日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

秋雨前線のなかで…思う。

2018年09月16日 | Weblog

 こんにちは。
 連休は秋雨前線の影響でくもり空の多い日が続きそうです。雨がふるたびに涼しさも、さらには寒さもやってくるのでしょうか。
 セミの声も聞かなくなってきました。かわって町には秋祭りの太鼓の音が聞こえてきました。考えてみれば、春から夏にかけては自然のなかの生き物がいろいろな音を出して楽しませてくれました。冬にむかっては、人間がそのかわりに音を出している季節なのだろうかと思いました。

 さて今週は、テニスの全米選手権で大阪なおみ選手の大活躍には驚きました。テニスには興味がないぼくも応援してしました。20歳の若さということも活躍できる条件だったのでしょう。それにしてもすごいことだと思います。
 今、日本のスポーツ界は、スポーツ以前の問題でもめています。パワハラ、セクハラ、果ては幹部の助成金疑惑など。2020年東京五輪どころではないのではないかと思うほど疑惑のスポーツ界の内実が告発されていました。
 あらゆるスポーツの不祥事がニュースになっていました。日本の選手たちはプロもアマもこんな中で練習していることが現実なんだと考えさせられることが多い一週間でもありました。全部がそうとは思わないけれども、そんななかでまじめに頑張っている人は救われませんよね…。

 自民党総裁選が始まっていました。2候補の選挙戦の言い分を新聞で読んでいた週でもありました。もとより、これまで首相であった安倍晋三氏。その対抗馬として出てきた石破茂氏。二人の記事が出るたびに、読んでいました。そのなかで一番違いがあるのは憲法の考えがあるように思えます。安倍氏はこれまで通りの法案強行採決のやり方で議会で多数を得て中で、説得しようという様子もみえました。ぼくは、石破氏は慎重にするべきではないかという見解がいいと思います。拙速にすすめることへの無理解の危険性を指摘していたと思います。ぼくとしては、これまでの安倍首相の国会運営には疑問ばかりありました。法案の強行採決や加計・森友疑惑問題などもまだ未解決です。それらを考えたみても交替する時期にきているのではにかと思えますが…。(とはいっても、部外者ですからどすることもできませんがね)



 沖縄では、翁長知事の急逝によって県知事選が行われいます。オール沖縄推薦の玉城デニー氏と与党推薦の佐喜真淳氏との戦いがくりひろげられています。いちばんの争点は普天間の米軍基地を名護市辺野古移設に反対か賛成かということになっていました。かつて、翁長知事は「日米地位協定が憲法より上にきていることが問題」と語っていました。その延長線上にあるのが今回の辺野古移設問題であるのだろうと思えます。
 これまで沖縄は米軍基地があるために多くの被害をうけてきました。しかし、その被害の直接の真意は「日米地位協定」が壁になって捜査ができませんでした。現在でも、県内で米軍の飛行機事故がおきてもその被害や原因を調べることは一切できない状況がつくられているとのことです。オスプレイが海に墜落したときも、遠くからみるばかりでした。そんな理不尽がこの辺野古移設反対のなかにも入っています。

 いまだに沖縄は昭和の占領時代のままなのです(日米地位協定は160年代締結以来一度も改定がないそうです)。そんな理不尽を改めさせるためにがんばってきたのは翁長知事であったのだと思います。ちなみに、日本以外の米軍駐留地では、日米地位協定のような理不尽はないそうです。米軍の戦闘機が駐留地の上空を勝手に飛べないそうです。イタリアなどは事前報告があり承認されなければできないということです。最近、イタリアのランベルト・ディーニ元首相が「国際的な(協定)見直しを進めないと日米関係だけが奇異になったしまう」との見解を述べていました。

 いずれにせよその背景には本土の「無関心」が上げられています。観光だけではない沖縄の現状を知ってほしいし、現実に関心を持ってほしいというところでしょう。今年、全国にオスプレイが配置される中、墜落が以外にもすぐ近所で起こる可能性も…。無関心ではすぐある危険は避けられないのかもしれません。
 そんなことを思った週でした。
 ついでにこんな記事もありました。米国のオバマ前大統領が11月の米中間選挙の応援で「民主主義の最大の敵は、ハワイとハウスの個人ではない。人々の無関心だ。あなたが政治に飽き、投票日に家にいることが最大の敵だ」(朝日・15日)という言葉が印象的でした。



今週、都内で会社の「創立50周年祝賀会」があった。はやいものだと思う。ぼくは、会社に入社して35年ほどで定年になった。それまでいろいろなことがあった。
 昨今では、世の中は「3年転職」が多いなかでは、考えられないほど長い年月を同じ会社で働いてきた。今の若者にとっては信じられないかもしれない。時代は「終身雇用制」というながれの中にいたせいでもあったのだろう。毎年「辞令」という会社の異動という混乱の中にあっても、同じ職場で働き、今の出向先もここ何年も同じである。

 10年ほど前、一度異動の辞令もあったが上司と話し合ってやめてもらった。そのとき、なんと言ったのかもう忘れている。
 ときどき後輩から、「あのとき何と言って異動を断ったんですか」と聞かれるが忘れているから「さーてね?」というだけである。この後輩も異動を断るための参考にしたかったのだろう、いつも答える「さーてね?」で話は終わりにしている。

ぼくが働いてきた時代は国鉄、郵政、電通、社会保険もろとも民営化を進められてきた時代でもあった。
 いちばん印象に残っていることは「国鉄民営化」である。当時の首相は「浮沈空母」発言の自民党の中曽根首相の時代。「民営化反対」を訴える多く国鉄労働者が自殺者を出たので記憶に残っている。国労はで「民営化によって組合つぶし」だと主張していた。労働者が減ることは危険だということなのだろう。安全・安心の公共交通を支えてきた組合員の自負もあったのだろう。さらには民営化によって、国労(国鉄労働組合)つぶしではないか…ということが問題になっていた。事実、国労組合員は理不尽な職場の異動命令もでていたようだ。一方で組合をないがしろに民営化が断行された時代だった。それでも、労働者は抵抗する組織もしっかりしていたと思う。政治の方向もよく問われた時代でもった。

 民営化の断行によって、多くの労働者は余儀なく職場を失ったことだろう。そのつながりでぼくの職場も民営化のあおりを直接受けた会社でもあった。
 民営化のよって仕事が減り、お金も人も少なくなっていった時代だった。
 ぼくがいた会社でも余波で、「定年前希望退職」もでた。彼らがいなかったならきっと今の会社もなかなったのではないのだろうか。辞めた人たちは、それぞれの仕事についていると聞く。そして、今の50周年があるのは彼らがいたからであろうと思う。

 そんなことを考えた行った50周年だった。
 「過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目になる。過去の罪を心に刻まなければ和解の道はない」という言葉がある。これはワイツゼッカー元大統領の(西ベルリン市長などを経て、1984年当時の西ドイツの大統領に就任。その翌年の1985年5月、第2次世界大戦終結から40年の演説のなかでいわれた言葉)言葉である。この演説をを思い出すたび、一会社の歴史のなかには、いろいろな人間の歴史がある。それぞれの思いをどれだけ支えにきたのかいま学ばなければいけなのだろうと思う。
 再雇用になって、ちょっと職場の一線から離れてみて考えられることもある。その一つ一つの中に今があること…それが大事だと思う。
 今回の「50周年…」はそんなことを感じられなかった。いったいどういうことか。不勉強なのか、主催者の怠慢なのか…。いずれにせよ、次回はぼくはいないだろう。世の中がどうなっていくのか。これではなんの50年かわからないだろう…。なにを言いたかったのか。




【魚釣り・小魚に遊ばれても…好きなんだ】
 すっかり晴れた秋の多摩川の一日。肌をさすような暑さがきえた休日。朝から散歩にでると必ずいるのは釣りをしているオジサンたちだ。長い釣り竿はアユ釣りだろうことがわかる。一方、短い竿でのんびり岸から釣りをしている人もいる。何が釣れるのかじっと後ろから見ているとうきは動くものなかなか釣ったところにおめにかからない。それでも、のんびりうきを眺めているのもいいなあと思う。

 都会に住むようになってから釣りは、箱ものしかやったことがない。近所の釣り堀にいっては一日釣っている。こちらは入場料もはらっているからだいたい釣れることが多いのである。しかし、最近この釣り堀もいつ間にか埋められてマンションが建ってしまった。建設ラッシュでもあるのだろう。人がどこからともなく流れてきては、住み、暮らし始める。ぼくもその一人であるから、うらみごとを言ってもはじまらない。

 ぼくの理想とする釣りは、沼とか川とかでする釣りである。
 以前、嫁さんの実家(四国)にお盆に帰ったとき理想の釣り場があった。山すそで、池の近くにはお寺もあり静かな場所だった。夏の朝、一人起きて釣りに行く。まだ誰も起きていない。起きているのは新聞配達の人くらだろう。池にうつる山の影が何とも幻想的だった。1時間ばかりすると鮒やナマズが釣れた。うきが動くとゆっくり湖面に波紋が広がり、静かさが身に伝わってくるようだった。釣れない日もあった。それでも、ときどき動くうきを眺めてはドキドキしながら釣りを楽しんだ思いがある。釣れないときでも怒る気にはならなかった。静かなことが釣りの醍醐味だと思っている。小魚にエサをとられてはまた、投げこんでうきを見ている。
 静かな池にも波紋が広がるときがある。「おおー、大きいのがきたぞー」と思って釣りをする…。そんな釣りが好きだ。

 ボーっとしている時間でもあるのだろう。
 残念なことに、最近そんなときがめっきりなくなったように思う。



 街路地には曼珠沙華がなんの予告もなく咲いていました。やっぱり涼しくなった、ということが伝わってくるきます。
 今年の夏は、集中豪雨やら台風やら、さらには北海道の地震と暑さに中に災害ばかりが印象に残った夏だった。それらの被害の終息はいまだに聞いていない。こんなことを思うと、冬は関東地方が集中豪雪地帯になったりして…、というのもないといえないかもしれません。関東に大雪がふれば交通機関がマヒしてしまうのはわかっていると思います。だいたい教訓がその時まで全然生かされないのがいままで傾向のようです。揚句のはてに「想定外」なる言葉が何度も飛び出してくるのかもしれません。
 関東に大地震が来ないとは言い切れません。
 
 来週はちょっと忙しい日々です。明日からちょっと頭がいたい日々です。
 それはそれでぼちぼちでいきましょうか。
 やっと涼しくなってきました。来週の3連休は山歩きを再開したいと考えています。天気さえよければ…ですが。無理はしませんが、さてどうなりますか…。
 読んでくれた人、ありがとうございました。