白そうです。『カーネーション』や『ひよっこ』は面白かったけどどうでしょうか。それ以上を期待したいものです。
 来月末には、また兄弟が集まる予定…。さてさて。少しは進展すればと思います。
 読んでくれた人、ありがとうございました。